第13話 予備と其の予備


「ふたりで話すのは何時以来だ?」

「八ヶ月ぶりです、兄上」

 公会議から一刻の後、雅真は自らの私室に次兄、雅守を迎え入れていた。

「そうだったか。息災のようでなによりだ」

「兄上もご健勝のようで――。兄上には商才があると出入りの商人が言っておりました」

 雅真にしてみれば、敵意を明らかにしてくる長兄を迎え入れるよりは、人好きのする次兄の相手の方がまだ精神的に楽である。とはいえ、次兄も食わせ者と評判な男であり、油断はできなかった。

 硝子杯に酒を注ぎ、兄と自分の前に置く。部屋付き侍女は下がらせているため、手酌するしかない。

「商いは性に合っている。最初は戸惑ったが、慣れれば楽しいものよ。もっとも国の連中が何と言ってるかは知らんが……」

 次兄――第二継嗣、雅守は古鐘との盟により、領事として古鐘領に赴任している。そこで古鐘との貿易や利権調整の役割を担っているのだ。同時に、そこには鷹乃が古鐘に差し出した人質の意味もあった。

 だが次兄の商才は本物だったようで、彼の赴任の後、古鐘との物流は三倍以上に膨れ上がり、双方の国が莫大な利を得る事態になっていた。

「古鐘との交易は兄上に任せておけば安心だと取り沙汰されています」

「そうか? 人の往来が増えたんで、治安は悪くなっただろ?」

「許容範囲でしょう。上がった分の利で衛兵を増やしました」

 実際には流れ者に職を作ってやったというきらいが強い。だが、差し引きしすれば国が富む方向へと動いてるのだから、問題はないはずだ。

「兄上が補佐として大兄上を支えてくれれば、と言う話は耳にしています」

「そう思われてるなら成功だ。――そう言われるために、子飼いの連中を手放したのだからな」

 雅真は何とも言えなかった。

 次兄が長兄との後継者争いを避けるために、古鐘の領事に名乗りを上げたのは知っていた。

 次兄は自分より十歳ばかり年上であり、長兄とは直接的に後継者争いをする立場にあった。

 だが次兄はその流れから降りると宣言し、今では子飼いの家臣の大半を手放し、他国に居を構えている。

「……今日は兄上の御蔭で助かりました」

 でなければ、あの後どうなっていたものか――兄の挑発に切れた自分が言い返し、泥沼になっていたかもしれない。

「うん? ――あぁ、だが礼を言う相手は俺じゃないな。――おまえさん、古鐘の姫様をどう口説いた?」

「……は?」

 意表を突かれた。

「我が弟ながら、中々にして手が早い」

「口説いてなどおりませぬ」

 時々、次兄は馬鹿だと思う。

「そうか? 俺が早馬で駆けたのは古鐘の姫様の命令だぜ? 何しろ戦装束の姫様に叩き起こされて、国まで使い走りをしろと命じられたからな」

「それは――」 

 次兄が嘘を吐いているとは考え難い。だが、あの恐ろしい女が自分に便宜を図ろうとしてくれたという話も信じ難かった。

「……ここだけの話にしておけよ。――おそらく、あの感状は姫が書いたものだ。古鐘の一ノ姫は厳威公の花押付きの白紙を預かってるらしい。おまえさんが窮地に陥るだろうと予想した姫様は、感状を記し、褒美を付けて俺に寄越したんだよ」

「……瑠璃姫から報奨金を頂ける約束を結んでおりました」

「聞いている。――その話を姫から聞かされた俺の気持ちがわかるか? 殺されるかと思ったぞ」

 そう言って次兄は笑った。それから、おそらくあの短刀も姫様の私物だろうと言葉を付け足した。

 雅真は机の上に放置したままにしていた革袋と短刀を見詰めた。

「まぁ、俺の立場からすれば、古鐘の人間におまえさんが気に入られたのは喜ぶべきことだ」

 次兄は硝子杯に酒を継ぎ足して立ち上がった。ぐるりと部屋を見渡し、壁を埋める本棚に近づく。

「相変わらずだな――全部読んでるのか?」

「殆どは――。未読は寝台の横の棚に置いてあるものだけです」

 書籍に関しては、兄に依頼して集めることが多い。古鐘と鷹乃では書籍の流通量に格段の差があり、鷹乃の商人たちだけでは、雅真が求めるものを揃えることができないのだ。

「そういえば姫から伺ったが、おまえの賊の始末が尋常ではなかったらしいな。――なぜ、人差し指と中指だけを落として見逃した」

「あれは……外つ国とつくにの書で学びました。向こうでは敵兵を捕らえるとああするらしいです。指を二本落とせば弓が使えなくなり、剣術も駄目になると――。殺してしまえばそれまでですが、生かしておけば隷民として使えます」

外海そとうみの作法か……。なるほど、面白いものだな。……だが、兄上の好みではないな」

 冷たい声だった。

「兄の好みではない仕置を敢えて行う……即ち、第三継嗣に二心あり――そう讒言されてもおかしくはないぞ」

「気をつけます」

 本棚を漁る次兄の背中に向かって返した。

「――で、おまえに送った女だが……どうだ、具合は?」

 棚から引き出した書籍をぱらぱらと捲り、次兄が問掛けてきた。

「どうだとは――紹介された黒川嬢なら、侍女として雇っています」

 部屋付き侍女の顔を思い浮かべながら答えた。

「あの娘は俺の女の知己でな。素性はいい。大商家の娘だったが、両親が流行り病で亡くなって店が潰れた。それで俺の女を頼ってきた。半年ほど働かせてみたが書も算もかなりなものだ。部屋付きとして使えるだろ?」

 俺の女とは次兄の愛人のことだろう――篤田港を仕切る大商人の娘という情報は掴んでいるが会ったことはない。次兄には正妻がいないので、事実上の妻として扱われているという話は聞いたことがあった。

「助かっています。――写本を外に頼むと高いですから」

 本は書き写しが当然であり、流通していても高価だ。以前は自分で写本していたが、今は実務につくようになり、まとまった時間が取れない。その折に黒川が送られてきたのだ。

「そういう使い方じゃねぇよ。――抱いとけってことだ。自分の女にしておくんだよ」

 使い方という言葉に不快感を覚え、雅真は沈黙した。

「おっと、機嫌を損ねたようだな? ――まったく、おまえはわかり易すぎる。感情を隠すなら、もっと上手くやれ」

 何も言えない――次兄にはこういう怖さがある。

「女を充てがったのは理由がある。まず第一に悪所で遊んで、妙な病気を貰うよりは数段いい。――あの娘、容姿も悪くないし、本人もその辺・・・は弁えている」

 部屋付き侍女を事実上の愛人にする――武装領主や大商家ではよくある話だ。正妻が必ず後継を産めるわけではない以上、予備の子を作っておく必要はある。

 だが、問題なのは正妻が愛人より遅れて子をなした時だ。愛人の子が長子として後継に居座るのは筋合いが違う。よってその場合、愛人の子は後継から外されることになる――それを納得した上で子を孕む覚悟のある女は、権力者にとって都合が良かった。

「早く抱いてやれ。向こうだって、それを期待してる」

 次兄の下卑た笑み――嘔吐感が込み上げてくる。

「無理強いはしたくありません」

 雅真とて健康な男子である。興味がないわけではない。だが――左眼の奥が痛む。

「向こうはその気だぜ? 俺もおまえも空き物件としては優良だ」

「……彼女が安定した生活を求めているのであれば、将来が期待できる武人にでも紹介してやりますよ」

「阿呆、惚れた相手でなくては抱かんと言うつもりか? おまえさんもいずれ政略結婚が待ってるはずだぞ?」

 言葉を返すことはできなかった。おそらく自分は父か兄の望む相手と結ばれることになる。

「……わかってます。――ですが私の年で愛人を抱えるのは、生意気なのでは?」

「誰も文句は言わん。俺なんて同時に七人の愛人がいたこともあるぞ。曜日で抱く女を変えてたな」

 あの噂は事実か――改めて納得する。

「……巡回警邏隊の仕事を始めたばかりです。忙しくしていますので」

 あの集団を手懐けるのには時間が掛かる。特に副長は反逆者の血族であり、世を僻んでいる。素直に受け入れてくれるとは思えなかった。

「馬鹿野郎、それではあの娘が欠陥品だと思われるぞ。若い継嗣のお手付きにならない侍女など、体か頭のどちらかがおかしいと誰もが思う。――孕まない可能性もあるんだ。好悪は別にして早めに抱いてやれ」

 苦々しいが事実ではある。結局は彼女がここに送られてきた時に運命は決まっていたというわけか――。

 だが、領主の愛人の――第二婦人の子である自分に向かって、そう吐言い捨てるだけの鈍感さが次兄にはある。何かと配慮してくれる次兄ではあるが、それは気に食わなかった。だから雅真は反撃することにした。

「……兄上、覚えておられますか? 兄上が付き合われていた宮元三郎卿の娘との――」

「――あぁ、あれはすまなかった。うん、あいつがそこまでしつこい奴だとは想像もしてなかった」

 次兄の声が上擦った。

「そうですね。私は十も年長の女に襲われそうになるとは思いませんでしたよ」

 次兄が古鐘に赴く前の話だ。次兄に呼び出された雅真は、そこでひとりの女に引き合わされた。

 あぁ、兄の愛妾に紹介されたのだなと軽く考えていたのだが、その後は予想外の展開となった――次兄は自分に向かって、この女と結婚するのはどうだと言ってきたのだ。

 話がみえなかった自分がおめでとうございますと伝えると、いや結婚するのは俺じゃない、おまえとこの女だ――そう言って次兄は笑った。

「いや、あれは冗談のつもりだったんだ。俺は責任取れんから、他の男を紹介してやるってな……。で、何人か紹介したんだが、いずれも蹴られてな――だが、おまえの顔を見たあいつが本気にした。つまり、半分は俺のせいかもしれんが、もう半分はおまえのせいだな」

 妙齢というには些か薹の立った女だったが、気立ては悪くなかった。だが当時の自分は十三歳――結婚などできるはずもない。

「私に落ち度はないです」

「――あった。おまえ、あの女の好みの顔だった。それがいけない」

「それは――」

 相変わらずよく回る口だ。

「……あの方は神舎に入られたそうですよ」

 振り切って逃げたものの、次兄に捨てられた女の行く末は気になっていた。

「素晴らしいことだ。彼女の行く末に神の恩寵が在らんことを願う」

 我が兄ながら最低だな――だが、何故か糞野郎の方が女受けがいいことを雅真は知っていた。わざわざ匪賊の頭領の妻になりたがる女もいるとも聞いたことがある。

「……ところでおまえ、これからどうするつもりだ? 栄ノ常の叔父貴を継いで司法官にでもなるのか?」

「叔父上は自分の子に司法を継がせたがってます。私は戦場働きできれば、それで……」

 そもそも自分に選択肢はあるのか――巡回警邏隊隊長就任も兄からの命令だった。

「やめておけ。武を誇るは知の足りない者のすることだ。本当の戦場は日常にあると気づかない愚か者たちだけが戦場を好む」

 これだから次兄は怖い――雅真は表情に出さぬように意識した。 

「おまえは賢い。使途がある。なんなら俺の所に来るか? 商いを教えてやる」

「それは――」

 意外な誘いだった。てっきり次兄からも警戒されていると思っていたのだ。

「――興味はあります。ですが、私と兄上が一緒にいることを望まぬ輩は多いのでは?」

「……そういや、そうだな」

 第一継嗣の取巻きからすれば、第二継嗣と第三継嗣の接近は好ましくないと考えるだろう。

「いずれにせよ、親父殿は近いうちに兄貴に家督を継がせるつもりだろうしな」

「目出度いことです」

 家督が確定してしまえば、長兄も今ほど邪険ではなくなるかもしれない。

「おまえと兄貴は相性が悪い。――俺も良いとは言わんが、おまえよりはマシだ」

「……特に不便を感じたことはありませんよ。私に厳しくするのも、家族の情が見えては部下に対して示しがつかないからでしょう」

 空々しい嘘だ。

「おまえがそれでいいなら、これ以上は言わんよ。――さて、俺はそろそろ古鐘に帰るとする」

「お気遣いに感謝です。父上との食事は?」

「断った」

 長居はしたくないんだよ――そう言って第二継嗣は笑った。それが別れの挨拶となった。




  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る