第7回 都会のエアポケットに巫女は踊る

 そこは、とても街中とは信じられない、こんもりと緑生い茂る森の中でした。

 その鬱蒼とした木々のすき間で、榎本潤は制服にからみつく枝や葉っぱに悩まされながら、目が一点を見つめていました。

 都会の真ん中にこんな場所があるとしても、鎮守の森と聞けば納得です。であるからには神社があり、そこで何かの神事が行なわれても何の不思議もないわけですが、それでも潤は自分を目の当たりにしている光景に、心を打たれずにはおられなかったのです。

(まるで夢を見てるみたいだ……。あの白いステージ、って言っちゃいけないのか、あの舞台の周りを篝火が囲んで、それ以外は何の装飾もなく、BGMじゃないや、奏楽とか雅楽とかも流れている気配がないのに、もうあれだけで十分な気がする――あの巫女さんがたった一人、踊っているだけで)

 その巫女さんは、深紅の袴に白衣、その上から千早という薄物の衣を羽織るというおなじみのいでたちですが、ただ一つ違うのは金色燦然とした冠のようなものを頭に載せていることでした。

 そして、巫女さんの手にはこれもおなじみの神楽鈴があり、ときたまシャラン! と美しい音を響かせているのですが、もう一方の手の中にあるのが何だか見慣れないものでした。

 こうした神楽舞でよく見る榊ではなし、かといって扇とかでもないのです。それらとは似ても似つかぬ細くてよく撓る品物で、長い長い鳥の羽根のようでもあり、また鞭にも見えました。巫女さんの手にかかると、それがまるで生き物のように空を切り宙を舞うのでした。

 そうした情景に、まるで酔いしれでもしたように見入っていた潤でしたが、やがてハッとわれに返ると自分で自分の頬をポンポンとはたきました。

(いけない、いけない。こんなことしてるより彼女――マキちゃんを捜さなくっちゃ)

 クラスメートの風早マキ。彼女のあのいかにもギャルそのものな風貌は、ふと別世界にいざなわれかけた彼を現世に引きもどすに十分でした。

 そしてそのまま、この神社の森の中を移動しようとしたのですが、何しろ暗いのと狭いのと足場が悪いので、思うように進まないのでした。


 ――あのクラス一番、いや、ことによったら学校一番のギャル、風早マキに何か深刻な秘密があることを感じ取り、しかもそれが自分たちの敵の一つである「帝国会議」に関係があるらしいと知った潤は、護憲局のスタッフたちに相談する暇もなく行動を開始しました。

 といっても、まだ新米どころかただのアマチュアに過ぎない潤にできることといえば、マキの行動をそれとなく見張り、不審な動きが見られたら後をつけるだけ。ずいぶんと頼りない話ではありますが、トイレで聞いたあのすすり泣きと、マキの目元の涙のあとからしても、事態が差し迫っていることは明らかでした。

 その推察が外れてはいなかった証拠に、マキはその日の放課後から行動を開始しました。忽然と教室から姿を消した彼女のあとを追い、やみくもに校外に出たときには、正直何の当てもありませんでした。

(僕、やっぱり才能ないのかな)

 何の才能だか、自分でもはっきりしないままつぶやいたとき、それを反証する何よりの証拠が現われたのです。あの輝くような髪色と、高く結い上げたヘアスタイル、そして何よりあのワイルドと言ってもいいぐらいな細身の後ろ姿。それが視界の端をよぎったのを見逃す順ではありませんでした。

 そのあとは、ただひたすら尾行、追跡……やがて、いつしか日もとっぷり暮れたころにたどり着いたのが、都会のエアポケットのように存在したこの神社だったのです。

 ところが、まるで異次元の入り口のように、緑にはさまれて上へとのびる細い石段を上り始めてまもなく、潤はマキを見失ってしまったのです。

 彼女の足取りはまるで飛ぶようで、それで差を付けられただけだったのですが、場所が場所だけに神隠しでも起きたようで薄気味悪くはありました。加えてこの神社、ただの場所ではないようなふんいきなのです

 だからといって、今さら引き返すわけにもいきません。そのまま上っていったところ、何とその先にある門が固く閉ざされてしまっているではありませんか。その向こう側からは、明らかに大勢の人々がいる気配が伝わってきます。

 どうやら入場を許された人々が入ってしまったあとは、戸を閉め内側から閂か何かを降ろしてしまったらしい。門の左右には、相当に時代のついた板塀が長くのびていて、無理をすれば越えられないこともありませんが、あまり得策でもないように思われました。

 これではどうにもならないと思いましたが、ということはマキもこの中には入れなかったはずです。彼女が特別招待ゲストならば別ですが、少なくともこの門を開け閉めするような音は聞こえてこなかった。

 ということは、彼女はこの門以外のどこかにいるはずで……と見回すと、片側の塀とこんもりした茂みの間に小道のようなものが見えます。

「よし」

 と、さっそくそこに足を踏み入れたものの、たちまち道はなくなり、それでもたまに人が通るのかわずかに開いた木と木のすき間を同様に登っていくうちに、にっちもさっちもいかず動けなくなってしまいました。

 これはしまったとふりかえってみて、必ずしもそうでもないことに気づきました。それはそこからなら境内のようすがよく見えるということで、そこで目の当たりにしたのが、たった一人の巫女さんによる幽玄な神楽の舞だったわけなのです。

(それにしても)

 潤はその儀式に見とれるのとは別に、首をかしげずにはいられませんでした。

(何でマキちゃんは、こんなところへ来たんだろう。こういう儀式に興味があったんだろうか。だとしても、あの涙のわけは――?)

 ここへは巫女さんのバイトでもしに来たというのならまだわかりますが、あいにくあそこで踊っているのはたった一人。金髪でないことははっきりしていますし、体つきも全然違います。

 あんな怖そうな外見で、でもあんな優しく親しみやすい一面も持っている。だから巫女になっても不思議はないでしょうが、どうにもそうとは思えないのでした。

(ん? もしかしたら……)

 ふとある考えが、潤の脳裏に浮かんだ――まさにそのときでした。

 いきなり近くの葉叢はむらから突き出した手が、えらい力で潤の手首をつかんだかと思うと、ぐいぐいと体ごと奥に引きずりこみました。

 気がつくと、彼は羽交い絞めにされ、びくとも動けなくなっていました。しまったと、心臓が小さく硬く冷え固まるの覚えたとき、耳元で低いがよく響く声がこう言ったのです。

「おいお前、こんなところで何してるんだ!」

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