第4回 素敵で小粋な証人保護プログラム

 

 オープニングロゴに続く映像は、なかなかの名調子といっていいナレーションによって、こんな風に始まりました。まずは石造りの古風な建物をとらえたショットに重なって――

「大都会の片隅にあるレトロなビルディング。迷路のようになったその奥に、こんなドアがあることを知る人は少ない。だが、一歩入ればそこは最新鋭の機器が並ぶ諜報戦の最前線基地なのだ。

 その名は憲法擁護局、略して護憲局――憲政史上、初の選挙による政権交代を受け、これまでこの国に欠けていた〝戦う民主主義シュトライトバーレ・デモクラティー〟を標榜して設けられた部門で、ドイツのBfV――連邦憲法擁護庁ビュンデサムト・フューア・フェアファッスングスシュッツの日本版ともいうべき存在である。

 ここでは日々、日本国憲法に違背し、国民の自由と人権を侵害し、民主主義体制を転覆する行為の捜査と摘発が行なわれている。たとえば――万々あり得ないことではあるが――たとえそれがこの組織の生みの親であったにしても、内閣が衆参『いづれかの議院の総議員の四分の一以上の要求』があったにもかかわらず臨時国会の召集をしなかった場合には、その憲法五三条違反に対し、断固たる措置を取ることができる。護憲局にはそうした権限に基づき、特に武装が許されているのである」

 めまぐるしいばかりなカットバックと多彩なイメージショット、そして山下毅雄、菊池俊輔オマージュかと思われるBGMによって構成された画面は、見るものを引きつけるに十分でした――もっともその分、榎本潤には「何で自分はこんなものを見てるんだろう」という疑問が去らなかったわけですが。

 そんなこんなで見入るうちに、ちょっと画面も音声も調子が変わって、

「本来は極秘である局のメンバーを、開設三周年を記念して、今日は特別に紹介しよう。

 トップは〝ボス〟。いつもステッキを携え、パイプを手放さないジェントルマン。護憲局の作戦の全ては、彼の燻らせる芳醇な煙とともに発せられる。

 次に組織の頭脳というべき〝ドック〟。科学工学のみならず医学薬学にも精通した彼が繰り出す奇想天外な珍兵器、いや新兵器の数々は、常に戦いに機智の花を添えてきた。

 そして腕利きの実動要員エージェント、人呼んで〝エース〟。あらゆる武闘に長けた、鍛え上げられた肉体はその名にふさわしい。単身、拳銃一丁で敵組織を壊滅に追いこんだ顛末は、いずれハリウッド映画として披露される……もしれない。

 彼らの戦いは今日も続く――敵は多く、任務は困難をきわめる。だが、多くの血と汗の犠牲のうえに築かれた民主主義の砦はここにある!」

 何となく官公庁のプロモーションビデオ(?)というよりは、懐かしテレビ番組で見る往年のアクションもののオープニングのようにも見えましたが、とにかくその宣言とともに映像は終わりました。

 憲法擁護局という名前は、聞いたことがあるようなないような。少なくとも今は存在していないことは確かなようでした。

 不思議なのは、相当に秘密でかつ危険なミッションを担っている組織なのに、そのトップ3らしきメンバーを(半ばシルエットで表現されていたとはいえ)紹介してしまっていいのかということでした。

 いや、そんなことはどうでもいいのです。彼にとって緊急に確かめなければならないのは、自分が全くの別人に――黒髪ロングヘアの女の子になってしまったらしいことでした。

 そのことは、奇妙な映像が終わり、ディスプレイが再び暗くなったとたんに、またしても現われた顔によっても明らかでしたし、あわてて確認のため触れた足の付け根部分によっても、厳然と確認されたのでした。

「な……ない!」

 彼はそれが、あるジャンルの物語における定番のセリフなどとは知りませんでしたから、それはまさに心の叫びでした。かといって、ないもののかわりに何が「ある」か調べる勇気は、まだとてもないのでした。

 と、そこへどこからか聞こえてきた声がありました。

 かすかなノイズ混じりの、何やら会話めいたそれは、夢の中で聞いたものにそっくりな気がしましたが、あれよりはるかに人間的で、おかしみさえふくまれているようでした。

 ――お、おい。三周年パーティーの座興に作ったPV なんか流れちゃったじゃないか。

 ――知りませんよ、たまたまディスクが入ってて、何かの拍子に彼が再生しちゃったんでしょ。

 ――しっ、彼に聞こえてるじゃないか。ますます動揺させてどうする。

 そんなやり取りが聞こえたかと思うと、そのあと態勢を立て直したのか、しばらくして明瞭かつ生まじめな音声と口調で、

 ――お目覚めのようだね、榎本潤君。さぞ驚き、とまどっていることだろう……とりわけその新しい肉体にね。だが、それはやむを得ない措置だったのだ。許してくれたまえ。

「それじゃ、あんたらが僕の体をこんなことに……そんなのむちゃくちゃだよ。元にもどしてくれよ!」

 潤は腕を振りふり、必死に叫びました。その拍子に患者衣のひもがほどけて前をはだけてしまったものですから、彼は恥ずかしさのあまりその場にうずくまってしまいました。

 狼狽する彼をよそに、声はさらに続けます。

 ――それは……不可能ではないが、現時点では不適切というほかない。君と君のご両親の身の安全を考えればね。

「どういうことだ?」

 潤はドキリとして叫びました。

 ――君のお父上は、ある事件に巻きこまれ、あやうく家族もろとも命を奪われるところだった。幸いたまたまいっしょにいたお母上は救い、安全圏に移すことができたが、まさか君まであんな形で襲われるとは予期しなかったものだから、つい後手後手に回ってしまったんだ。

「そんな……いきなりそんなこと言われたって、わけがわかりませんよ!」

 ――君はFBIの証人保護プログラムというものを知っているだろうか。マフィアのような反社組織の犯罪を裁判にかける際、告発側の証人が必要だが、マフィアは当然証言台に立たせまいとするし、立てば必ずあとで報復する。悪くすれば一家皆殺しだ。そのために証人に新しい名前と住民登録と身分証明、住居までを与える。君たち一家の敵はマフィア並みに凶悪だが、対するわれわれにはそれだけの体制はないし、君のご両親の脱出を知った敵は、血まなこで君を捜し回るに決まっていた。だから、ほかなかったんだよ。

「何で僕たちがそんな目に……父も母も平凡だけど、そんな目にあうようなことは何もしてこなかったはずだ!」

 潤はあらがうように言いました。

 ――そう、君のご両親は何一つ恥じることのない、まじめで真っ当な人生を送ってきた。とりわけお父上は堅実な勤め人として、国にかかわる仕事を手がけておられた。決して事実や数字をゆるがせにせず、不正を許さない姿勢で……そしてそれがあだとなってしまった。

「えっ、ひょっとして、その敵というのは……?」

 ハッとしてそうたずねたあと、潤は声を振りしぼるように、

「教えてください。父は、母は無事なんでしょうか」

 ――そのことは保証する。今この瞬間も、そして今後もずっとご両親の身の安全は、われわれとわれわれの同志が守る。再び民主主義が当たり前のものとして行なわれる社会が奪還されるまでね。

「わかりました。でも、今『われわれ』といったあなた方は何者なんですか?」

 ――これは失礼、さっきのあの仲間内用のビデオで大方気づいてくれたと思うが、われわれは現政権によって公には廃止されたが、現在も同じ信念のもとに活動している憲法擁護局のスタッフだ。ちなみに私があの中で言う〝ボス〟だよ。

 それまでずっとしゃべっていた落ち着いた人物の声が名乗ったあとに、ややしわがれた癖のある口調で、

 ――わしが〝ドック〟じゃ。わしが執刀した君の新しい体が快適なものであることを祈るよ。もし不具合があったらいつでも言ってくれたまえ。

 こいつか! と潤は思いましたが、今は文句を言わないことにしておきました。どっちみち他人に変身しなければならないとして、もっと不愉快で不細工なものよりはまだましかもしれなかったからです。続いて、

 ――〝エース〟だ。このたびはとんだことだったが、まあその体も住めば都かもしれないよ。まぁ、与えられたミッションを素敵で小粋なものとして楽しむことだ。おれはいつもそうしてる。

 キザというかダンディというか、どんな困難も危険もしゃれのめすような声が鳴り響きました。そして再びボスの声で、

 ――ということだ。もちろん君には疑問も問題も山積していると思うが、また折々に相談するとさせてくれ。今はとりあえず術後の体の回復を……。

「待ってください」

 潤はさえぎるように言いました。どこにあるのか見えないスピーカーに向かって一歩踏み出すと、

「僕のミッションは何ですか。この新しい体でひっそり隠れて暮らすことですか。何かほかにできることはないんですか?」

 そう高らかに問いかけたのでした――。

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