第15話 乳兄弟
埃っぽい下街を抜けると、通りに並ぶ商店の種類が変わってくる。
木工業者、鍛冶屋、病院、孤児院、そして精肉業者――悪臭や騒音など、街中にあっては周囲に与える影響が大きすぎると言われる施設が集まっているのだ。
そして、その先に雅真の目的地はあった。
職人たちが住まう連結住宅の扉の前に立ち、木扉の呼び鉄を叩く。しばらくすると内側から扉が開かれ、ひとりの幼女が姿を現した。
「いらっしゃい、竜王丸様――」
「――竜王丸はやめてくれって言っただろ、佳那」
溜息を吐きながら返す。いったい何度、同じ会話を繰り返しただろうか。
「なんで? 母様は竜王丸様って呼んでるじゃない」
竜王丸は雅真の幼名である。
「静は特別だ」
佳那の母――静は雅真の乳母だった。元々、雅真の生母の侍女であったが、垂水城の鍛冶頭を務めていた男と結ばれて退職した。其後、静は出産した後、雅真の乳母として再び鷹乃家に仕えることとなった。
「母様だけずるい。佳那も竜王丸様がいい」
「駄目だ。俺は悪い奴から恨みを買ってるって教えただろ」
自分との付き合いがあると周囲に知られてしまえば、梶本家の人間が狙われるかもしれない。だからこそ、この家を訪れる時は常に平民を装うことにしていた。
それに、つい先日、貴人誘拐を解決し、改めてその思いを強くしている。
じゃあ、なんて呼べばいいの――乳兄妹という関係のため、佳那の口調は貴人に対するものではない。
「……
「みず……ち?」
「文字で書くなら、飲み水の水に大地の地だな」
適当な文字を当ててみた。
蛟は水龍の一種であり、千年の時間を経て龍になると言われている妖魔のことだ。
流石に竜王は身に余る――それでなくとも、とっくの昔に成人の儀は終えているのだ。もう幼名で呼ぶなと静にも注意しておくべきだった。
「水地様って変な名前……」
まったく――これだから乳兄妹という奴は手に負えない。だがそれは雅真にとって嫌なことではなかった。
「――中に入れてくれ。克己は戻ってるか?」
お兄様なら自分の部屋にいるよぅ――佳那が答えたのと同時に部屋の奥からこの家の主――
「随分と賑やかだね」
「すまない」
「大丈夫だよ。隣はいい人だし。……それで今日は一体?」
右目を隠す眼帯を弄り、克己は大きくあくびをした。少し眠っていたのかもしれない。
「使ったら持ってこいって言ったのは、そっちだろ――」
十字槍の穂先の入った布袋を翳す。克己の眼が輝いた。
「僕の部屋に行こう。――佳那、お茶をふたつ、用意してくれないかな」
わかった、兄様――佳那はてくてくと炊事場に向かった。
克己の私室の壁には珍しい形状の刀剣が壁に飾られている。それらの殆どは克己による習作であり、売り物ではない。
さすがに私室に精錬用の炉はないが加工台は設置されていた。雅真はその上に持ってきた布袋の中身を広げた。
克己は嵌めていた眼帯を外し、十字槍の穂先を手に取った。まるで鑑定するかのように、じっくりと刃紋を見詰めている。
「……眼、いいのか?」
「あぁ、これは予防みたいなものだからね」
鍛冶の職についている職人の多くが、老年になる前に眼を病む。それは激しく灼熱する金属を睨み続けなければいけない職業ゆえの病と言われている。
克己の父、考鉄も眼を駄目にして引退することとなった。後を継いだ自分の息子の眼が悪くなるのを恐れた考鉄は、技術を叩き込む過程で、その眼を交互に――今日、右眼を使うのなら、明日は左眼のみ――と使わせて、職人として少しでも長持ちするようにと育てた。それがあってか、いま克己は鍛冶組合の若手の中では特出した腕前の持ち主として評価されている。
「二人は斬ったね……。鎧に当てたな、二箇所も刃毀れしてる」
「修繕頼む。――それとこいつの
雅真が賊の頭目に使った射出式十字槍――克己はその製作者である。
「賊の頭目を撃ち殺した。眼の前で射出したからな――あいつは、自分がどうやって殺されたかもわからなかったはずだ」
体格のいい男だった。剣の才もあるように見えた。まともに戦っていれば殺されていたかもしれない。
「役に立てて良かったよ。――使用感はどうだった」
「安全装置が外れるんじゃないかっていう怖さはあった。説明は受けてたけど、その感触は消えなかった」
「うーん……。射出装置の撥条の動きを感じたのかな……。こればっかりは慣れて貰うしかないかな。――いずれにせよ、射出機構についてはもう少し考えてみるよ」
「頼む。それと――」
腰に付けていた短刀を後ろ手に鞘ごと取り出す。
「――なんだと思う」
克己は短刀を受け取ると笑みを浮かべた。業物を前にすると感情が抑えられなくなる性質なのだ。
「凄いな……」
「銘はわかるか?」
「……この刃紋でわからないようだったら刀鍛冶は失格だよ。――とはいえ、これの本物を見たことある職人も少ないと思うけど」
火燈の灯りで刀身を照らす。まるで愛しい者を眺めているかのような瞳。
「……
古鐘の姫に貰ったとは言わない方がいいな――雅真はそう判断した。
自分が危険な仕事を任されていることについて、克己なら理解してくれるだろうが静や佳那は違う。きっと心配するだろう。
残念なことに克己はそこまで気の回る性格ではない。何かあれば迂闊に零してしまう可能性は高い。
「秘密だ。――研究したいなら、そいつをしばらく置いていってもいい」
「ありがたいね。是非とも断面が見てみたかったんだ」
相変わらず研究熱心な奴だ――断面?
「……ちょっと待て。――ひょっとして、これを折るつもりか?」
「うん、当然だろ? 折らなきゃ断面は見えないよ。――中を見れば作り方の八割はわかるからね」
短刀を眺めていたはずの眼が合った――。
「国宝だぞ、これ!?」
「駄目?」
「駄目だ!」
至高とまで謳われている一振りである。折っていいものではない。
「だよね。残念。――でも、切れ味は試させて」
大物と言うべきなのか、粗忽者と言うべきなのか――いずれにしても、自分の手で良い物を作るということ以外、克己は考えていないように見える。
「それは構わないが……ちなみに試し切りって、何を切るつもりだ?」
「試し用の革の切れ端があるよ。――鉄片でも切ろうとすると思った?」
「克己なら、やりかねない」
「まさか――そこまで非常識じゃないよ」
「いいや、おまえは大事な螺子が一本足りてない。藍染鋭波を折ろうとするのは
「酷い言い草だな、兄弟。――僕が駄目人間なら、同じ乳を飲んで育った君も同じだよ」
そう言って克己は笑った。
その晩の食事は楽しいものになった。
今日は体調が良いからと起き出した静が佳那と一緒に作った料理は、素朴ではあるが手の込んだ品であり、雅真を心から満足させるものだった。
食事の後は談笑し、克己の試作品を皆で論評して戯れた。
夜が更け、佳那が眠気を見せると、明日の準備をして、それぞれの寝室に戻ることとなった。
雅真は静の部屋に据え付けられている長椅子で毛布に包まり、静が眠りに着くまでどうでもいい内容の会話を小声で続けた。
それは雅真にとって必要なことだった。
情けないとは自覚している――だが、人を殺した後は乳母の近くでないと眠れないのだ。
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