第8話 後始末と


 教導師室の死骸は片付けられた。

 蝶番が半分馬鹿になった扉を舩坂が後ろ手で閉めると、室内には何とも言い難い空気が満ちていった。

 協議は四人で行われることなった――古鐘側からは姫巫女、古鐘瑠璃ふるかね るりと双頭蛇の兜を被った騎士、永江藤和ながえ とうわ

 鷹乃側は第三継嗣、鷹乃雅真たかの まさざねと巡回警邏隊副長の舩坂干城ふなさか たてき

 舩坂は女武芸師範が第三継嗣の側付きとして侍るだろうと思っていたのだが、里海師範は攫われていた古鐘初芽ふるかね はつめの――古鐘瑠璃の妹君の預かり役として隔離されていた。

 教導師室の暖炉には火が入れられ、炎の照り返しで室内は赤橙に染まっている。

 古鐘の姫巫女――美しい黒髪に癖はなく、白い肌は透き通るよう――年齢は第三継嗣と同じくらいに思える。

 薄絹の面布を付けているため口元は確認できないが、瞳は大きく濡れているように見えた。

 古鐘の守護女神――そして敵国からは古鐘の魔女と呼ばれる女。

 一説に拠れば、魔女は人の精神を操ることができるという。

 魔女に逆らった農夫が、自分を狐だと思い込む魔術を掛けられて数十年を過ごし、妻子を失ったという童話もある。

 つまり古鐘の姫巫女ならば、当人の了解を得ずに、その体を乗っ取ることもできるかもしれない――そんな女の前に自分は立っている。神経質にならないわけがなかった。

「まずは経緯の説明を。――舩坂、頼む」

 頼むじゃねぇよ――内心で毒を吐きながら、恭しく頭を垂れる。

「昨日夕刻、移動裁判所の護衛として美作みまさかに駐留していた我等巡回警邏隊の下に、女人誘拐さるとの通報がありました。近隣の村人の案内により、我が領内の現場に訪れた所、従者四名、賊六名の死体を確認しました。蛇馬の足跡から、この付近の森へ逃走したと判断し、近隣住民の協力を得て捜索を継続。森の中に古の邪教の廃聖堂があることを発見しました……」

 姫巫女からの視線を避け、双頭蛇の騎士の顔面を見詰める。

「……その後、賊は廃聖堂を占拠したと判断し、これを包囲。同行を志願した村人数名と警邏隊が突入した結果、ふたりの女性の救出に成功しました。その後、降伏した賊から事情を聴取し――」

「――そこまで」

 第三継嗣が止めてくれた事に舩坂は若干の安堵を覚えた。ここから先はどう説明していいか検討がつかなかったのだ。

「以上が事の次第になります、猊下」

 第三継嗣は冷静だ――舩坂は己との器の大きさの違いを感じ、少しばかり第三継嗣に嫉妬した。

「猊下はおやめください、鷹乃殿。――我々は貴公らに感謝せねばならぬ立場でしょう」

 姫巫女の言葉は音曲のような調べ――畜生、小娘の癖に妙な色気がありやがる。閨で囁かれたら理性が無くなるかもしれない。

「――お待ちください、姫殿下」

 永江藤和――双頭蛇の兜の男だった。

「あれが無辜の領民のはずがありません。明らかに刃傷沙汰を経験している体をしていた」

 当然気づくよな――戦場で生きてきた人間にしてみれば、そいつが人を斬ったことがあるかないかは勘で当てられる。

「若い頃に兵士として戦場に出たことのある男です。でなければ賊成敗に同道させるわけがない」

 平然と嘘を吐く――第三継嗣の切り返しを、舩坂は少しばかりの嫌悪感を持って受け入れた。

 場を操るために嘘を使う――それが為政者として必要不可欠な資質だとしたら、自分には到底できそうもない。悲しい自覚と共に、舩坂は第三継嗣の背中を見詰めた。

「――貴様らが初芽様を誘拐した。これは鷹乃の裏切りだ」

 永江の磨り潰すかのような声に舩坂の心臓が強く反発する。

 眼の前の騎士は、古鐘領の姫君誘拐を鷹乃の仕業だと言った――違うと声に出しかけた瞬間、第三継嗣の手が触れた。

 口を開くな――第三継嗣はそう指示している。

「……永江殿、それは当方を侮辱する意図ありと受け止めますが?」

 第三継嗣の氷塊のような声――室内の温度が下がったかのように感じる。

「如何にも、だ! 鷹乃の蛮人といえども、言葉の意味は解するようだな」

 腹の底に何かが落ちた――永江とかいう男は俺たちを舐めている。それは絶対に許してはならない。与えられた侮辱に見合う代償を払わさせねばならない。

 第三継嗣の制止を無視して一歩前へと進み、拳を固めた。顔面への一撃で賊を殴り殺した経験が舩坂にはある。

「――永江」 

 姫巫女の叱責に永江が吠えた。

「いいえ、黙りませぬ! この者どもは恐れ多くも初芽様を攫った! この者たちこそが賊であります!」

 永江は腰に佩いた剣に手を伸ばす――間合いは既に一足一刀。だが剣を抜くより、俺の拳のほうが速い。

「――誰が初芽様誘拐を示唆したのかの情報を我らは得ております」

 第三継嗣だった。

 舩坂ははっと息を呑んだ。

 第三継嗣は永江を視界に入れず、古鐘の姫巫女だけを見詰めている――それが気に食わないのであろう永江が再び吠える。

「嘘だ、おまえは嘘を言って――」

「――永江」

 姫巫女の声は囁きに近かった。だが大声で喚いていた永江は止まった。

 空気が重い――目に見えぬ圧力のようなものを感じる。同時にそれが姫巫女から発せられたものであると舩坂は察知した。

 この女は本物の魔女なのか――舩坂に異能者と戦った経験はない。だが、この場において最も敵にしてはならないのは、目の前のか細い女性だということは理解できた。

「お話を伺いましょうか、鷹乃殿」

「姫殿下の望むままに――」

 暖炉の熱がまったく感じられないほど寒々とした室内――まるで第三継嗣と姫巫女のふたりだけが存在しているような気がする。

「察しのとおり、永江殿が殺めた男たちは賊でした。ですが改心して我等に情報を――命と引き換えですから、確度は高いと考えています」

 いきなりバラすのかよ――舩坂は驚いた。永江も何か言い掛けたが、姫巫女は続けてくださいと第三継嗣を促した。

「賊は古鐘の内応者から国境近辺での交易情報を仕入れていたとのことです。襲う価値のある隊商だけを狙う――恐ろしく狡猾なやり方です。そして、その情報を仕入れるための密会場所は、古鐘領内の呼久楽こくらにある東屋」

 賊の名無しは下級幹部とでもいうべき立場にいたようで、思いの外、様々な情報を抱えていた。

 語るにつれて、清々したという雰囲気を醸し出していた老齢の賊――あの男は既に死んだという事実を舩坂は実感した。

「内応者は積荷と同行する護衛の正確な数を教えてくれたと――」

 積荷と護衛の数は国境の関所に報告しなければならない掟だ。

「――内応者は関の情報を抑えられる立場である、か……」

 第三継嗣の言葉を受けたのは姫巫女だった。第三継嗣は頷いた。

「ある日、密会中の賊は内応者が封蝋用の指輪を外し忘れていることに気付き、その形状を記憶したようです。内応者の正体を把握すれば、今後の取引で有利になると考えたとのことです」

 何が指輪に刻まれていたのか――姫巫女は第三継嗣を表情で促した。 

「……稲穂に雀。そして百足。――雀は燕かもしれないし、百足は龍かもしれませぬ。ですが間違いなく、そのような紋章を持った男が初芽様の誘拐を依頼してきたとのこと」

 馬鹿な――永江が呻いた。

 舩坂には見当がつかなかったが、永江には心当たりがあるのだろう。

「余人のいる場で、この話をすれば何が起きるか――ですから姫巫女と直接話をする機会を得たかったのです」

 一瞬だけ永江を見て第三継嗣は話をまとめた。

「鷹乃殿の配慮に感謝を――」

 姫巫女の囁き。

「有り得ぬ、到底真実とは思えぬ。有り得ぬ話だ。そんなことはあってはならない――」

 有りえぬ、有りえぬと永江は小さく繰り返している。

「――お知り合いでしたか?」

 第三継嗣が永江に向かって言った。遊んでやがる――舩坂は思った。

 問掛けで永江を黙らせると、満足したのか第三継嗣は姫巫女に向かって語りかけた。

「御家の御事情は計り兼ねますが、捕縛するなり、泳がせるなり、望むがままにされるがいいでしょう。我等には関わりのないことですゆえ」

「鷹乃殿と巡回警邏隊に感謝を」

 それから改めて我が部下の非礼を詫びると付け足した。

「姫殿下、それは……」

 永江が苦しげに口を挟もうとする。

 鷹乃と古鐘は友邦国とはいえ、格下である鷹乃に頭を下げることがあってはならない。そう考えての行動だと舩坂は察した。それは国の名誉を担う立場にいれば、ある意味では当然の考えとも言える。

「妾に頭を下げさせたのは其方ですよ」

 古鐘の姫巫女は永江を見ずに言った。

 居た堪れない――永江という男は腹立たしい野郎ではあるが、彼の立場や考え方が理解できてしまえば、同情もできてしまう。彼なりに忠義を尽くそうとして間違えた――そして、その間違いが御家の立場を危うくした。

 第三継嗣は姿勢を正した。それから姫巫女と永江に向かって宣告した。

「古鐘は我等が領民を無残に殺した。――よって謝罪と見舞金を頂戴したい」

 冗談だろ――およそ常識では考えられない要求だ。

 第三継嗣は大領領主の息女に領民の――否、賊の命を奪った賠償を請求している。

 妹を誘拐した賊の命の代価を請求するなど、よほどの馬鹿でなければしない。いや、馬鹿でもしない――舩坂は自分が仕えている人間が何者なのか、まるでわからなくなった。

「き、貴様……!!」

 永江が再び気色ばむ。第三継嗣の要求は過剰だ――これでは和解の空気が乱れるのも当然だ。

「鷹乃殿の望みに応じましょう。――名目は我が妹の救出に尽力し、命を落とした者の家族への弔慰金が妥当でしょうね」

「――は?」

 舩坂は思わず声を出してしまった――今、古鐘の姫巫女は何と言ったのだ。まさか、第三継嗣の要求をあっさりと飲み込んだというのか。

「そういえば警邏隊への報奨金を忘れていましたね。そちらについても――」

「い、いいえ――! 恐縮です! あくまでも通常の任務の範疇です! 謹んで辞退を――お許しください」

 喉に声が引っ掛かる。唐突に大領の姫君に話しかけられれば当然だ。

 その様子が可笑しかったのかもしれない――姫巫女は微笑しているようだ。不意に視界の隅に、笑いを噛み殺している第三継嗣が見え、舩坂はぶん殴ってやろうと心に決めた。

「姫殿下、衷心より感謝申し上げます」

 それから第三継嗣は賊を正式に弔うと述べ、姫巫女はそれに賛意を示した。

 ここが落とし所か――舩坂は半ば唖然としながら、事の推移を見守っていた。控えていた永江が口を開いたのは、その時だった。

「……姫殿下、不肖永江に発言をお許しください」

 構いませんよ――古鐘の姫巫女はどこか楽しげだ。

「此度の失態は私に依るものではありますが、他国への侵入が咎められ、見舞金まで支払うとなれば、今後の姫殿下の立場が危うくなりましょう。私めが自害いたしますゆえ、それですべてなかったことに――」

 そう言うだろうな――わからない話ではない。

 元々、永江は国境侵犯の目撃者全員を消すつもりだったのだろう。だがそれは最早叶わぬ事態だ。であれば主の名誉を護るためには、誰かが責任を取らねばならない。

 ムカついたが、悪い奴ではなかったか――舩坂は永江に同情した。

「――自害は認めませぬ」

「姫殿下、ですが――」

「黙りなさい」

「いいえ、黙りませぬ。私の浅慮で姫殿下の名誉を――」

「名が汚れようが一向に構いませぬ」

「しかし、これは姫殿下の跡継ぎの話にも……これは由々しき事態であり――」

「諄いと言っているのです」

「――ならば、このような筋では如何でしょうか」

 ふたりの会話に割って入ったのは第三継嗣だった。

 聞きましょう――姫巫女が興味を示すと、第三継嗣は姿勢を正してから口を開いた。

「かねてより古鐘、鷹乃の両国は国境を跨る匪賊を滅せんとしていたが、賊の本拠地が掴めず難航していた。しかし、家中に賊と通じたる者ありと察した姫殿下は、この機を利用して賊を殲滅することを計画された。ただし、獅子身中の虫を炙り出す所業であり、家中に頼るは最善といえなかった。そこで姫殿下は友邦国である鷹乃に協力を要請。鷹乃はこれを受け、姫殿下の指示に従い、賊を待ち伏せし、これを殲滅した」

 あぁ――吐息と共に永江の瞳が輝いた。

 第三継嗣は誘拐事件を、自分たちの仕掛けとするつもりなのだ。そうすれば古鐘の面子も立ちましょう――第三継嗣はそう言っている。

 こいつには詐欺師の素質がある――舩坂は目眩を覚えていた。

「予定どおりに賊は掃討され、初芽様は怪我もなく救出された」

 それから――第三継嗣は言葉を追加した。

「証拠として賊の死体が必要でしたら、お持ち帰りください。大広間には焼死体が転がっています」

「有り難いことです」

 わからない――第三継嗣は投降した賊の墓を建てるために、古鐘から金を巻き上げた。

 だが、投降した賊以外の死体は晒し者にしても構わないと平然とした態度で宣う。そして姫巫女は、それを当然の如く受け止めた。舩坂には両者の考えの基準が何処にあるのかが理解できない。

 古鐘の姫巫女が童女のような笑顔を浮かべた。

「色々と譲歩しましたが、ご理解くださいな」

「えぇ、姫殿下の恐ろしさは十分に……」

 互いに見詰め合うふたり――禍々しい気配。

「私が恐ろしいですか? まともに剣も扱えぬ未熟者ですが……?」

「夜の森を案内もなしに廃聖堂に辿り着く。――まさに姫殿下にしか出来ぬ業でありましょう」

 あぁ、そのとおりだ――この女は魔物に違いない。

 俺には理解できない世界が此処にある――舩坂は心の底からそう思った。

「鷹乃との盟が長きに続くことを願います」

「姫殿下の望む限り、盟は末永く守られましょう」

 もし、この世の中に本当に化物がいるのだとすれば――きっと目の前の男女のような形をしているに違いない。舩坂は心の底からそう思った。












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