第5話 武人と賊


 舩坂が廃聖堂の階段を駆け上がり、教導師室に到着した時、すべては終わっていた。

 部屋の中には男の死骸が五体。そして殆ど怪我もしていない女がふたり――否、ひとりは喉元に白布を当てていた。

「――早い到着だな、副長。下はどうなっている」

 平然と――あまりにも落ち着いた第三継嗣の口調に衝撃を受ける。まさか本当にふたりだけで人質を奪還するとは――。

「聞こえなかったか? 下はどうなっている」

「……間もなく掃討できます。しかし……」

 賊の死体が付けている装備は上等なものだ。体格もいい――簡単に殺せる相手ではないはずだ。

「里海師範は女たちをお願いします。後ほど人を寄越します。――副長、私は大広間に向かう。案内せよ」

 十五歳の少年の顔は返り血で染められていた。だから舩坂は頷くことしかできなかった。


 廃聖堂の大広間には焼死体の放つ異臭が満ちていた。第三継嗣が鼻を引き攣らせ、髪の焼けた臭いかと呟いた。

 死体は隅に追いやられ、生き残った賊が縛られて膝を石床に着かされている。舩坂は焼死体を眺めながら甲野に尋ねた。

「何人逃げた?」

「十人程度かと。――捕縛が七に死体が十二。こっちの負傷者はふたり。戦闘は可能です」

 悪い数字ではない。

「追手は出したのか?」

「人が足りませんよ」

 だよな――賊はこちらの三倍近い数だった。この程度の損害で終わったのは奇跡と言ってもよいくらいだ。

 舩坂は一歩前に進み出て言った。

「代表者は名乗れ」

 問いかけに答える賊はいなかった。甲野が手近な賊の頭を叩くと渋々と答えが返ってきた。

「……二階に頭領たちが――」

「全員死んだ。ここにいる生き残りの代表を聞いている」

 舩坂の言葉に驚きの気配が湧いた。警邏隊の何人かは舩坂の顔をマジマジと見ている。

 俺を見るな、俺だって何が起きたのかわからない――そう叫びたくなるのを舩坂は堪えていた。

 しばらくすると賊の生き残りの中で最も年長者と思われる男が立ち上がった。両手は縛られており、白髪混じりの頭に巻かれた包帯からは血が滲んでいる。老境に差し迫った男の容姿――舩坂は自分の父親を連想した。

「名は?」

「とうの昔に捨てた」

「そうか。では名無しと呼ばせて貰うが?」

「構わない」

「良かろう。それでは名無しに質問だ。――おまえらの人数は?」

「……今は五十人前後だ。細かい数は知らねぇ」

 それなりの規模の集団――面倒になりそうだ。

「本拠地は何処だ? そこに何人残ってる?」

「……六里先の山ん中だ。まだ二十人は残ってるはずだ」

「随分と遠くから出張ってきたな」

 逃げ落ちた奴等と合流されたら厄介だなと舩坂は考えた。山中の砦の攻略は難しい。きちんと戦力を整えなければ落とせないかもしれない。

「……冬になる前に食料を確保するつもりだった」

 季節は晩秋――間もなく雪が降り、灰色の季節が始まる。そうなれば山から下りてくるのは難しい。

「食いもんね……」

 自分たちで作りもしないで、よく言う――治安を守る身としては嫌味のひとつも言いたくはなるが、舩坂は言葉を飲み込んだ。いずれにせよ人質奪還は上手くいったのだ。後は賊の持つ情報を可能な限り収集し、鷹乃領刑律に従って断罪すればいいだけだ。

「わかってると思うが山賊行為は死刑に値し――」

「――誰に頼まれて女を攫った」

 舩坂の言葉に割り込んだのは第三継嗣だった。

「食料確保の駄賃に女を攫ったわけではないのはわかっている。――話せ」

 第三継嗣の介入に警邏隊の気配が再度ざわついた。欲望の捌け口として田舎女を攫ったわけではなく、何者かの命令を受けて誘拐したともなれば、話は大きく違ってくる。

 舩坂は教導師室にいた女たちの姿が小奇麗だったことを思い出した。確かに村人の格好ではなかった。豪商、もしくは貴族の娘なのかもしれない。となれば、これは身代金を目的にした誘拐という話になるが――。

「……知らん」

 年長者の賊はぼそりと答えた。

「答える気がないのか? それとも本当に知らないのか?」

「……話したところで俺たちは斬首だ」

 せいぜい悩め、小僧――老いた賊は吐き捨てて笑った。

 賊の言葉は事実だ。

 賊に対して情状酌量の余地はあってはならない――商人たちが街道荒らしを恐れた結果、物流が滞ってしまえば民心は容易く領主から離れる。だからこそ、賊に対しては厳罰を持って当たる。それはこの時代の常識である。

「好きに生きた。酒は浴びるように飲んだし、女とも鉄腸が腐るほどやった。――思い残すことは何もねぇよ」

 賊の顔を見れば、ある程度の性格は読める。この老いた賊からは為政者に対する反発心を感じる。おそらく何も聞き出せないまま、処刑することになるだろう。

 仕方ないな――丁字大剣の重さを舩坂は肩に感じた。

「命だけは助けてやると言えば?」

 嘘だろ――第三継嗣の予想外の提案に舩坂は思わず息を飲んだ。

「聞こえなかったか? 誰の依頼だったのか話せば、命だけは助けてやってもいい」

 大広間には沈黙――警邏隊に口を開く者はいない。賊も無言だ。吹きさらしの窓から、夜鳥の啼声だけが聞こえてくる。

 第三継嗣の持ち出した提案は、鷹乃領刑律を反故にするものであり、本来は有り得ない条件なのだ。

 だから誰も口を開くことができない。

 法を破った者、法を守らせる者、そして法を作った一族の者――三様の立場でありながら、動く者はいない。

 畜生、俺が問い質すしかないのかよ――舩坂はつくづく損な役回りだと思った。短い髪を掻き上げながら、第三継嗣に声を掛けた。

「第三継嗣――こいつらは悪党だ。領内を荒らす悪人だ。賊は斬首と昔っから決まってる」

「知っている。だからこそ、殺さないことが交渉材料になる」

 まるで話が通じない――この若造を殴ってやりたい。

「ですが――」

「――賊はすべて始末したと言えるだけの死体は確保した。数人逃した所で問題はない。――わかったか? 話せ、さすれば助けてやる」

 少年が更に詰め寄ると、老賊は目を逸した。

「……聞いた後に殺すつもりだろ?」

「そのつもりはないと言っている」

 老齢の賊が笑う。

「おいおい、本当に逃がすつもりってか? 意味ねぇぞ、逃げた所で何処かで捕まるだけだ。戯言は終わりにして、さっさと頸を刎ねやがれ」

「治安維持に重要な情報を提供したとして、叔父上には減刑を願いでてやる。何なら報償金を払ってやってもいい」

 冗談ではない――警邏隊に剣呑とした空気が漂った。

 第三継嗣は巡回警邏隊の誇りを傷つけている――領内の治安を守るため、何人もの隊士が死んでいった。ここにいるのは便利屋と嘲られようが、死神と恐れられようが、治安の維持こそを自らの誇りとして生きてきた男たちだ。その巡回警邏隊の矜持を第三継嗣は理解していない――拙いことになるかもしれないと舩坂は思った。

「……馬鹿にするのもいい加減にしろ。俺たちがそこまで簡単に騙される阿呆に見えるか?」

 老いた賊の声は掠れていた。

「金を与えるだ? ――俺を見くびるんじゃねぇ! 賊に身を落としたとはいえ、元は士族じゃ! 舐めるんじゃねぇ!」

「士族か……。ならば証文を書いてやろうか? 文字は読めるのだろう?」

 第三継嗣は視線を逸らさずに畳み掛けていく。

「……嘘だ、絶対に嘘に決っている。そんな旨い話があるわけがない。話させるだけ話させて殺すつもりだろうさ! そして俺の死体の上であざ笑うつもりだ。これだから賊は愚かだ、と――」

「――私を信じろ」

 第三継嗣の小さな声が、やけに大きく響いた。

 あぁ、そうか――舩坂は理解した。ようやく第三継嗣の言動の真意を把握することができた。

 おそらく賊は何かを知っている――第三継嗣はそう予測していたのだ。

 だから何かを知っているという確証が得られるまで、賊を揺さぶってみせた。

 そして、その確証が得られれば、後は拷問でもして吐かせればいいだけだ――第三継嗣が言葉を重ねたのは、まさにその時だった。

「我が父の名にかけて約束する。――話せば絶対に殺さない」

 今度こそ大広間に存在するすべての者が動きを止めた。

 父の名をかけるという誓約は重い――名誉は信用であり、人格を示すものだ。それを失うことになれば、生きていくことが困難になる。他人からの協力は得られなくなり、共同体から弾き出される――ましてや領主の名誉ともなれば、治世や外交に多大なる悪影響を与えることになるのだ。簡単にかけていいものではない。

 破れた窓から一陣の風が吹き込み、人体の焼けた臭いを再び際立たせた。

 警邏隊隊士たちは賊が何と答えるのかと注目している。だが年長者の賊は何度か口を開きかけたものの、踏ん切りがつかない様子だった。

 無理もない――自分が賊であったとしても、この誘いに乗れるかどうか判断できない。領主の息子が父の名を出すというのは完全なる約束に近いのだが、あまりにも話が旨すぎるのだ。

 領内に賊がいることは領主にとっての名折れであり、どんな領主でも賊の殲滅は治世の第一として考えている。それなのに情報を話すだけで解放すると、この少年は言っている。

 舩坂には理解できた――第三継嗣は紛うことなき切れ者だ。

 だが、それは少年を得体のしれない何かとして認識しただけの話であり、彼を信用して剣を捧げるということではない。

 名無しを名乗った賊は視線を石畳の床に落としている。視線を上げれば第三継嗣に答えなければいけない。自分の判断に命が懸かっていると思えば、簡単に顔を上げることはできないのだろう。

「……副長、賊の両手の人差し指と中指を切り落とせ。全員だ」

「は……い……?」

 第三継嗣が何と言ったのか、舩坂には理解できなかった。

「聞こえなかったか、副長。――私は賊どもの両手の人指し指と中指を切り落とせと命じたのだ」

「……待ってください。捕縛した賊は裁判に掛けられる。これが規則です」

 なぜ豹変した――解放を餌にして情報を集めるのではなかったのか――賊は話すべきか否か悩んでいるのだぞ。もう少し時間を与えれば――。

「判例によれば賊は理由の如何を問わず斬首だ。だがそれではこの男から話が聞けない。だから私は父の名を掛けて約束すると宣言した。しかしそれでも、この男は私を信用しなかった。なぜか――それは情報と引き換えに減刑するという事例が鷹乃にはないからだ。――そうだな?」

 賊は身動ぎしなかった。舩坂は賊と第三継嗣の間に立って言った。

「それはそのとおりでしょう。しかし、なぜ指を――そんな罰は法にありません」

 明確に犯罪が立証できる場合、犯罪者を現場で裁くことは稀にある。だが指だけを切り落とすという罰を舩坂は聞いたことがなかった。

「我が鷹乃では、情報は拷問を持って吐かせるものだし、吐いたからといって無罪放免などしない。それが現実だ。だが繰り返すぞ。それでは私の目的が果たせない。だから私は彼に相応の罰を与えることにした。彼等が――自分たちは裁かれたと納得できるだけの罰を与えることにしたのだ。罪の代価を支払ったと思えるだけの罰だ。その罰を与えることによって私は彼から信を得たいと思う。個人的には阿呆な話だと思うが仕方がない。相応の罰と私が聞きたい話――そのふたつを持って私は彼等に許しを与える」

「それは……」

 訳がわからない。その提案でどうして賊が納得するというのだ――指を落とせば第三継嗣の言葉を信用できるようになる。どんな思考をすれば、そんな答えにつながる。罰など貰わない方がいいに決まっている。

 自分の価値観を壊す何かが目の前にいる――舩坂は幽かな怖気に囚われていた。

 それに第三継嗣の行動は完全に巡回警邏隊の権限を逸脱している。法を持って領民を裁くのは、神から領主のみに与えられた権利であって、基本的に領主の許可なしに余人が断罪してはならない。鷹乃領では武装領主・鷹乃弦正と移動裁判所幹事の鷹乃栄ノ常だけが、その役を担っている。

「第三継嗣、貴方は裁判所の幹事ではない――」

「――非常時だ、副長。多少の逸脱は許される」

 しかし――そう抗弁することはできなかった。鷹乃雅真は武装領主の息子であり、巡回警邏隊の隊長だ。舩坂が仕える人物であり、忠を捧げなければいけない対象だ。

「名無し、貴様に与える罰は外つ国で採用されているものだ。――両の掌の二指を落とすとどうなるかわかるか」

 名無しは答えない。

「まともに弓を引くことはできなくなる。番えることもな。剣を握っても撃ち合うこともできない。――つまり、貴様たちの頼りとしてきた暴力が、根刮ぎ剥ぎ取られることになる」

 暴力で生きてきた男が暴力で生きることができなくなる――それで何が起こる。

「賊は規律から外れた武人……。副長、貴方はそう言ったな?」

 突入前の会話を指摘され、舩坂は頷くしかなかった。

「ならば、私は貴様たちに規律ある生活に戻るという罰を与える。指を切り落とせば、貴様たちが今までどおりの賊として生きることはできまい。生き方を改めることになる。――地を耕し、収穫するには時間が必要だ。職人になるために技術を磨くのも同じだ。それまで貴様たちは人に頼り、人の善意に縋る他なくなるわけだ。暴力を捨て、他人の慈悲を乞うて生きる――それが私が貴様たちに下す罰だ」

 第三継嗣のぞっとする笑み。

「罪人として額に入墨されるわけではないし、人生をやり直すことはできるだろう。我等としても貴様たちが領民に迷惑をかけなければ、征伐するに能わずだ。鷹乃領の治安を預かる者として、賊をそのままにすることは罷り成らぬが、相応の罰を受け、且つ公に対し重要な情報を提供するのであれば、許すことに問題はない」

 第三継嗣の言葉に異議を唱える者はいなかった。

 賊も警邏隊も想像していなかった展開に、どう反応していいのかわからないのだ。

 規律ある集団生活から逸脱した者たちを、指を切ることによって戻ることを強制する――舩坂はそんな考えを示す上将に仕えるのは初めてだった。

「誰に依頼されたのか答えよ。――もっとも、拷問を受けて死にたいなら、それはそれでも構わないが? 人間がどこまで耐えられるのか、一度試してみたくはあった」

 第三継嗣が賊の意思を確認する――舩坂はまるで自分が賊になったような気がしていた。








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