第4話 賊と武人
暖炉の炎が薄暗い室内を照らしている。
賊の首魁は五十歳過ぎのように見えた――
「……何とか言ったらどうだ、警邏隊の。てめぇが引かなきゃ、女は殺す。――女はふたりいるからな、ひとりぐらい殺しても構わん」
手槍の穂先を賊の首魁に向けて雅真は言い返した。
「賊よ。――娘を離さなければ、おまえを殺す」
対話の間に情報を収集する。首魁の腕周りは太い――腕力では負ける。だが腹には贅肉――持久力ではこちらに分がありそう。抱えられた娘――まだ幼い気配が残っているが美形だ。怪我をしている様子はない――高く売るために、手を付けないと言った副長の見解は正しかったというわけか。
「……いい度胸だ、この女の喉が裂かれる所を見たいか?」
そう言うと賊の首魁は笑みを浮かべ、女の喉元に当てた短刀を薄く引いた。女の首筋に赤い血の珠の列が浮かんできた。
「このまま犯すのも一興だ」
賊の首魁が女の首筋の血を舐め取る――抱えられた女が大きく震えた。
どうする――人質の命を最優先にすると雅真は部下たちに宣言していた。それを変えるつもりはない。だが――。
「女を離さなければ殺す。おまえにやる言葉はそれだけだ」
方法が思いつかないまま雅真は返答した。そうして女の目を正面から見返す。女の震えが大きくなっていく。脂汗が額に浮いている。恐慌状態に陥ってもおかしくはない――あるいは限界を迎えて狂乱した瞬間こそが、救出の好機かもしれない。
「……小僧にしては肝が太いじゃねぇか。――てめぇ、何者だ?」
「
首魁の顔に驚きが浮かんだ。
「領主の小倅か……」
「そのとおりだ、賊」
反発、覚悟――首魁の表情が変異していく。
領主の子を殺せば確実に追手が掛かる。それが領主の面子というものだ。
鷹乃領内で賊の首魁が生きていこうと思えば、この廃聖堂を襲撃しにきた男たちを皆殺しにして、すべてを闇に葬る他にない。
「……この娘が死ねば、とんでもないことになるぞ。おまえの親父も巻き込まれるぜ?」
娘の喉に二筋めの傷が刻まれていく。
雅真は首魁に手槍の穂先を向けた――階下の戦闘音が小さくなってきている。おそらく大勢は決したのだろう。舩坂らが勝っていれば問題はない。だが負けていた場合、立場は完全に逆転する。だが、それを判断する材料はなく、そしてまた時間もない――雅真は腹を決めた。
「生憎だが、俺はその娘が誰なのか知らないし、興味もない」
首魁の瞳が一瞬だけ揺れた。
「人質が全員死んだとしても、賊を殲滅すれば任務は成功したと報告できる」
女の顔が恐怖に引き攣った。
「た、助けてください……。私は――」
か細い声――目には涙が浮かんでいる。
「許せよ、娘。――恨むなら賊を恨め」
雅真は笑った。
「糞餓鬼が……」
首魁は唾を吐き捨てた。
「民の安寧のために犠牲は避けられぬ。それが領主の務めだ」
女の青白い顔と涙。震える体と嘔吐き。小水の臭いが部屋に満ちていく。
「賊よ、娘を抱えたままでは私の方が有利だな」
演武のように派手に槍を振るって構え直す――手槍の穂先を首魁の両眼に向ける。
「こ、この女は――」
「――言わなくていい」
発声と同時に手槍の安全装置を解除し、射出機構を握り込む。強力なバネによって打ち出された十字槍の穂先が空を裂き、首魁の喉元に突き刺さった。
「ひっ――……」
首魁の喉から壊れた笛のような音。
顔面の横――賊の喉に突然、槍の穂先が生えたのを見て、抱えられていた女は膝から崩れ落ちた。
首魁の口に血の泡が次々とできていく。それからゆっくりと首魁は倒れた。
「……ふむ。思っていたより、使えるな」
普通、槍の穂先が空を飛ぶとは思わないだろうしな――この槍の絡繰を作った者の顔を思い出して雅真は呟いた。
穂先の無くなった槍で首魁の体を突き、彼が絶命していると確信すると雅真はようやく娘に手を差し伸べた。
「怪我はありませんか」
女は青褪めたまま、言葉を失っている。腰が抜けているのだ。
「賊はすべて退治しました。もう安全です」
女の漏らした小水に膝を着き、できるだけ温和な声色を使ってみたが、女の震えは止まらなかった。
さて、どうしたものか――その時、雅真は女の首飾りに印章が刻まれていることに気づいた。柊の葉、龍、剣、鏡――背筋が総毛立つ。
「どうしました」
里海師範の声が耳に遠い。
鬼柊、赤龍、神剣、そして月照鏡――それらの意匠を組み合わせた紋章は、人質の娘が隣国、古鐘領の領主一族であることを示していた。
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