第15回 BfV最大の危機

「ほら見て見て、おひい様のお帰りよ」

「ほんとだ、いつ見ても可愛いよね」

「というより神々しい感じじゃない? 思わず拝みたくなっちゃう」

「それはちょっと違うと思うけど……あっ、こっちふりむいてくれたよ」

「ほんとだ。中條さんさよなら!」

「さようなら、また明日ね」

 校舎の窓から手を振り、声をかけるクラスメートたち。彼女らに手を振り返し、これ以上ない美しい姿勢と足取りで校門を出てゆくのは、〝お姫様〟こと天弦神社の一人娘、美しき巫女にして神職でもある中條世梨子でした。

 読者はすでにご存じの、この国を支配する忌まわしい輩の陰謀に巻きこまれた彼女が、悲しくつらい思いをしたのはそんなに遠いことではありません。ですが、今はその屈託もすっかり晴れたように、その表情にも物腰にも凛とした美しさがみなぎっているのでした。

 しかし、忌まわしいものたちは決して彼女のことをあきらめてはいなかったのです。そしてその魔手は、今まさにその背後から迫ろうとしていたのでした……。


 ――それはまさに、一転瞬のはざまになしとげられた犯行でした。

 ちょうど中條世梨子が、いつも通学路にしている緑豊かな公園に入ったとたん、左右の茂みから飛び出した、黒覆面に帽子を目深にかぶった男が二人、ありました。一人は何かの薬液の瓶と布切れを手にし、もう一人は大ぶりなジュラルミンのトランクを引っ提げています。

 ここしばらく、公園に隣接した敷地ではビルの解体と建設が行なわれており、ブルドーザーやショベルカー、それにクレーンが忙しく動き回っているのですが、今日は休みと見えて静まり返っています。

 そんな静寂のさなか、男たちは世梨子の背後にタタタッと駆け寄ったかと思うと、一人が素早く薬瓶の液を滲ませた布で口を押えました。次いでもう一人が地面に置いたトランクをパクリと開きます。そして二人がかりの大変な早業で、その中にガクリと崩折れた彼女の体を詰めこんでしまったのです。

 麻酔が効いたのか人形のように抵抗もなく、首を垂れ腰を折り、膝を抱えるようにしてすっぽりとトランクに収まってしまった美少女。ですがその痛々しい姿が見えたのも、ほんのつかの間のことでした。

 パチンと蓋を閉めるやいなや、今度は二人がかりでトランクを提げ、まるで齣落としのサイレント映画よろしく脱兎の勢いで駆け出したのでした。

 まさに白昼堂々――いえ、まだ明るいとは言うものの黄昏近くの誘拐。そのあまりの素早さと大胆さに、神に仕え、しかし国に屈することのない美少女は、その姿を消し去られてしまったのでした。

 誰にも気づかれず、制止されることもなく……いえ、そうではありませんでした。少なくとも目撃したものはいたし、ほんの一瞬早ければ阻止できていたかもしれません。それが証拠に、

「今の見たか?」

「もちろんだよ!」

 そう言い交わしながら公園内に駆けこんできた人影が二つありました。その口調と声音はどうも少年のそれのように思えたのですが、実際にそれらを発したのは、制服のリボンの下で胸を弾ませ、プリーツスカートを蹴上げんばかりにし、かたや黒髪、こなた金髪をなびかせた女子高生二人組なのでした。

 言うまでもなくこれは、榎本ジュンこと潤と風早マキこと槙――まさにあの〝おひいさま〟こと中條世梨子をターゲットとした陰謀がきっかけで出会った二人は、その後も折に触れて彼女を見守っていたのです。

 今の総理大臣とその家来たちがもくろむ、日本を神がかりな権威主義国家とし〝お友達〟だけが利権を分け合う体制を確立するにおいて、世梨子のような〝神国アイドル〟の存在は不可欠でしたし、とりわけその思想の中核をなす帝国会議と神祇本省が彼女を見逃すはずはなかったのです。

 そして、早くも計画は実行されました。潤とマキがそれとなく今持っていたほんの少し先で、奴らは世梨子をまんまと拉致したのでした。

「急ごう、まだ公園を出てはいないはずだ」

「ああ、分かれ道に出られると厄介だぜ」

 今やすっかりガールズライフに適応し、女の子になっても恋愛対象は男の子時代と変わらないはずが、最近はクラスメートや部活で活躍する男子たちにちょっとときめいたりしてしまって、いろいろ揺らいできてしまっているのですが、こういう緊急事態ともなれば、元の性に立ち返ることができるのでした。

 とにかく二人の、外見からは正真正銘の制服少女は、奥歯に加速装置スイッチでもついているかのように全力疾走しました。

 今、マキが言ったように、この公園は彼らが入った入り口からはしばらく一本道で、そのあと広場のようなところに出るのですが、そこからは放射状に延びた三本の小道に分かれてしまうのです。

 ここの公園は、ロンドンはハンプトンコートやウィーンのシェーンブルン宮殿の庭園迷路でも模したのか、遊歩道以外はびっしりと植え込みが施され、生け垣がめぐらされています。無理に突っ切って行けなくはありませんが、そんなことをしたら歴然たる痕跡が残りますし、そもそも二人がかりで大荷物を抱えた身では無理です。

 ですから広場までに捕まえることができれば重畳なのですが、そこを過ぎられてはこと面倒、三つの分岐のどれに行ったか、とっさの判断を迫られることになるのでした。

 せめて、せめてその後ろ姿だけでも捉えることができたら……ですが二人のTSJKが公園の広場に到達したとき、そこにあったのはむなしく広がる円形の空間にすぎなかったのでした。

「どっちだ、右か左か真ん中か?」

 吐き棄てるように問いかけたマキに、

「僕は右を行く。君は左を行ってくれ。見つけたら合図を!」

 答えた潤に、マキは早くも進路を左に取りながら、

「真ん中は?」

「もし二人とも見つけられなければ、真ん中の出口で落ち合おう。うまくすれば挟み撃ちだ」

「わかった!」

 そう言い交わしたときには、二人はもう通路の入り口をくぐっていました。?屋根こそないものの、さながら緑のトンネルといった感じで木々に挟まれた道を突っ走り、ほどなく出口か見えてきたものの、スッとまっすぐに見通せる前方には誘拐犯とおぼしいものの姿は見当たらないのでした。

 いえ、誰もいないわけではありませんでした。潤をハッとさせたことに、緑のトンネルの出口の少し手前、やや広くなったあたりにイーゼルを立て、絵筆とパレットを手にしながらキャンパスに向かっている人物――それも自分たちと同じ制服をまとった少女がいたのです。

 そのことに潤はハッとしましたが、すぐにそれが中條世梨子ではないとわかりました。女性にしてはやや硬派な眼鏡をかけ、自分と同じぐらいのロングヘア。

「あのっ、今ここに誰かっ」

 そう訊くのがせいいっぱいで、相手がとまどい顔でかぶりを振ったときには、潤は緑のトンネルの出口から飛び出していました。

 とっさに左方向を見ると、ちょうどマキの姿も見えました。潤よりわずかに早く到着したらしく、あわただしく走らせた視線が、潤のそれと交差しました。

「どうだった?」

 息を弾ませての問いかけに、潤は力なく首を振るほかありませんでした。そのようすでは、マキも同様だったのでしょう。

 だとすると、敵はやはり真ん中の道を――互いに同じ思いで、そちらの出口を注視しつつ身構えたとき、確かにそこからパタパタという足音が響きました。

 潤とマキの表情に緊張が走ります。その手がそれぞれの隠しホルスター――潤は脚部、マキは胸元――に伸ばされようとしたとき、二人の表情は困惑に変わりました。

(えっ、あれはひょっとして……)

(まさか鼻歌?)

 しかも足跡は明らかに一人のもので、ヤバい大荷物を抱えてのものとはとても思えません。

 とりあえず銃は収めることにして、とっさに付近の立木のかげに身を寄せると、鼻歌まじりの足音はますます大きくなり、すぐにその発信源が正体を現わしました。

 それは、あのトランクの二人組はもちろん、さらわれた中條世梨子とも似ても似つかぬスポーツウェア姿の少女でした。ふだんはどうか知りませんが、このときは長い髪をポニーテールにしていました。

 すらりとして上背があり、セパレートのトップスはスポブラの制止を押し切るように盛り上がり、その下に惜しげもなくさらけ出されたお腹周りはキュッと引き締まり、腹筋もみごとに割れていました。カモシカのような――ほんとはガゼルのようなというのが正解らしいのですが――脚もピンと張りつめて、しかも美しい曲線を描いています。

 見るからにスポーツ少女といった感じの彼女は、ややあっけに取られながら見守る潤たちをしりめに、そのままペタンと地面に腰を下ろし、熱心にストレッチ体操を始めました。

 よほどたってから、ちょっとマッチョな印象すらある少女はやっと二人に気づいたらしく、

「ん? どうしたキミたち。うちの学校の子みたいだけど、どうかした?」

 自分たちの制服を見ながらそう言われ、そこで初めて潤たちは、彼女のウェアに記された校章に気づいたのでした。

「あ、あの……」

「そこを走ってきたのなら、誰かと出くわしたり、追い抜いたりはしなかったからな――って」

 ダメ元で聞いてみた結果は、やはりあっさりとした否定でした。

「いや、全然。さっきから、けっこうこのあたりを行ったり来たりしたんだけど、誰もいなかったよ。それがどうかした?」

 いや、その……潤とマキがまたも顔を見合わせ、今度は弁解の言葉に窮したときでした。

 さっき、潤が出てきたばかりの緑のトンネルから、さっきの眼鏡の女子高生がのっそりという感じで姿を現わしました。清楚で知的そのものといった外見にはふさわしくない表現ですが、何だかそんな風に見えたのです。

「あれは……」

 マキが問いかけ、潤がうなずいたそのとき、今度はマキが通ってきた方の出口から顔を出した、やっぱり同じ制服姿の女子高生がありました。こちらはずいぶんと小柄でロリ……あ、いや子供っぼく、髪はセミロング。ただ風変わりなことには白衣を羽織り、手には試験管らしきものを持っています。

「あの子が君の通ってきた道にいたの?」

 潤が訊くと、マキは「ああ」と答え、そのあとに続けて、

「広場からここへの途中、ちょっと広くなったところがあって、そこに台を置いて科学実験みたいなことをしてた。とっさに訊いてみたんだが、やっぱり誰も通ったものはないってことだった――トランクを提げた二人組どころか、人っ子一人、猫一匹だってね」

「ということは……」

 潤は考えこんでしまいました。

 ということは、中條世梨子を襲い、大胆卑劣にも箱詰めにして誘拐した二人組は、公園の入り口から一本道を通って円形広場、そこから三方向に分かれた緑のトンネルの途中までのどこかで消え失せてしまったことになります。

 先にも述べたように、この公園の植栽はきわめて稠密で、遊歩道や広場など利用者用のスペースから足を踏み入れようとしても、生い茂った枝葉のスクラムに跳ね返されてしまいます。強引にそれらをへし折り、踏みにじって押し通ることも不可能ではありませんが、あまり得策とも思えませんし、まして大荷物を抱えていてはムチャもいいところです。そんなぐらいなら、素直に道を通ればいい。

 生け垣がフェイク、あるいはからくり仕掛けとかになっていて、実際には簡単に通り抜けられるようになっていたらどうか。何だったか、一度入ると出られない迷路と見せて、実は壁の一部が動くようになっていた――という映画だかテレビドラマだかを見たような気がするが、もしそんな仕掛けでもあったとしたら?

(いや、いや)

 潤はマキがけげんな顔になるほどかぶりを振り、自分の馬鹿げた空想を否定しました。まさかそんなギミックを公共の施設に仕込めるわけがなし、しかも生け垣や植え込みを動かせるようにしておくというのは不可能に決まっていました。

 まぁ、昔、街のあちこちに公共のものと見せかけて、自分専用のマンホールを掘っていた二十面相という怪人がいるにはいましたが……。

 ですが、そうでも考えないと、目の前の三人の女子高生、それも同じ学校の生徒たちのいる手前で犯人たちが消えてしまった説明がつかないのです。もし説明がつくとしたら、それは――。

「…………」

 潤とマキはそっと視線を交わし、あらためて彼女らを見やりました。

 ――風景画の制作中だった眼鏡のインテリ風少女と、陸上部あたりの所属なのでしょうか、熱心にトレーニング中だったスポーツガールと、室内ではできなかったのか、何やら野外実験中だったらしい白衣のロリっ娘……いや、科学少女と、そろいもそろって個性的な三人組。

 そう、どう考えても理屈が通らないのでした……彼女らの誰かが嘘をつき、中條世梨子誘拐犯の逃走を手助けしたと考えない限りは!

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る