第14話 酒場にて


 火燈の灯りと炊事竈の炎が石畳の通りを橙色に照らしている。

 露天商人たちの在庫処分の声が響き渡り、その声に追われるように人々は家路へと脚を急がせる――垂水はこれから夜の時間を迎えるのだ。

 売春宿を兼ねた酒場や怪しげな賭場が軒を連ねる裏通りに、巡回警邏隊御用達の店、八角亭はあった。

 任務が終わった後は酒で魂を洗浄する――それは舩坂ふなさかと警邏隊にとって習慣となっている。

 舩坂が隷民から士分に取り上げられてすでに五年――いずれは戦場で死ぬ身だと思えば、小金を貯める気にもなれず、それならばいっそのこと、部下と飲み明かしたほうが、まだマシというもの――舩坂は常に自分にそう言い聞かせていた。

 不味いが酒精濃度だけは高い酒を呷りながら、酔いが廻った部下どもの馬鹿話に聞き耳を立てる。古鐘の姫の話は前もって口止めしてあったので、話題はほぼひとつに収束された――自分たちの上に赴任してきた第三継嗣のことだった。

「確かに餓鬼でも殺しが上手い奴もいる。――だがよ、第三継嗣は何か変だ。捕虜の人差し指と中指だけを切断しろって。そうすりゃ武人としては喰っていけないって――何なんすか、あの餓鬼……じゃねぇ、御曹司は――」

 坂崎はそこで酒を呷った。酒精が彼の口を回す燃料になっているようだ。

「冷酷……いや……残忍……も違う……。副長、どう思います? あれを一言で評するなら……」

 普段は冷静な甲野も若干酔っているように見えた。

「俺が知るかよ」

 俺に聞くなと答えて酒を呷り、鶏肉に齧り付く。固い肉を噛みちぎると熱い脂が口腔を満たした。

 ああでもないこうでもないと部下どもが騒がしく語る中、舩坂も無言で同じことを思考する――あの御曹司は、異能の持ち主とされる姫巫女と正面から渡り合ってみせた。

 古鐘の騎士団に取り囲まれた修羅場――正直、殺されるだろうと諦めかけていた。だが、第三継嗣は騎士団に脅されながらも、最良の結果を掴み取った。

 救出した女を人質として利用し、報奨金まで確約させた――あれはまさしく勝利だった。

 一体何を経験すれば十五歳であんな怪物になれるんだ――言葉にできない感情に舩坂は支配されていた。

 自分が十五の頃は隷民だった。反乱に加担した父が処刑され、士分を失った。気落ちした母は実家に戻ったが、自分はそれに従わなかった。その結果、隷民として売られ、農奴として生きることとなった。

 大地に鍬を打ち込む度に親の仇の顔を思い浮かべた。日々、そうやって呪いの言葉を吐きながら、開墾に従事していた。

 それが無駄だったとは思わない――武人と隷民のふたつの世界を経験したことによって、自分の考え方は大きく変わった。

 だからこそ、再び士分に召し上げられ、そして隊を仕切る立場になることができたのだ――だがしかし、今の自分は第三継嗣に負けたと感じている。殆ど戦場にも出たことのない十五歳の餓鬼を理解できずにいる――。

 舩坂の視界に女給仕の腰が映った。馴染みの女給仕だと察した舩坂は女の尻を軽く撫でてみた。すると拳骨で頭を叩かれた。

「そういう店じゃない。次やったら追い出すわよ、舩坂さん」

 どうでもいい会話がしたかった――だから怒られるのを覚悟して尻を撫でたのだとは言わなかった。

「悪かった。――つい、形のいい尻が眼に入ったんでな」

 女給仕は大卓の上に魚の焼き物を並べようとしていたのだ。女給仕の傍には、まだ成人の儀を迎える前と思われる女童たちが皿を持っていた。

「今度やったら出入り禁止ね」

「俺たちが来なくなったら、店が潰れるぞ?」

「あら、うちが潰れるわけないでしょ」

「本当か? それにしては最近、客が減ってねーか?」

「若い子が何人か上がった・・・・からね。そっちに付いて行ったお客さんも多いのよ」

 八角亭は若い女性が最初に務める酒場だ。彼女たちは、この店で礼儀作法や客のあしらい方を学んでいく。修行期間を終えると、より稼げる店に移籍するのが常となっていた。遅い時間まで店を開けている酒場に移るか、それとも酌婦として客と寝所まで共にする店を選ぶのか――。

「また最初から教育しなきゃならないのは大変だけどね。幸いにも雇って欲しいって子は沢山いるから」

 店内を右往左往する若い娘たちの給仕ぶりを眺めながら、馴染みの女給仕は言った。

「大変だな」

「舩坂さんの所と違って、死人が出ないだけマシよ」

 兵隊は死ぬのが仕事、女は抱かれるのが仕事――渡る世間は地獄のみ、か。

「うちだって毎度毎度、死人がでるわけじゃねぇよ」

「あら、そ?」

 女給仕は妖艶な笑みを浮かべた――元々は春を鬻いでいたという噂のある女だけあって、その笑みは舩坂の情欲を掻き立てた。

 しかし、体を売っていた女が女給に戻れるものかね――舩坂は女の経歴に疑問を抱きながら、本人に尋ねようと思ったことはなかった。極力、他人の過去には触れないのは、自分が聞かれたくないからだと自覚している。だから、部下たちにも積極的にその出自を尋ねたことはない。

「……今日の鳥は固い。骨と一緒に叩いて団子にしてくれ。それを鍋で頼む」

「はいはい、わかりました。――相変わらず、味にはうるさいのね」

 母親が料理上手だったから――理由は口にせず、笑みを浮かべてやる。

「こっちは上客なんだ、ちっとは気を使えよ」

「じゃあ、くちうるさい上客様に敬意を表して、大至急で作らせるわよ」

 この店を使うようになって一年以上になる。値段のわりに旨い店――というよりも貧民街に近い場所にあるため、他の騎士団と滅多に一緒になることがないというのが、最大の選択理由だった。

 住人たちから嫌われている巡回警邏隊ではあるが、この酒場の主人は支払いさえしっかりしてくれれば文句を言わない性質だ。それが有り難いので、ついつい通ってしまう。

 不意に酒場が静まり返ったことに舩坂は気づいた。下卑た会話も聞こえなければ、酔っ払いの調子の外れた歌声も聞こえない。何故だと思い、酒場の入り口に視線を送ってみると、その答えがそこに立っていた。

「第三継嗣……」

 溢れた言葉で自覚する――まるで衆民のような安物の外套を羽織っているが、間違いなく第三継嗣だ。出自の良さが隠しきれていない。そこにいるだけで人を御する気配を発している。

 なんで、こんな場末の飲み屋に領主の息子が――頭が混乱する。第三継嗣はこちらを見つけると当然のように近づいてきた。

「……一体何の御用ですか?」 

 立ち上がって姿勢を正す――部下どもの気配を感じながら、どうにかそれだけを吐いた。

「任務が終わった後は酒だと聞いた」

 冷たく硬い声。

「……人を殺った後は酒で厄を洗い落とすんです」

 それが悪いなんて言うんじゃねぇだろうな――警戒心が持ち上がる。すると第三継嗣は懐から小さな革袋を取り出した。

「足りない場合は皆で埋めてくれ。余った分は副長が取っておいてくれていい」

 手渡された革袋はずしりと重かった。

 硬貨――いや、袋の感触からは砂金のような気もする。

「……ありがとうございます」

 そう言って受け取ってみたものの、何が起きてるのか理解できない。

 部下たちの視線が集まっている。だが、こんな時はどういう顔をすればいいのかわからなかった。領主一族から直接的に報奨金を貰った経験などないのだ。

 第三継嗣は、それではと言って去ろうとした。

「待ってください。――一杯ぐらい付き合ってくれてもいいじゃないですか?」

 辛うじて――このような誘い方が、領主一族に対して許されるのかはわからないまま、声を掛けてみた。

 第三継嗣はしげしげとこちらを観察するかのような表情を浮かべた。

「すまないが先約がある」

「……わかりました」

 余所余所しい態度だった。だから、次の機会には是非とは言えなかった。諦めに近い感情が胸の内に湧いていた。

 ありがとうございますと酔った部下のひとりが叫んだが、第三継嗣は振り返りもしなかった。

 扉が閉まると部下たちが一斉に舩坂を取り囲んだ。

 受け取った革袋のとじ紐を舩坂が解いてみれば、案の定、中身は砂金だった。

「すげぇ……」

 部下のひとりが呟いた。

「……店、十回貸し切りにしても余るわね」

 女給仕がぼそりと零す。おそらく自分が一年で稼ぐ額以上はある砂金だ。

 俺の稼ぎは十五の若僧の小遣い以下ってことか――馬鹿にされたという感触。腹の底に怒気が溜まる――追いかけていって、第三継嗣にこいつを叩き返してやろうか――。 

「――舩坂さん、随分と若様に買われてるみたいね? こんな大金の扱いを任せられるなんて」

 どきりとした。

 そうだ、確かに女給仕の言うことの方が正論だ――自分は第三継嗣を警戒する余り、何処かずれた考えに囚われてしまったのではないだろうか。

「どうするの? 余った分は舩坂さんにって話だけど……」

 部下の視線が集まる。ここの支払いをしてもかなり余るし、自分の懐に突っ込むのは性に合わない――そして何より、分け前を寄越せと部下たちの眼が輝いている。

「……おまえたち」

 頭が痛い――そんな簡単に金で釣られてどうする。同時に納得――これが第三継嗣の目的なら、十分に効果を発揮している。

 餌を前にした子犬のように笑顔を浮かべる部下たちに向かって、舩坂はこう言った。

「限界まで飲め。――今晩中に使い切るぞ」

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