第9話 帰城


 曇天の空の下、巡回警邏隊は二列縦隊で街道を本城へと向けて進んでいた。

 人々の往来によって踏み固められた街道――その両脇には収穫を終えた陸稲農地と、これから生育期を迎える麦畑が連なっている。

 今年の穀物収穫は例年並であり、他領へ略奪に行かなくとも冬越えに支障はない――その事実を喜ぶかのように、楼崎平野には炊事の煙が幾条も棚引いていた。

 そして、その煙が支えるような空に翼竜の群れの隊列。大人の三倍ほどの大きさがある翼竜は、稀にではあるが人を襲う。さすがに大人を持ち上げることはできないが、赤子くらいなら余裕で攫っていく。だから鷹乃の農民たちは赤子は家の中で慎重に育て、四歳になるまではひとりで出歩かせることはしない。その年齢を超えてから手習いを始めるのが通例である。

 鷹乃の本城――垂水城は楼崎平野を貫く永依川の河口近くにあった。

 四辺のうち二辺は断崖になっている。他の二辺はなだらかな坂で、それが城下街へと繋がっている。

 城下街を囲む街壁は焼成煉瓦で作られており、高さは三丈近くある。街壁には幾つもの城壁塔が設置され、矢狭間が設けられている。そして街壁の上部には歩廊が設けられ、戦時には兵士の移動が速やかに行えるようになっている。鷹乃の太祖、鷹乃黎元れいげんから続く、防衛工夫が施された城下街だった。

 巡回警邏隊が第一正門前に到着すると、衛兵たちが帰還礼として儀仗を掲げた。

 雅真が答礼を返すと警邏隊が続く――門を抜けて街中へと進んでいく。

 正門から続く大通りには大市場が設けられている。

 市場は活気に満ちているが、どこか雑然としている。商人、工人、若者、老人、そして少数の亜人――街を歩く人々は様々だ。しかし車輪に断罪鎌の文様の入った警邏隊に声を掛ける者はいない。視線を伏せ、足早に通り過ぎていく。

 処刑を担う巡回警邏隊は領民たちからは恐れられている――ましてや遠征から戻ってきた巡回警邏隊の准騎士たちは、明らかに一戦終えた風体をしていた。鎧には乾燥した血液が黒々とこびりついており、怪我をして包帯をしている者も多い。何よりも無言で蛇馬を進めている様子が、如何にも禍々しいのだ。

 大市を抜け、中門の前に到着すると雅真まさざねは舩坂に声を掛けた。

「――副長、隊に二日間の休暇を与える。叔父上の許可は頂いている」

「有り難く――」

「おそらく次の仕事は賊の残党征伐になる。三日後に里海師範と私の部屋に来るように。私の部屋の場所は師範が知っている。――では後は任せる」

 雅真が左胸の車輪と断罪鎌の印章に二度手を触れると、それを合図に警邏隊は離れていき、中門を潜る雅真に付き従うのは女武芸師範のみになった。

 中門から先は貴族街であり、選ばれた人間しか通行を許可されない。街人の姿は消え、騎士や城の務人の姿だけが視界に映る。

 自然、雅真は横に並ぶ里海師範と小声で会話しながら、主塔へと蛇馬を進めた。

「教導師室のひとりは殺さずにおくべきだった」

 結果として攫われた古鐘の姫君の救出には成功した。だがその後に発生した問題は大きかった。

「首魁を生かしたまま捕縛していれば、誰が裏にいたのか、知ることができたかもしれない」

 その情報を掴んでいれば、古鐘に対し有利な立場を構築できただろう――そう考えると手落ちした感が強く思えるのだ。

「あの状況では人質を救えたことだけで満足すべきでしょう。すべてを望むのは失敗への近道です」

 里海師範の声は柔らかかった。少し笑っているようにも思える。

「……師範、私が失念していることに気づいてましたね?」

 思い返してみれば、突入前の打ち合わせ時に、里海師範は殆ど発言しなかった。警邏隊との初陣で心に余裕をなくし、人質奪還後の展開まで気が回っていなかった自分をあえて放置していたのではないだろうか。もし、それが事実なのであれば、それは部下として怠慢ではないだろうか――。

「私は客分――いずれは去る身です。なればこそ、譜代の臣とは異なる教育の作法がございます」

 失敗しなければ気づけない――剣術の訓練の中で、里海師範がよく口にする言葉だ。

 だから何も言わなかった――里海師範の教育方針には若干の疑念を抱きながらも、この失策は永遠に記憶すべきだと雅真は心に刻んだ。

 やがて城の主塔の入り口が視界に入ってきた。ここから先は選ばれた者しか立ち入りを許可されていない区画である。

 主塔の入り口まで蛇馬を進めた所で雅真は武芸師範と分かれた。武芸師範は自分に充てがわれている私室に向かい、警邏隊と同じく二日間の休養を取ることになっている。その間は訓練も行わない。

 あとは父上と兄上に此度の事件について話せば、初の任務は終わる。

 灰色の空を見上げて雅真は溜息を吐いた――報告すべきことは多い。抜かりのない言い訳も考えた。だが、それはひどく気が重いことなのだ。







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