僕がTSしてJKスパイになるなんて!?

芦辺 拓

第1回 だいたい発端は怪しい会議と決まったものさ

 東京都千代田区永田町二の三、首相官邸四階の閣議室には、ほかではめったと見られない調度があります。百十平方メートルもある部屋の中央に据えられた、直径五・二メートル、真樺まかんば製の丸テーブルです。

 まわりを囲むのは肘掛けつき回転椅子で、その数二十脚近く。旧官邸時代から引き継がれた配置ですが、美しい正倉院風唐草紋様を施した壁に囲まれ、優美な窓からカーテンを垂らした旧閣議室に比べると、どうにも味気なく貧相なのは否めないのでした。

 今――ぞろぞろとこの部屋に入ってきて、それらにドッカと腰を下ろした男たちと、ほんの一つまみばかりの女性の顔・顔・顔はどれも上機嫌。それもそのはずで、彼らは数年ぶりに政権を奪還し、権力の座に返り咲いたのでした。

 さしずめ円卓の騎士とでもいいたいところですが、その彼らのご面相も体形も、あいにくその呼び名にはふさわしくありませんでした。どちらかというと、スパイ映画に出てくる悪の組織の会議に似ていますが、あながちこのたとえはまちがってもいなかったのです。

 ややしぱらくしてから、やせぎすの男が立ち上がり、陰々滅々としたヘチマ面に愛想笑いを浮かべながら、

「それでは、これより閣議を始めます」

 と宣言しました。新総理にして元総理の信頼最も厚い彼こそは、新内閣の官房長官でした。

 この場の誰よりも辣腕で切れ者で……でも決してそうは思えないほどうやうやしく慇懃な態度を崩さないのは、円卓を囲む男たちの中で彼だけが世襲ではなく、地方議員からたたき上げた〝平民〟だったからです。ちなみに、総理の鶴の一声で選ばれた女性たちに関しては、そうした出自は問われないのでした。

 その官房長官の司会で始まった初の閣議は、しかしこれといった案件もなく、どうということもない事務連絡に終始しました。

 もともとこの国の全ては、各省庁の事務次官たちが決めてくれており(ちなみに前政権は、彼らからの背後の一突きドルヒシュトロースのため崩壊したようなものでした)、大臣たちの仕事は次々と運びこまれる書類に花押を筆書きするだけなのでした。

 片隅のデスクに控えた、官房副長官二名と法制局長官にも出番はありません。もっとも、陪席者である彼らには一切発言権がないのでしたが。

 大臣たちの間では自然、冗談口がたたかれ、最初はプッと噴き出していたのが、さざ波のような笑い声となりました。

 やがてそれは、高らかな哄笑となって珪藻土の壁にはね返り、高い天井へと駆け上がるのでした。

 それは和製〝プラハの春〟――たった数年しかもたなかったニッポン・ヴァイマル時代の終わりを告げる高笑いでした。

 かわって始まろうとしているのは、徹底した報復と破壊。だとしたら、それはいったいどんな形で、何をきっかけに……?

 と、そのときです。ふいに官房副長官たちの席の電話機が鳴りました。あわててハンドセットを取った副長官の一人が、しばしのやりとりのあと、

「あの、長官」

 と声をかけた相手は、司会役の官房長官でした。

「どうした」

 冷厳きわまりない声でいうと、官房長官は受話器を受け取りました。その口元にゾッとするような微笑みが浮かんだかと思うと、

「どうだ、やったか」

 送話口ごと、自分の口元を筋ばった手で覆いながら訊きました。

「奴らの本拠を急襲し、前政権下で集められた記録をすべて破棄、メンバーは何らかの罪状を捏造……あ、いやして社会的に葬るか、隠蔽可能なら生命そのものを断つ。これぐらいの任務ができない君たちではあるまい。まして、総理が今か今かと吉報をお待ちなのだぞ。

 ん? どうした。いま何と言った。『それが……』とはどういうことだ。『それが……』とは!」

 官房長官は思わず声を荒らげてしまい、ハッとして総理の方を見ました。そのいぷかしさと険しさを半々にした表情を見るや、いっぺんに縮こまってしまい、細長い体を二つ折りにしつつも、回線の向こうからの報告に耳を研ぎすますのでした……。


「それが……」

 無残に破壊しつくされ、機器という機器がこなみじんにされたオフィスで、この荒仕事をやってのけた破壊工作班のリーダーは、困惑しきったようすで報告するのでした。

「われわれが事前に得た情報では、ここには複数のBfVベーエフファオメンバーがいるはずでした。それが人っ子一人いないんです。ええ……まるっきりもぬけの殻なんですよ!」

 何だと! 携帯端末の小さなスピーカーがガンガンと鳴り響きます。そのせいで破壊工作班のリーダーは、危うく端末を取り落としそうになるところでしたが、

「し、しかもですね、特にお申し出になった極秘資料というのが……そのぅ、見当たらんのです。総理や諸大臣、それに長官どの、あなたに関する――」


「だ、黙れっ!」

 金切り声をあげてしまってから、官房長官はあわてて周囲を見渡しました。閣議のテーブルを囲む面々が、主として前政権に対するお下劣下品なジョークを飛ばすのも忘れて、こちらはきょとんと見ています。長官はあわてて平静を装うと、

「あ、よしわかった。ご苦労――引き続き任務を遂行してくれたまえ」

 受話器の底から、なおも何か言いかけるリーダーを無視して会話をとりつくろうと、急いで通話を終えました。そして、張り付いたような笑顔で言葉を続けようとしたそのとき、また電話が鳴ったのです。

「何だ今度は!」

 さっきの続きだと思った長官は送話口に唇をくっつけるようにして、押し殺した声で怒鳴りつけるという器用な技を発揮しました。


「へ!? こちらCE班でありますが」

 まさか長官がじきじきに出るとは思わなかったCE班のリーダーは、狼狽しながら答えました。とたんに、

 ――何だとっ、CE班とは何のことだ!

「いや、あの……それは」

 リーダーはへどもどしながら、通勤通学客でごった返すプラットホームに目を配りました。そして相手にはちゃんと聞こえつつも、周囲には聞こえないよう声量声質を工夫しながら、

「あのぅ……痴漢冤罪C・E班であります」

 それでようやくわかったと見え、電話口の向こうの声はいくぶん穏やかなものになりました。けれど、そのあとの痴漢冤罪班リーダーの報告は、官房長官を激昂させるに十分だったのです。

「じ、実は……ターゲットが利用する電車に、被害者役の女と目撃者約数名を待機ささせておったのですが、そのぅ、いっこうに現われませんで……」

 大汗かいて言いながら、ちらと投げた視線の先では、駅員や乗客たちに取り押えられたサラリーマン風の男がジタバタともがいています。

「それで、無関係なと申しますか、の痴漢が現われて捕まってしまいまして……はい、あの、まことに申し訳ございません!」

 リーダーは端末を抱くようにしながら、ペコペコと頭を下げました。すると、そのつむじのあたりをツンツンと突っついたものがあります。

 ふりむくと、それはCE班で手配した被害者役の、相当に派手で高露出な若い女性でした。

「あの、クライアントさんさぁ。ちょっと話あるんだけど」

「な、何だ」

 携帯端末を気にしながら答えたリーダーに、

「あのさ、あたしもう行ってもいい? 指定された男は現われずじまいだったし、捕まったのは別人だったけど、あいつ一通りあたしのこと触りやがったし、一応、依頼内容は果たしたと思うんだ」

「いや、まぁ、そうだけど……」

「じゃ、そういうことで。ギャラは今週中に振りこんどいてね」

 そう言うと、女性は、大きく切れこんだ服の背中をセクシーに揺らしながら行ってしまいました。

「あ、おい、ちょっと……」

 思いがけず、冤罪でない痴漢事案を発生させてしまったリーダーは、被害者役の彼女を呼び止めようとしましたが、そのとき端末から聞こえてきた声に、

「あ、はい。申し訳ありません閣下。そんなわけでありまして任務は完了するに至りませんでした。この次は必ず……もしもし、もしもしっ長官閣下?」


 荒々しく電話を切った官房長官のヘチマ面は、今や茹で蛸のようでした。

 細っこい肩を上下させながら、しばし怒りを鎮めようと努めていましたが、やがて丸テーブルから自分に注がれる視線に気づくと、〝平民〟にふさわしいヘラヘラ笑いで満面を埋めて、

「お騒がせいたしました。ただ今、内閣直属特派チームからの掃蕩作戦報告を受けておりましたのですが、続々戦果を挙げておるということでありました」

 おお、と大臣たちの間から喜びの声があがります。けれども、その中にたった一つ仏頂面がありました。

 その疑わしげに細められた目は、一見凡庸に見えるこの人物の冷酷冷血をいかんなく表わしていて、これには官房長官も震え上がらずにはおられませんでした。そして茹で蛸から刺身のイカのように真っ白になった彼は、こう叫んだのでした――。

「どうかお任せを……。前政権やつらが残した癌腫ともいうべき日本版BfV――憲法擁護局の残党どもは必ず殲滅してごらんに入れますからして!」

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