第14回 〇〇〇メーターの恐怖!(解決篇)

 それはまさに瀬戸際中の瀬戸際でした。何を訊かれても答えようはありませんし、自分の目の前のデスクで、半壊れなのか未完成なのかわからない姿をさらした〇〇〇メーターを見られたら、もはやごまかしようはないのです。

(ど、どうしよう)

 さっきの薬液銃を使うなどして強行突破する手もあるにはありましたが、この大人数の中では何が起きるか知れたものではありませんし、先にも述べたようにこのミッションを無意味にしてしまいかねません。かといって打つ手のないまま焦る潤の肩に、男性管理職の指が食い入ろうとした――まさにそのときでした。

「おい、ミスったのはここのババアか。それともこっちのオバンか。ごまかしてもすぐバレるぞ。いいか、覚悟しとけよ。とにかくヘマやる奴ぁ首だ首だ!」

 ひどく荒々しく、乱暴で高圧的な怒鳴り声があたり一帯に響きわたりました。時ならぬその一喝はきわめて効果的で、そのとたんラインの不調だ停止だでざわついたりドタバタしていたのが、水を打ったように静まり返ったほどでした。

 しかし、それも一瞬のこと。女性工員さんたちは一様に唖然となり、次いで憤然とした色を顔・顔・顔にみなぎらせました。

 女ばかりの職場で、しかもこんなに遅くまで細かい作業に取り組んでいた労苦に対し、これはあまりにあんまりな言い草でした。

 当然これだけのことを言うからには、男性管理職の側も相当に腹を据え、強面を貫くつもりだと思いのほか、彼らはキョトンとして顔を見合わせ、今のは誰が言ったのかとばかり、あたりをキョロキョロ見回しているではありませんか。

 その態度が、いっそう女性たちの癇に障ろうとした折も折、

「どうしたどうした、なんだぁその不細工な面は? クッソ生意気な態度は? お前らなんてパート募集の紙っペラ一枚でいくらでも集められるんだからな。どうせその年と顔じゃ、ほかに雇ってくれるとこなんてないんだから、せいぜい心して働けよ? このバカ女どもめが!」

 さらに輪をかけてひどい言葉に、女性たちはまなじりを決し、眉を吊り上げました。それまで成り行きを静観し、あるいは与えられた仕事に没頭していた穏健派までもが、椅子を蹴って立ち上がり、男たちを取り囲みました。それに対して、

「いや、私ゃ何もそんなことは……おい君、ちょっと言いすぎだぞ」

「班長、自分であれだけのこと言っときながら。今さら巻きこまないでくださいよ」

 真っ青な顔になりつつ言い交わし、あたかもたった今放たれた悪口雑言が自分たちのものでないかのようにごまかす態度。それがまた、女性たちの怒りに火をつけてしまいました。

「いい加減にしぃや」

 いきなり鞭の一閃のような言葉が、一番年かさらしい女性工員の口から発せられました。

「黙って聞いてりゃ、ベラベラと調子に乗って言いたい放題。しかも何ちゅう言いぐさや!」

「そや、ババやおばはんでえろ悪ぅおましたな。わたいらなんかいつでもクビにできる? おもろいな、やれるもんやったらやってみなはれ!」

「何やねんな、今さらおびえた顔して。うちらはバカ言われるのが一番腹が立つんや。アホならともかく、バカ呼ばわりしたからには覚悟決めてや」

「いや、あのぅ……」

 男性管理職たちは媚びるような笑みを浮かべながら、何とかその場をごまかそうとしました。でもそんな態度が、逆に発破スイッチを押した形になって、

「やってまえ!」

「そやそや、昇給の話もウヤムヤにしやがって」

「今日はその分、拳骨で返したるわ!」

 そんな怒号と罵倒が渦巻いたかと思うと、ワーッという雄叫び、いや雌叫びをあげながら、男たちに襲いかかりました。ちょうどそのときには他の男性職員たちも異変に気づいて工場に駆けつけたのですが、何しろ多勢に無勢。加えて女性たちの爆発的な怒りのパワーにはかなうはずもありませんでした。

 潤は騒ぎに加わるふりをして、素早く机の下に隠れたのですが、やがてヒョイとのぞかせた視線の先が、同様に大乱闘から逃れたある人物の顔をとらえました。

 それは風早マキでした。

「マ、マキ? もしかして今のは――?」

 言いかける潤に、マキはウィンクしながら唇に指を押し当てました。そう、TSしても元は男子だけに、出そうとすればあんな声だって出せるのでした。

「さ、話はあとあと。やるだけのことはやったんだから、あとはさっさとズラかろうぜ!」

 その点は、潤も異存はありませんでした。

 大急ぎでその場を逃れた二人は、休憩室から生あくびを噛み殺し、首をかしげながら出てきた女性工員さん二人とすれ違いながら外に出ると、服に仕込んださっきのワイヤーを放って、工場の大屋根に跳び上がり、そこに置いてあったパラシュートを身につけました。

 さっきここに来たときとは打って変わり、大屋根の下はもう割れ返るような大騒動。いっかな収まる気配もないそれを、何となく申し訳ない気分でかいま見た彼でしたが、やがて気を取り直すと、

「風向きは?」

「OK……ちょうど今が飛びどきだよ」

 そう言ってうなずき合うなり、二人は屋根の上をタタタッと走りだし、その尽きたところか大胆にも中空に身を躍らせました。

 あっ、危ない! 高空ならいざしらず、こんなところから飛び降りたのでは、空気抵抗による減速のいとまもなく、地面に激突してしまいます。

 けれど、心配は無用でした。二人が身を任せたのは。風にさえ乗れば滑空可能なパラグライダー、それも動力付きのモーターパラグライダー、もしくはパラモーターと呼ばれるもので、背中に負ったファンから風を送ることで平地からでも離陸可能なのでした。

 こうした潤とマキは、黒ビロード敷きの宝石箱を見下ろす高みまで飛翔してゆきました。そこには、さきほど離脱した無音飛行機が阿倍野区阿倍野一帯の上空で旋回をつづけており、やがてそれに遭遇し、乗り組んだ二人はホッと安堵の息をつくとともに、進路を東へと反転させたのでした。


 彼らが潜入した工場で作られていた〇〇〇メーター――それは実に恐るべき機械でした。それは日本国民であれば誰でも、いや、在日外国人であったとしても、その身にピッと先端を押し当てるだけで、その人物の生体情報が端末から中枢データベースに送られ、そこでナントカカードだのカントカ証明だのといった名目でかき集められた個人情報と対照し、その結果でもってある〝判定〟をつけようというものでした。

 その判定というのは――端的に言ってしまえば、時の政権にどれだけ近いか、あるいは近くないかということ。たとえば総理大臣の血縁者とかであれば最高値を、そこまで行かなくても関係が近く濃いほど有利な数字をはじき出してくれるのです。ほかに、明治維新以来この国を支配してきた藩閥専制政府を支えてきた県の出身者であったりすれば、特典が加えられます。

 反対に中央に反抗的な気質を持っていたり、野党に議席を与えがちな県の出身者に対しては厳しいマイナス点がつけられます。それだけならまだしもいいのですが(いや、けっして良くはないのですが)、現在はネットと紙を問わない個人的発言を残らずチェックして、政権への批判のみならず、強いものに刃向かう姿勢を見せた人間はどんどん減点し、それにつれて人権を剥奪してゆくという計画までが進められていたのです。

「つまり……僕らが見たあの交通事故が、まさにその始まりの一つだったわけですね」

 アジトでの報告かたがた、榎本潤がたずねました。

「そういうことだ」〝ボス〟が画面越しに答えます。「現場の状況からして非は四輪車側にあり、単車の方に責められる筋合いはなかった。だが〇〇〇メーターで調べた結果、四輪ドライバーの方がはるかに総理大臣に縁が深いとわかった。そこで一転してライダーの方が逮捕されてしまうことになったのさ」

「あの痴漢騒動のときも同じ、だったと?」と、これは風早マキです。

「そう……と言っても、あの犯人はそんなに大したやつじゃなく、単に総理大臣と同郷で、父はそのまた父の父の代から政権党を支持する地元業界団体の代表であり、おまけに当人は青年会議所のメンバーだっただけだ。だが、それでも当然その痴漢行為は許されるべきものであり、にもかかわらず、そんなお方を現行犯逮捕しようとした一般市民どもこそ不届きな連中ということになったのさ」

「だが、しかし」〝ドック〟が口をはさみます。「君たちがあの工場に潜入して何もかもメチャクチャにしてくれたおかげで、こちらは別ルートから○○○メーターのチップをすりかえるのに成功した。おかげでさらなる大混乱はあったものの、結果的には頓挫に追いこむことができた。感謝するよ」

「それはひょっとして」潤が訊きました。「〝エース〟さんのおかげですか」

「まぁ、そんなところだ。たまにはおれも働かないとね。いや、むろん、ふだんから遊んでいるわけじゃないんだぜ」

〝エース〟の甘くて、いかにもな二枚目声が響きました。するとマキが、

「それはいいんですけど……いいかげんおれ……いけない、つられちゃった。あたしたちに素顔と姿を見せてくれてもいいんじゃないですか」

「ううん、それは……だな」

 と〝エース〟が言葉に詰まったあとに、〝ボス〟が助け舟を出すように、

「それは、いずれそういう時がきたときのことさ。まぁその、こちらにも事情があってね。な、〝ドック〟?」

「そ、そういうことだ」〝ドック〟が咳払いしながら言いました。「とにかく今度は実は危ないところでもあったんだ。というのは、もし君たち二人が〇〇〇メーターにかかっていたら、身元不明の人間として不審視されるか、悪ければ元の正体を暴かれていたかもしれない……」

「えっ、そうなんですか」

 思わず声をあげた潤に、〝ボス〟がたたみかけて、

「そう……それだけ現政権の毒牙は市民生活の隅々にまで食い入り、蜘蛛の巣を張り巡らせているということだ。その分、君たちTSJKエージェントの責務は重い。君たち自身が元の姿と生活に返るためにも、引き続きよろしく頼むよ!」

「そうとも、頼りにしてるぜ!」

〝エース〟の言葉とともに通信は切られてしまいました。何だかごまかされたような気がしなくもありませんでしたが。これでミッションは終了、潤とマキがやるべきことを果たし終えたのにはまちがいないのでした。

「じゃ、このあとあそこ行く?」

 ふと思い出したように言ったマキにも潤は一瞬考えたあとで、

「あそこって……あのお店?」

「そうそう、新作ケーキのキャンペーンも始まるっていうし、行こ行こ!」

「うーん、でも……」潤はつい躊躇しつつ、「あそこ、クラスの女子たちけっこう集まるし……ちょっと気後れしちゃうな」

「何言ってんの!」

 マキは中身もギャル化したのか、こだわりないようすで潤の肩をたたきました。

「うーん……じゃ行こっか」

「そう来なくっちゃ!」

 こうして黒髪ロングの普通っ娘と派手目ギャルの二人は、楽し気に街に繰り出してゆきました。

「おっと」

 街を駆け抜ける風に乗り、飛んできた新聞をよけようと、潤は横っ飛びしました。そこにはちらっとこんな見出しがかいま見えたのでしたが、彼もマキも気にさえ留めませんでした。


 ――△△線の痴漢事件で死刑判決

    一転して被告席に、異例の展開


 それは〝ドック〟が述べた「さらなる大混乱」の一つであり、それは今や急速に収束しつつありました。

「さ、ジュン、急がないと行列できちゃうよ」

「待ってよマキちゃん」

 二人のTSJKは手を取り合い、まるで生まれたときから今の性だったように駆けだしました。それを微笑ましく見送る人たちも、彼女らがまさかあの鬱陶しい〇〇〇メーターによる警官の検問を撤廃させてくれた功労者だとは、気づきもしないのでした。

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