第2回 何としても異世界転生させようとするトラック

 ――それは、榎本えのもとじゅんが学校からの帰り道の途中、ややさびれ気味の街並みにさしかかったときのことでした。

 潤は高校二年生、自他ともに認めるモブキャラで、ごく平凡に、そして退屈に日々を送っていました。

 他人はともかく、自分にとっては主人公である自分をモブ認定するのはおかしな話ですが、確かにそう思ってもしょうがない人相特徴ではあったのです。

 中肉中背――というには、身長はちょい欠け、体重はほんの少しですが多めかもしれません。まぁ昨今は、実在少年少女のキャラデザが飛躍的に向上していますからね。

 顔のパーツも悪いというほどではないのですが、まぁ地味ではあり、モテとは無縁です。近ごろはスクールカースト最上位の美少女からいきなり好意を寄せられるのが流行りのようですが、こういうヒロイン自体実在しそうにないですし、かといってソッと物陰から彼のことを恋い慕っている、地味だけど髪解いて眼鏡外して磨けば光る系女子もいそうにはないのでした。

 まぁ、こんなものか……というのが、潤の高校生活への感想でした。

 入学するときにはかすかに期待しないでもなかったのですが、中学のときより驚きや発見に満ちているように見えた教科書は、いざ授業で使われてみると、やっぱりつまらなく、クラスメートの誰もがつまらないことを気にも留めていないようなのにがっかりさせられるのでした。

 だがまぁ楽しくないかといえば楽しくはあり、面白いやつもいればかわいい子もおり、まぁそこそこなところで手を打つスクールライフが、今日も日めくり一枚分過ぎていこうとしていたのでした。

 ですが、いつもの――あまりにもいつも通りの帰り道で、異変はいきなりやってきたのです。

 それは広くもない、路地といった方がよさそうな道路に地響きをたてながら、突進してきた大型トラックでした。高さは五メートル近く、全長は優に十メートルを超えておりましょう。

 道をはさんで建つのは、うらぶれた商店や営業時間外の飲み屋、それにしもた。車両総重量二十五トンという法的規制をぎりぎりクリアしそうなトラックは、それらにぶつかることもいとわず突っ走ってきたのです!

「え? あ……ちょっと!」

 潤は一瞬あっけにとられ、次いで総身が凍りつくかと思いました。トラックはみるみる彼の一ブロック手前にまで迫り、減速する気配もなく向かってきたからです。

 ふわあああっ! 潤はすっとんきょうな叫びをあげると、クルリときびすを返し、来た道を駆けもどり始めました。

 とはいえ、こちらは人力、あちらは四百馬力はあろうエンジン搭載。あっという間に間合いは詰められ、牙のようなバンパーに今にも引っかけられそうになりました。

 そのとき、潤は片方の足がどこかにめりこみ、体が大きくバランスを崩すのを感じました。アッと叫んだときにはもう遅く、路面に倒れこんだ彼は、自分の真上を巨大な鉄の塊が轟々と走り過ぎてゆくのを見たのです。

「た、助かった……」

 思わずそうつぶやくことで、潤は自分の無事を確認できたのでした。

 そう……あわや轢死という直前、潤は覆いの取れた側溝に足をめりこませる形で、尻もちをついたのです。

 側溝といってもさほど深くはなく、また水もたまっていなかったので、潤の体にも制服にも被害はありませんでした。

 一方、間一髪を走り過ぎたトラックはと見れば、そのままスピードもゆるめず通りを抜けてゆきます。

 みるみる小さくなるその後ろ姿をながめながら、

「ふう……すってのところで異世界に転生するところだった」

 制服のズボンをはたいて立ち上がりながら、潤はのんきなことを言っております。

 それはとあるジャンルでお決まりのパターンで、主人公はそうやってトラック運転手の人格も人生もかえりみられない現世から、中世ヨーロッパ風なのに後宮があり側室がおり、でも宦官はいなくて奴隷制が布かれ、人類以外の種族もいるのに統一言語があり、行政と司法がごちゃ混ぜで、立法議会はめったに存在せず、共和政体であることは絶対にない異世界に生まれ変わるのでした。

 ……などと、潤が前に読んだことのあるジジイ探偵小説家がボヤいておりましたが、むろん彼は歯牙にもかけませんでした。それどころか、そうした物語パターンがあったればこそ、潤は今のかなりヤバい経験を笑い飛ばすことができたのでした。

 ですがあいにく、笑いごとではなかったのです。それが証拠に潤は、

「え……?」

 と十数メートル先での光景をながめながら、思わず声をあげていました。

 それは、路地の先が三差路になったあたりで、そこでトラックはブレーキの金切り声もろとも、巨体を一揺すりさせて急停止したのです。

 これは今の事故寸前、悪くすると爪先ぐらいは持っていきそうだった乱暴な運転の詫びをしにくるのかと思いきや、そうではありませんでした。

 何とトラックはそのまま逆走を始め、再び潤に向かって突き進んできたのです!

「な、な、何だ!?」

 そう叫ぶと、潤はあわてて駆け出しました。こちらが辞退しているというのに、こうも異世界転生させたがるトラックなどは聞いたこともありません。

 とにかく轢かれてはたまらないというので、ふだん怠け気味の膝栗毛に一鞭くれてダッシュしましたが、トラックはそれをしのぐ速さで看板や標識を蹴散らし、ひたすらこっちへ巨体を押し出してきます。

 さっきは、偶然に見せかけて引っかけてやろう――ぐらいな遠慮はあったのです。それが今度はしゃにむに潤を轢き殺そうと追っかけてきます。

 どちらにせよ、そこには明確な殺意がありました。となればもう三十六計逃げるが何とやらですが、何しろあちらは四百馬力の二十五トン(積荷がなければもっと軽いですが)ですから、ちょっと触れられただけでもおしまいなのです。

 むろん潤は逃げに逃げたのですが、向こうはあきらめる気配もありません。それでもバックなら何とか逃げ切れると思っていたら、途中の青空駐車場に強引に突っこんで、そこに止められていた車を二、三台吹っ飛ばし、方向転換するや、またまた追跡を開始したのです。

 どうしても彼を異世界に転生させないではおかないようです。いや、ほんとに転生できればまだしものことなのですが。

 そして、ついに最後のときが迫りました。ついうっかり駆けこんだ先は袋小路で、前方には廃屋らしき平屋建ての木造建築が立ちふさがっていたのです。

(もうダメか……)

 自分の真後ろに、トラックの前面をまるで断崖絶壁のように感じ、そうつぶやいたときでした。潤は何か強い力が横合いから自分を引っ張るのを感じました。

 そのまま建物と建物のわずかなあわいに引きずりこまれ――そこで彼の記憶はプツンととだえてしまいました。

 いや、正確にはその一刹那、二刹那のちのことはかろうじて記憶のフィルムにとどめられています。それは積み木細工のようにあっけなく吹っ飛ぶ木造の廃屋と、天も焦がさんばかりに立ち上った火柱でした……。


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