第11話 第一継嗣、是正
鷹乃領主、
謁見の間に見られるの儀礼的要素は薄く、実務の多くは、この狭い執務室の中で処理されることになっていた。
そして今――部屋の中には領主、鷹乃弦正と第一継嗣、
家臣筆頭、
暖炉には火が入っているものの、天井が高いせいか寒々しい空気が漂っている。
議題は古鐘との国境近くで起きた事件の始末についてであり、既に報告を終えた雅真は沈黙を保っていた。
すべてが血縁者か――居並ぶ重鎮たちの顔を眺めて思う。
家臣筆頭の小野田定信は父、弦正の妹を娶っており、鷹乃栄ノ常は父の弟だ。そして領主執事の中ノ内の娘を兄、是正は正妻としている。つまり、この場に出席しているのは鷹乃の中枢に関わる者だけ――並の臣下では参列すら許されない場なのだ。
「古鐘の魔女――いや
小野田が虎髭を揉みながら言葉を漏らす。それは難題を抱えた時の小野田の癖であることを、この場に集った人間は熟知していた。小野田は無骨な風体なわりに繊細な考え方をする男で――いや、繊細だからこそ、厳つい容姿を己に課しているのかもしれないと雅真は考えていた。
今回の一件は有り体に言って異常である。隣国の武装領主の後継候補が武力越境していたことも、またその一族に連なる者が拉致されていたことも通常では考えられない出来事だ。
「ともかく状況の整理を――古鐘公の息女、初芽姫が無事生還されたことは喜ぶべき事。問題は瑠璃姫の騎士団による越境――つまり我が国への侵犯があったことにどう対応するかですな」
小野田は溜息を吐きながら言った。
「先年、改められた古鐘との約定では、国境を跨ぐ賊については互いに協力して鎮圧するという話になっている」
中ノ内が冷静に現状を補足する――実に執事らしい性格。
「中ノ内殿の言うとおり。だが互いの領土に徒に侵入せぬことも、約定には明記されている。何よりも国境を超える際には事前に協議するという話になっている。――今回はいずれも当て嵌まらぬよ」
法的な側面からの指摘は鷹乃栄ノ常だった。その言葉を小野田が憎々しげに受けた。
「では如何する――古鐘に申し開きせよと使者を送るか?」
鷹乃栄ノ常は苦々しい表情を浮かべた。古鐘と鷹乃では家格が違う――同盟関係ではあるものの、それは従属同盟であり、上位は古鐘である。下位者が上位者に対し、謝罪を求めるは許されるだろうか――。
「それはさぞ胸が空くだろうな。だが古鐘の後盾を失えば、我等は
八岐清澄氏は鷹乃の東にある武装勢力である。鷹乃の五倍以上の領土を抱えた大領であり、領主の
「八岐清澄ごとき――」
「――負けるとは言わぬが、大きな犠牲を払うことになる。その犠牲を払えば、それこそ八岐清澄にせよ、古鐘にせよ、我等を襲うだろうよ」
領主の弟だけあって、鷹乃栄ノ常の言葉遣いは些かぞんざいであった。だが、その見解が間違いでないことは誰もが理解していた。
鷹乃の戦力が落ちれば、これ幸いとばかりに八岐清澄は攻めてくるだろうし、古鐘としても盾の役割を果たせなくなった鷹乃を放置はしないだろう。良くて併呑、場合によっては強行手段を持って、鷹乃占領を図るかもしれないのだ。
「では沈黙を決め込むか……」
小野田の呟き――それは嘆息に近い。妥協を示唆する空気が重臣たちの間に満ちていく。だが――。
「――不問にはできぬ」
重い声――第一継嗣、鷹乃是正だった。
「不問にしては今後何があっても、古鐘に抗議することができなくなるであろうよ。――諸兄に問う。国境で同じ事が繰り返されたら如何するつもりだ?」
その度に我等は沈黙せねばならぬのか――是正の指摘に重臣たちの空気が引き締まった。
「……第一継嗣の仰るとおりですな。我等の認識が間違っていたようです」
頷いたのは中ノ内だった。
家臣筆頭の小野田の表情が僅かに曇ったのを雅真は見逃さなかった。中ノ内は第一継嗣に娘を嫁がせている。父が引退すれば、第一継嗣がこの国の領主となる可能性は高い。その時、家臣筆頭の地位が誰に与えられるのか――領主としての父は未だ健在ではあるが、家臣たちの次代に向けての駆け引きは既に始まっている。
「……左様ではあるが、それでは古鐘と揉めるぞ」
小野田の歯切れは悪い。
「何を言う、小野田殿。我々は古鐘と揉めても言うべきことを言う。――で、ありますな、第一継嗣」
中ノ内は第一継嗣との繋がりを誇示するかのように言った。愚者が――雅真の内圧が高まる。
「同盟律に基づいて抗議するならば、吾の仕事になるな。古鐘には知己を得ている。そこから手を回すか……」
鷹乃栄ノ常だった。
それならば問題なかろう――栄ノ常の言葉に渋々ながら小野田が同意を示した。
第一継嗣の意見を立てつつ、問題を起こさない抗議方法――それを作ることに重臣たちは力を注いでおり、物事の本質が見えていない。雅真は暗い森の中で出会った紅髑髏の姫君の姿を脳裏に浮かべた。
地の底から現れた麗しき魔――天から下ってきた仙女。
あれはとてつもない化物だ――ひょっとしたら、この国の歴史を変える存在になるかもしれない。
あの女は軍隊の移動を常に正確に捉えることができた。目標とする人物の居場所を把握することすらもやってのけた――推論を混じえずに事実だけを報告したのだが、鷹乃の中枢にはどうにも信じられていないようだ。
重臣たちは、これがどれだけの軍事的優位であることを理解していないようにも思える。もし、古鐘が敵に回った場合、奇襲は不可能となるし、逃亡を図ろうとしても確実に見つけられてしまうというのに、何も――。
では、どうやって対抗すればいい――そこまで雅真が思考を進めた時だった。
「雅真」
第一継嗣、是正が呼びかけてきた。
「何でしょうか、兄上」
是正は父、弦正に似て体格に優れている。身に纏う気配まで同じだと褒めそやかす家臣もいるほどだ。そして鷹乃領の事実上の次期武装領主として、父の鷹乃弦正を補佐している。
「此度の問題は貴様の判断にある」
重臣たちの視線が雅真に集まる。
「――何故、姫巫女を我等が城にお招きしなかった。答えよ」
第一継嗣、鷹乃是正の瞳は炭のように黒い。
「……何分、火急の要事でありましたゆえ――致し方なく、現地にて判断しました」
あの状況で早馬でも走らせろというのか――言葉裏で反論する。
「――おまえに外交権があると考えたか? おまえは父上の――領主の大権を犯した」
「そのようなつもりは――」
拡大解釈に過ぎる――だが、兄は言葉を被せて弟の発言を封じた。
「――古鐘の侵犯があったは紛れもない事実。――おまえは古鐘との交渉材料を潰したのだ」
第一継嗣は不愉快という感情を隠そうとしていない。
「我らは古鐘と盟を結んでいるが、配下になったわけではない。我が弟はそれすら理解していないのか? よもやとは思うが古鐘と繋がっているのではあるまいな?」
「いいえ、兄上。其のような事実はありませぬ」
小野田の空咳――中ノ内は視線を伏せ、鷹乃栄ノ常は目を瞑った。
「では、何故だ。何故、姫巫女を城までお連れしなかった?」
あぁ、兄は家臣たちに第三継嗣が愚か者だと訴えたいのだな――雅真はそう理解した。
しかし何故、兄上はそこまで私を警戒するのだろうか――後継者争いにおいて、どちらが有利な立場にあるのかは一目瞭然だというのに。
それに兄に万が一があった時の予備の役割は第二継嗣が果たすことになっている――だからこそ、第二継嗣が邪魔だというのであれば理解はできる。しかし、第一継嗣と第三継嗣である自分では年齢が十五違う。
通常であれば後継者としての競争相手にはならないはずだ。それでも兄は自分を貶めることを躊躇しない。その真意が理解できない。
「……城まで案内すれば、父上の格を落とすことになると考えました」
だからこそ雅真は冷静な態度を崩さずに答えた。卑屈にはなりたくなかったのだ。
「古鐘の女には侵犯の非礼を詫びさせる。それを父上が寛大なる慈悲によって許す。――何故、父上の格が下がる」
兄はの言葉は続く。
「古鐘の後継候補が鷹乃の本城に出向いて膝を折ったという事実――これは周辺諸国に大きな影響を及ぼす」
救いの手を伸ばす者はいない。上座の父も目を閉じたまま、身動ぎもしていなかった。
「答えよ、雅真。――何故、父上の各を上げる機会を無下にした」
「……許せと姫巫女に言われれば、父上は許すとしか答えられませぬ」
中ノ内が驚きを隠し切れないでいる。栄ノ常は胸の前で手を組み、小野田は視線を伏せた。しかし、兄だけは表情を変えずにいた。
暖炉の火が爆ぜた。それに促されるようにして雅真は自説を語り始めた。
「古鐘の姫巫女の要請に鷹乃の領主は逆らえない。その証拠に国境跨ぎされても、文句ひとつ言わずに、城に招いた――世間はそう見ると考えました」
どんよりとした大気が纏わりつく。
「少なくとも――私が古鐘側の人間なら、自らの失態を打ち消すために、そう喧伝します」
間違いなくそうする――それによって鷹乃の領主を古鐘の後継候補以下に貶める。格付けとはそういうものだ。
「……弟よ、鷹乃の権威はそれほど低いと? 古鐘の領主ならともかく、その娘にさえも頭を垂れるしかない小物だと思われると――」
第一継嗣の声は冷ややかだった。それは兄が怒鳴り散らす前に発する声音だと雅真は知っていた。
「そう考えました」
「――おまえが弟でなければ無礼討ちだ」
第一継嗣はそう言って沈黙した。
重臣たちは取りなすことをしなかった。そして父――鷹乃弦正も一言も発しない。
左眼に痛み――強い緊張に襲われると必ずこうなる。雅真は数秒だけ瞑目すると改めて弁解した。
「蔑ろにされるのを避けた結果です。――古鐘の姫巫女は、鷹乃の巡回警邏隊に助けられた上、国境まで送り返された。これが此度の事件の総括です。非はすべて古鐘にあり、我等は手落ちなく対応した」
何か付け足すべきか――いや、これ以上に言葉を重ねる意味はない。
「おまえのしたことは父上の――領主の権限を犯す行為だと言っている」
駄目だと雅真は理解した。兄はこの件について、何としてでも弟に責任を取らせるつもりらしい。
兄弟の序列は明白であり、揺るぐことはないというのに――。
「この国の主は誰だ? 答えよ、雅真」
「今は父上にございます。そして近い将来、兄上が継がれると認識しております」
後継争いなどに興味はない――常々、その立場を明示しているつもりだ。だが、兄は自分を疑い続けている。何がそれほどまでに兄の疑心を掻き立てているのだろうか――。
「追従で誤魔化すつもりか、小賢しい」
一族は団結して外敵に備えるべし――太祖の言葉は最早失われてしまって久しいのだろうか。
「そのつもりはございませぬ」
兄の挑発が如何にも面倒だ――いっそ追放でもしてくれればいい。そうしてくれたら自分は――。
「その不遜な態度が、事の原因だと知れ。――己が小者であることを自覚しろ」
「とうの昔に自覚しておりまする」
「いいや、わかってはおらぬ。賢しげな態度を取るが、その実、おまえは何もわかってはおらぬ」
であれば、どのようにすれば良かったのですか――そう言ってしまえば、兄と全面戦争になる。
第一継嗣は言葉を止め、ただ睨みつけてきている――仲裁してくれる家臣はおらず、ただ自分だけが悪者になっている。そして――。
何故、父上はこの状態を放置するのだろうか――。
上座の父は瞑目したままだ。
兄弟の決裂が明らかになったというのに、何もしようとしない。
やはり自分はもう必要ないのだろうか――兄の子は今年で五歳になる。利発な子だという。
父から兄へ、そしてその子へという流れが確立してしまえば、これ以上、予備を飼っておく必要はない――父はそう考えているのだろうか。
胸に満ちる寂寥感――思えば父とは満足に会話を交わしたこともない。父は常に遠くにいて、峻厳な態度を崩さなかった。
執務室の扉を叩く音が三度――父の近侍が現れ、恭しく頭を垂れて言った。
「第二継嗣、雅守様が只今帰参なされました」
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