第17話 裏方の朝
城内侍女の朝は早い――部屋の扉を不寝番が叩く音で目を覚まし、
「……おはよ、綾女さん」
「おはようございます、寿々音さん」
同室の
お互いに欠伸を噛み殺しながら、寝台を片付けて着替えを始める。
盥の水に浸した布を絞って体を拭き、下着を新しいものに替え、服棚から使用人服を取り出す。
「寿々音さん、
寿々音の髪は癖がつきやすく、朝方は大抵大変なことになっている。
「あーごめん、頼んでいい? 毎日悪いね~、もう本当に嫌になる」
「ふふふ、そのうち体で返して貰いますよー」
綾女も最初は驚いていたが、今ではどんな形になっているのか、起きるのを楽しみにしていた。
「うーん、大店の娘に言われると説得力がありすぎるね。――あたし、売られるの?」
「あはは、うちは潰れたんですけどね~。……あの時、寿々音さんが商品で入荷されてれば、少しは……」
「ちょ……」
「若い娘は高く売れるんですよ~。寿々音さんなら売れっ子になるでしょうから世話係がつきますよ。そしたら髪結いだけじゃなくて、お膳の上げ下げまで全部やってくれますよ」
それ以上に辛い出来事が待ってるらしいけど――。
「え、本当!? それはありか……ありなのかな……?」
真剣に検討を始めかねない寿々音の髪を綾女は梳かし、お互いに見苦しい所がないかの確認する。それから、その日の労働を始める――もう手慣れた工程だ。
廊下に出た綾女が向かったのは彼女の主人――この国の第三継嗣の私室だ。
私室の扉を丁寧に叩き、小さく声を掛ける。
「……若様、失礼いたします」
少しだけ扉を明けて室内を確認――主人を起こすつもりはない。
寝台に第三継嗣の姿はなく、昨晩は部屋に戻っていないことが判明。どうやら朝食の支度をする必要はなさそうだ――綾女はほっと安堵のため息を吐いた。
実のところ、第三継嗣が私室にいることは稀だ。
月の半分は任務で外に出ているし、城にいるはずの時ですら、私室で眠っていることは少ない。そんな時、第三継嗣が何処で眠っているのか、城内で知る者はいなかった。
下街の――貧民窟に近い場所で第三継嗣を見掛けたとの噂もあるが真偽は定かではない。垂水の郊外に愛人を囲っているという話も耳にしたが、女の所に泊まっているにしては脂粉の匂いがしない。
本当に何処で寝ているのだろうか――気にはなるが、こればかりは本人に尋ねるわけにもいかない。それにしても――。
「本好きにも程があるよねー……」
第三継嗣の私室は本で満ちている――第三継嗣の私室をぐるりと見渡した。
実家が商家であり、扱う商品のひとつとして扱っていたため、書物を見慣れている綾女からしても、この量は尋常ではない。どれか貸してくれないかな――第三継嗣の蔵書に触れられるのは写本を頼まれた時だけだ。
本好きの綾女からすれば、それは悔しい。だが、侍女が主人に願いごとするなど、あってはならないことだ。だから、掃除の際に本の背表紙を眺めながら、指を咥えるしかない。
それにしても――主のいない他人の部屋に入るということは、後ろめたさと高揚感を抱かせる。何かその人の隠しているもの――恥部に触れているような気分にまでなる。
ひとしきり無人の部屋を眺め、綾女はため息を吐いた。
「朝餉の用意は必要ないか……」
いるかどうかもわからない人間に料理を作って無駄にしたくない――厨房方の願いを受けての確認作業である。厨房に向かおうと綾女は踵を返し――悲鳴を上げた。
「……朝から騒がしい」
廊下に第三継嗣が立っていた。
「す、すみません、今お戻りでしたか……!」
足音しなかった――突然の出現に息が詰まった。おそらく第三継嗣は外出から、たった今戻ってきたのだろう。
「どいてくれ、部屋に入れない」
第三継嗣は苛立ちを噛み殺すかのように言った。綾女は慌てて扉の前を譲り、失礼しましたと頭を下げた。
「あ、朝餉は如何しましょうか……」
「……寝る、起こすな」
わかりました――と綾女は答えたが、言い終わる前に私室の扉は閉じられていた。
不機嫌そう――第三継嗣の気配を反芻して分析する。第三継嗣は口数の多い人ではないが、その表情から、ある程度の感情は読める――ここ二~三日はどうにも気分を害している感が強い。
数日前に何があったのだろう――三日前、第三継嗣が私室で里海師範、巡回警邏隊の副長と何やら話し合っていたことを思い出した。
あそこで何かあったのかもしれない。特に巡回警邏隊の副長という男は、見るからに粗忽者であり、何か大きな失態を犯しそうな雰囲気を漂わせていた。
あの人、仕事が上手くいかないと途端に機嫌が悪くなるしね――これまでの観察で確信を持っている。
では、第三継嗣の機嫌を回復させるために何ができるだろうか――あれこれと思考しながら、綾女は厨房へと足を伸ばした。
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