第6話 征伐は終わり
晩秋の双子月は未だ白くあった。
風の音の中に微かに虫たちの啼声が混ざっている。
明け方まであと一刻という頃、舩坂は拭いきれない疲労感に包まれていた。
「本当に逃しちまっていいんですか?」
暗い森の中に消えて行く匪賊残党の背中を見送りながら、第三継嗣に問いかけてみた。
「構わない。彼等は情報を吐き出した。それ以上は必要がない」
「……あいつらが指を切り落とされるのを望むとは思いませんでしたよ」
意外としか言いようがなかった。賊たちは第三継嗣の提案を受け入れ、指を切落とし、知っている限りのことを話した。なぜ、痛い思いをした方が信用できるのだろうか――釈然としない。
「彼等は賊を辞めたかったのだろう」
第三継嗣はまるで疑問を持っていないようだった。
「賊を辞めたかった?」
「賊にはなってみたものの、居所として良い場所ではなかった。しかし、一旦社会から逸脱してしまえば後戻りはできない。だから、このまま死ぬまで賊として生きるしかない――そう考えていた折に、自分の上の立場の人間が死んだ。そして、動揺する彼らの前に、指を落とせば逃してやるという条件が領主の息子から出されたわけだ。まっとうな道に戻れる最後の好機――そう見えてもおかしくはないだろ?」
そんなものなのだろうか――舩坂には理解できなかった。
それにしてもこいつは本当に十五歳なのだろうか。あまりにも常識から離れた考え方をする。それが舩坂には不可思議でならない。だから舩坂は少しばかり突っ掛かってみることにした。
「……連中、街で小競り合いを起こすかもしれませんよ」
「衛兵でも取り押さえることができる。あれらは最早、賊として使いものにならない。それに奴らが領内に留まるとは思えない。鷹乃にいてはかつての仲間に見つかるかもしれないしな。おそらく古鐘……いや、東の宗馬領にでも向かうだろう」
頷く――石床に散らかされた指を見ていれば、その予想は外れようのないものだった。
「これからどうします?」
賊の死体は晒さなければならないし、保護した女たちも親元へ送り届けてやらねばならない。
「村に戻る。郷長と後始末について相談してから叔父上と合流する」
第三継嗣の言う叔父上とは、移動裁判所幹事の鷹乃栄ノ常のことである。
「裁判所幹事権限の侵害は問題にされるかもしれませんよ」
「言い訳は考えてある」
どのような――疑問を顔に浮かべたみたが、第三継嗣からの返答はなかった。
「……そういや、あの女たちは何者なんです? 賊を使って誘拐ってのは穏やかじゃない」
誘拐を指示した男の風体は聞くことができた。だがその正体はよくわからなかった。何処かの貴族ではないかと思うが、予想できるのはそこまでだ。
第三継嗣は何も答えない――どうやら育ちの悪い巡回警邏隊の隊士とは交わる気がないようだ――舩坂がそう思った時だった。
「何か来る」
第三継嗣の呟きに心臓が高鳴った。微かな悲鳴と撃剣の音が舩坂の耳に悲鳴が飛び込んできた――解放された賊たちが落ちて行った方角だ。
「警邏隊、抜刀警戒」
撤収用意をしていた警邏隊が慌ただしく反応。剣を構え、石弩に太矢を装填する。反応が早いのは実戦慣れした部隊ならではのものだ。
廃聖堂に立て籠もるべきか――無理だ、扉は破壊してしまった。吐龍機は――駄目だ、燃水が尽きている。迎撃の算段を図るが、いずれも成立しない。やがて森の奥からぽつりぽつりと松明の炎が見え始めてきた。
「騎馬隊……」
蛇馬ではなく、体格のいい軍馬。畜生、いったい何処の連中だ――在郷騎士が遅れて到着したのか――いいや、違う。その証拠に百騎を超えるであろう騎士たちは軍旗を掲げていない。そして先頭に掲げられていたのは、先程、自分たちが解放したばかりの賊どもの生首だった。
「野郎……」
近づいてきたのは砦に残っていると言っていた賊だろうか――逃した連中は裏切り者として処刑された――そう考えれば辻褄は合う。
いや、だがその割には騎馬隊の装備が統一されている。戦場で拾い集めた装備ではなく、明らかに何者かの支配下にある部隊だ。再度、目を凝らしてみたが身分を示す紋章が見つからない。その事実が相手の殺意を一層強く感じさせた。
舩坂は背負っていた丁字大剣の柄に手を掛けた。彼我の兵力差は歴然としている――喉がひりつく。
正体不明の騎馬隊は廃聖堂入り口まで五十歩の距離まで来ると進軍を止めた。
やがて騎馬隊の中から一騎の重鎧を纏った騎士が現れた。流麗な細工の施された銀鎧。兜には双頭蛇の意匠――間違いなく上流階級に所属している騎士だ。
「女を保護しているはずだ。渡して貰おう」
高飛車な態度に腸が煮えくり返る。だが明らかに賊ではないことがわかった。会話の意思がある相手に少しばかり安堵しながら、舩坂は思考を巡らせた。
領内でこれだけの騎馬隊を動かせるのは高位貴族のみだ。だが該当する人物に心当たりはない。舩坂は横目で第三継嗣を探ってみたが、その表情から感情は読めなかった。
「私は鷹乃弦正が第三継嗣、鷹乃雅真である。領民よりの通報を受け、賊を殲滅した次第だ。其の方等に問う――何者だ」
森閑――双頭蛇の騎士は口を開かなかった。
「名を尋ねるな、ということか?」
拙い――舩坂の胃の中に冷たいものが現れた。第三継嗣の言葉は挑発の他ならない。
「そうして貰えれば助かるな」
銀鎧の騎士は微かに笑いながらそう答えた――圧倒的有利な立場に身を置く愉悦を味わっていやがるのだ。
「そういうわけにはいかないな」
唖然――舩坂の思考が止まった。第三継嗣は平然と続けた。
「――名乗れ。でなければ貴様たちを賊と認定する」
何なんだ、この御曹司は――状況をまるで理解していない。怒りの衝動が舩坂を突き動かす。交渉次第では全員殺される――それをこの若造は理解していない。
「……話せば、おまえを殺すことになるが?」
銀鎧の騎士は冷静に返してきた。
第三継嗣が口を開きかけ――舩坂は慌てて第三継嗣の腕を掴んで、それを止めた。
「冷静に――何卒、冷静にお願いします」
「……副長、私は己の名も明かせない連中と対話中だ。急ぎでなければ後にしてくれ」
こいつには人を苛立たせることに関しては天賦の才能がある――舩坂は怒りを必死に抑制しながら話し掛けた。
「向こうさんは、穏便に話を進めようとしています。どうか、それを踏まえて――」
「――穏便? 副長、それは違う」
第三継嗣の視線には明確な怒りが籠もっていた。
「眼の前の連中は我等が領民を虐殺した。――見ろ、そこに転がっている死体は、我々が先程まで会話していた男だ。この糞野郎どもは、理由もなく彼を殺した。その上で名乗るつもりはないと言った。これの何処が穏便だ」
「それは……」
おまえの屁理屈はわかった――だが、今その話をしてどうする。天秤には自分たちの命が載せられていることを第三継嗣は想像できないのだろうか。
「そこの騎士。――武人と賊の違いがわかるか」
第三継嗣は双頭蛇の騎士を指さした。それは騎士社会においては無礼とされる行為であり、それが故に舩坂は第三継嗣がワザとやっていると察知した。
「私は部下に教えられた。本来、武人と賊に大きな差はない。暴力を基に我を通すのは賊も武人も同じだ、何も変わらない。だがそれでも実際に武人と賊は異なる――何故か?」
突入前の戯言がここまで大きくなるかよ――あまりの据わりの悪さに舩坂の頭はどうにかなりそうだった。
「武人にあって賊にないもの――我々武人は規律、規範、道徳――それらに縛られる。縛られることを良しとする。それこそが武人と賊を分けるものであり、我々が武人足らんとするのならば、守らねばならないものだ」
其の場にいる誰もが沈黙していた。十倍以上の敵に囲まれて滔々と自論を述べる第三継嗣の様子は狂気に近い。
「だが貴様らはどうだ? ――他国に侵入し、領民を斬殺し、あまつさえ警邏隊に戦闘を仕掛けようとしている。――これを賊と言わず、何を賊と言う」
駄目だ――舩坂は場合によっては第三継嗣を斬らなければならないと覚悟した。
「……我等を賊と呼ぶか」
「名乗られてないからな」
騎士たちの気配に怒気が混ざる――その怒りが発露されれば自分たちは殺される。第三継嗣を切り捨てるのは今か――舩坂の体が動き出そうとした。
「賊が相手ならば私もそれなりの対応をする。――里海師範」
廃聖堂の中から女武芸師範が出てきた。腕には先程助けたばかりの女を抱えている。
「陳腐な脅しではあるが言っておこう。――退け、でなければ娘を殺す」
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