Fish Story~四月一日の告白~

かきつばた

最幸のエイプリル・フール

「先輩、好きです! 付き合ってください!」


 今は三月三一日の午後十一時五十九分。……と思ったら、そのメッセージの受け取り時刻は零時丁度となっていた。確かにスマホの右上の表示を見ても、同じ時間を表している。


 木瀬忍こぜしのぶは非常に当惑していた。机の片隅に置いていたスマホが震えたと思ったら、そんなメッセージが来ていたのだから。椅子の背もたれにぐーっと体重をかける。すると軋む音が部屋の中に響いた。


 メッセージの送り主は、穂上涼ほがみりょう。忍と同じ高校に通う弓道部一つ下の後輩だ。


 忍は非常に困惑していた。果たして、涼はどういうつもりなのか。悪戯好きのあの一年生――じゃなくて、今日から二年生か――は何を考えているのか。


 四月一日の意味するところを、忍もわかってないわけじゃない。エイプリルフール。一年で一度誰かに嘘をついてあざ笑ってもいい日――なんだか、こう考えるととても嫌な感じだ。そもそもイベントごとはあんまり好きじゃないけど。


(わからないなぁ)


 一人で考えてみたものの、埒が明かなかった。今やベッドに寝そべって、いっちょ前に悶えてみたものの答えは出ず。果たして、嘘か真か。


 元々、忍はそういう男女の仲に纏わること、というのが苦手だった。友達のそういう話を聞く時もいつも曖昧な笑みを浮かべるくらいに。

 すなわち、十七年という数字は異性と恋人になっていない歴と見事に合致する。まあ、忍自身はそれをまったく気にしていないけど。


 こうなると、一人で抱え込むのにはあまりにも大きな問題すぎた。突然の告白に頭を悩ます新高三生はぐっと身体を起こすと、信頼のおける同期を三人ほどピックアップした。そして、一斉にメッセージを送る。


 こういう時、男子と女子、どっちが相談役として適役なのかは忍にはわからなかった。その比率は二対一――女友達が少ない忍らしいといえばらしい。浅く笑う。


 問題は彼らが起きているかだけれど――


『嘘乙』

『日付変わった瞬間そういうことするとは、おシノさんもなかなかのわるよのう』

『穂上を選ぶあたりが渋いセンス~』


 すぐに既読がついて、返信も来た。誰一人信じていないようだった。ちなみに、忍が送ったのは次のような文面。


『涼から告白されたっぽいんだけど……』


 確かにこれ自体がエイプリルフールの嘘みたいに見える。当人に告白するよりかは余程それらしい。客観的に考えて、忍はとても納得してしまった。


 仕方がないのでスクショを撮って、改めて三人にそれを送付する。またしても、反応はすぐに表示された。


『これは確かに……』

『待て待て。忍の巧妙なコラ画像かもしれないぜ?』

『うっわー、穿つねぇ、りゅうちゃん』


 どうも一筋縄にはいかないらしい。友情とは難儀なものだ、忍はちょっと遠い想いがしていた。


『そんなつもりないから。

 で、どー思う?』

『どうってなぁ……』

『十中八九悪戯でしょ。間違いない。

 似たようなの僕んとこにもきたし』

ひろしは揶揄いやすいからなぁ』

『あとでアタシも送るね!』


 ぐっと親指を立てた謎の生き物のスタンプが流れてくる。


『でも、本当の可能性も』

『ないない』

『里奈に同じく』

『忍ちゃんが悶々とするの楽しんでるんだって、あやつは!』

『確かにあいつ、結構意地悪いところあっからなぁ』

『僕もこの間涼にしてやられたからね』

『広ちゃんはいっつもそうじゃん。仲いいでしょ、二人』


 うーん、やっぱりそうなんだろうか。告白するには最悪のタイミングだもんなぁ。果たしてどう返したものか。


『だいたいさ、今時メッセージでコクるのもどーよ!

 男らしくない!』

『男らしくないってなぁ』

『やっぱり女子的にはそういうのダメなんだ?』

『もちろんだよ

 ねえ、忍ちゃん?』


 いきなり話題を振られたところで、忍は答えようがなかった。


 結局三人の結論としては、ただの悪戯、真面目に相手にするだけ時間の無駄、ということらしい。


 忍もそうだとは思っている。いくらあの子と仲がいいとはいえ、そんな関係じゃ。それに、里奈じゃないけど、メッセージで告白してくるというのもどうにも真剣味が感じられない。……所詮、異性と付き合ったことがない者の妄言だけど。


 でももし本当だとすれば……なんとなく気持ちがぽかぽかする感覚に襲われた。胸が弾む感じ。遠足前の小学生……はちょっと違うか。などと考えつつ、つい頬が緩む。


 これが他の人間ならこんなに悩まなかったのかもしれない。はっきり言って、忍自身は涼のことを一後輩とは思ってなかった。しかし、それが恋愛感情と言われると……


 涼との会話を思い出す。思えば、いつもからかわれてばかりな気が……。人懐っこそうな笑顔を浮かべて、まるで子供みたいにはしゃいでいる姿がよく浮かぶ。そのくせ、弓を引いている時の横顔はとても真剣で。その普段とのギャップが、こうなんか、胸に刺さるというか……


 考えれば考える程に、胸の奥底が熱くなっていく。誰かを好きになったことのない忍にとって、それは初めての感情だった。


 これがエイプリルフールの冗談だったら、それを真に受けたら馬鹿にされる。しかし、もしそうじゃなかったら……? そんな風に考えてしまうから、未だに頭を悩ませていた。


(どういうつもりなんだろう、あいつ)


 ぐっと天井を見つめてみても答えは出ない。


 明日も、当然弓道部の練習はある。道場は男女共用だから、顔を合わせないのは無理。むしろ、向こうから絶対に接触してくる。


 ああ、憂鬱だ――忍は迷いを振り払うようにきつく瞼を閉じた。






「先輩、クマ酷いですね~」


 翌朝。忍は家を出ると、いきなり涼に遭遇してしまった。ニヤニヤした顔をこちらに向けている。

 よく晴れているというのに、忍の心は重たくって仕方がなかった。


「誰のせいだと……」

「で、先輩! あの、お返事は……?」


 おずおずと涼は首を傾げる。いつもと違って、なんだか大人しい。その瞳が不安そうに揺れて見えるのは、きっと忍の心持ちのせいだろう。


 結局、上手く寝付けなかった。頭の中では、この目の前にいる新二年生からの告白されたという事実がずっとぐるぐるしていた。自分を悶々とさせる、という点ではこの子の目論見は成功したといってもよかった。……そう穿っていたのは、里奈だったけれど。


「どうせエイプリルフールの――」


 嘘、という言葉を慌てて忍は飲み込んだ。目の前の後輩の表情が見る見るうちに悲しげなものに変わっていったからだ。


(ということは、あれはマジ告白、というやつ……?)


 だとすれば、なんとも間の悪い。このタイミングで、誰が本気にするというのだろう? だいたいこっちにも理想の告白のスタイルというものが……こう見えてもいっちょ前の――


「あの、先輩?」

「……はっきり聞く。どっちなの?」

「何がです?」

「本当か、嘘か」

「大切なのは、先輩の気持ちですよ~」


 この期に及んで涼ははぐらかすつもりでいるらしい。なんともまあ、ずるい人間と言うか。しかし、それは涼らしいといえばらしい。


「先輩だよ?」

「先輩ですね」

「今年卒業だよ?」

「絶対同じ大学行きますから!」

「…………わけわかんない」


 もはや、忍にとっては限界だった。思考回路は爆発寸前。あまりのことに、考えることを放棄してしまう。


 はっきり言ってくれればいいのに――でも、そう思うということは自分はこの後輩のことが、きっと好きなのだろう。


 その時、まるでそんな忍の機微に気付いたかのように、悪戯付きの後輩はにやりと意地の悪い笑みを浮かべた。


「まあ嘘、なんですが」

「………………りょ、涼! あんた、嘘にもモラルが――」

「というのが嘘です」


 忍は虚を突かれてたちまち言葉を引っ込めた。ぱちぱちと瞼を上下させる。


「俺は先輩――忍ちゃんのこと好きです。付き合ってください!」


 ばっと、涼は頭を下げた。そしてすっと手を伸ばす。


 この期に及んで、忍はその真意を測りかねていた。一見すると、真剣な風だけど油断ならない。さっき愚弄されたばかりだし。


 しかし――


 忍は、恐る恐るその手を握ろうとした。じりじりと距離を縮めていく。そして、互いの指が触れ合って、若干の湿った感触を感じた時に――


「なんて、嘘だったり?」


 少年はこの純情な女先輩をからかうように悪戯っぽく笑った。そして、そのまま走り出す。


「ま、待ちなさい、このバカ涼っ!」


 もはや忍も我慢の限界だった。怒りのままに彼を追いかけていく。


 たぶん照れ隠しだろうとは思っていたけれど。でも、付き合ったらこんな風に毎日からかわれるんだろうか。そんなことを想うと、不思議と身体が火照ってくる。でもきっと、それはこんな朝っぱらから全力疾走しているせいなのだ――

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