第7話 信義を求めて

 静寂――僅かな風の音。虫の唄も今は消えている。

 双頭蛇の兜を被った銀鎧の騎士は動かない。その後ろに控える騎士たちも動けない。

 第三継嗣は場を制することに成功した――舩坂はそう認識したが、同時に自分が第三継嗣を見誤っていたことを自覚していた。

 第三継嗣は今まで自分が仕えてきた上将たちとは違う。場合によっては卑劣な手段を選ぶことを厭わない男だ。

 しかし、これが本当に十五の餓鬼のすることか――妙な愉悦を覚える。

 今、第三継嗣は沈黙し、騎士団は動かない。

 そして首筋に短刀を受け、身動ぎもせずにいる娘。

 鼎の脚がひとつでも折れれば、全ては引っくり返る――だが、それでも第三継嗣はこの場を支配している。

 どうでる――敵さんは退くのか、退けるのか。黙って退きやがれ――ジリジリと時間が過ぎていく。

 そして、どれだけの間があったのだろうか――双頭蛇の兜の騎士が、ゆっくりと剣を抜いた。

 数で押し切るしかない――双頭蛇の騎士はそう判断したのだろう。舩坂の緊張感が高まり、右手が剣を探る。

 干戈に訴える時は今か――丁字大剣の柄を握る手に力が籠もる。

「――控えよ、永江」 

 女の声だった。

美しい声だった。

 騎士団が左右に割れ、奥から一頭の軍馬が進んでくる。

 女騎士――髑髏を模した紅い兜。外套には赤龍の文様が刻まれている。その姿から視線を逸らすことができない。

「我が部下の非礼の数々、何卒寛容願いたい」

 美しい発音――上流階級の教育を受けている証拠だ。

 だが、紅髑髏の兜を被る女騎士など、舩坂は聞いたことがない。

 女騎士は下馬するとゆっくりと兜を外した。長い黒髪が流れる。双子月の輝きが女の顔を浮かび上がらせる。美しい――舩坂は息を飲んだ。

 二十五年生きてきて沢山の女を見てきた。様々な娼婦とも寝てきた。だが、この女はそれらの女たちとはまるで別の生物だ。

 男に媚びる気配などない。だからといって猛々しいわけではない。紅髑髏の女は唯ひとつの生命としての気高さを、周囲に感じさせる――否、押し付けている。

 圧倒的な美を目前にした時、人の思考は止まる。

 この女は神人なのか――自然、自分が膝を着きそうになっていることに気づき、舩坂は愕然としていた。

 女の口唇が再び開かれ、小さな歯が見えた。

古鐘巌威ふるかね げんいが娘、古鐘瑠璃ふるかね るりでございます」

 背筋が震える――古鐘瑠璃の名は噂話に疎い舩坂でも知っていた。

 古鐘領の武装領主、古鐘巌威の長女――そして何より超常の力を持っていると噂され、隣国の領民からは神のように崇められる姫巫女。

 舩坂が聞いた噂話はこうだ――三年前、古鐘領に他国が攻め込んできた時、古鐘瑠璃は龍天眼を用いて敵軍の侵路を的確に読み解いたという。

 領主である父親から一軍を預かった姫巫女は敵軍を伏撃の上、一方的に撃滅し、多額の身代金を奪い取った。それ以来、彼女は古鐘の守護女神として――敵国からは血を好む鬼女として扱われているのだ、と――。

 古鐘の至宝とされる女が軍を率いて、他領に侵入している――その事実に舩坂の頭は混乱していた。

 不意に自分の横で何かが動く気配。第三継嗣が人質の女から手を離していた。それから鷹乃雅真は片膝を着き、完璧な騎士礼を取って言った。

「――古鐘の姫巫女には御初に御目見え致します」

 骸骨のように白い月の下、幽かな風の音だけが聞こえていた。



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