濡れ場です! そして砂場です!



「一度、君と話をするタイミングが欲しかったんだ」


 褐色の肌に燃える様な髪の色をした少年が、俺の手を取る。少し湿り気のある、ひんやりとした指の感触を感じる。


 先生と相対する時に俺はいつも感じている感覚がある。それは、その幼さの欠ける雰囲気とは逆に、視覚から入る情報は幼さを感じさせる、という不思議な感覚を抱かせるものだが、それと似たような感覚を覚える。

 とはいえ、白磁器を思わせる白い少年と対峙した時に抱くある種の安心感とはまったく違う感覚を、目の前にいる褐色の少年からは感じる。


「おや? 緊張しているね。手が汗ばんでいる……うんうん。そうか、君は、オレが怖いか」


 自分より小さな少年の姿をしながらも、その存在はとても強い恐怖を、俺に感じさせている。

 タマモちんが、今度は最初から俺の脳内に声を響かせてくる。


「茶島さん、この悪魔です。先生が関わるなと言っていたのは、コイツです! すぐに逃げないと!」


 確かに危険だと言われた。それは解る。だけど、俺は先生が俺に隠していることも知りたい。


 彼はゆったりとした口調で言う。

 腐る寸前の果実のように甘ったるい、甘えるような猫なで声で。手の取った俺の手を自身の頬に摺り寄せながら。


「安心していい。危害を加えるつもりはないんだから。茶島、そう、君が茶島 シュンか……聞こえてるなら、お返事が欲しいなぁ、お兄さん?」

「は、はい……」


 喉の奥に渇くような感覚を覚える。

 視覚から入る情報とは裏腹に、生理的に、金ヤスリで後頭部をこすられているような居心地の悪さを感じる。何かが危険だと警鐘を鳴らし続けている。


「それで、お兄さんは聞きたいわけだ。君が先生と呼ぶ人が、本当は君に何をさせたがっているのか……教えてもらってないんだもんねぇ?」


 声が出にくい。声の代わりに息が漏れる音がする。


「ふふ、そんなに怖いの? まぁ、慣れていけば良いか。今後もちょくちょく、オレはお兄さんの所にくるからさ。安心してよ。もし、君の慕う先生が助けに来れなければ、オレが助けてあげるからさ」

「それは……どういう意味で?」


 俺は咄嗟に言葉を口にする。その言葉の意味を頭で考えようとしても、すぐに溶けるように消えていく感覚がある。自分で自分の言葉の意味が分からない。


「どういう意味か? だって? んー、、君はある程度察しているんじゃないかな? あるいは、勘が鋭いのか……」


 目の前の褐色の少年は、俺の手のひらに吐息をかける。そして、俺は手のひらに何か、ぬるりとした小さな物で撫でられる感覚を覚え、全身が痺れるのを感じた。

 反応を楽しむように、俺の表情を見ながら、彼は続ける。


「君は、自分の利用価値に気付いてない。そもそも、この世界の存在ではないその肉体が、魂が、どれだけ価値があるか……」


 それは、どういう意味だ? なんのことだ?


「大丈夫。オレが手取り足取り、先生よりもしっかりと面倒を見てあげよう。なんだったら、君が望むすべてをあげよう。ありとあらゆる、すべてを。そうさ、せっかくの異世界なんだ。手に入れればいいじゃないか。欲しいままに……あらゆる全てを……」


 人指し指が、湿り気のある場所へと導かれる。

 指先に血が集まる。少年の舌が、濡れる指先を弄ぶように転がし、吸い付いてくる。まるで強請るように、柔らかな弾力が包み込んでくるのが解った。

 その黒い瞳の奥に、吸い込まれるような感覚を覚える。自分の血の流れが酷くうるさく感じられ、足が浮いたような、この場に居ないような感覚を覚え始める。

 このままではマズイ、いけない、と思いながらも、体の自由は利かず、全身から汗が吹き出し始めるのを、汗の一粒一粒を感じながらもその場にくぎ付けになる。まるで、このまま、その先に行きたいような衝動が体をじっとさせてはくれない。

 そして、小さな濡れた場所から引き抜かれた俺の一部が、艶めかしく光を反射しながら糸を引いて離れていくのを見て、心臓の音がこれほど脳を揺らすものだとは初めて知った。

 視界が黒くかすんでいき、自分が立っているのか座っているのか、どうなっているのかも分からなくなってくる。

 耳元で、いや、頭の中で、体の芯から、背骨の底から、声がする。口の中を甘酸っぱい液体が満たしていく感覚が、どうしようもなく理性を焼いていく。


「何も怖くはないから、安心して。ただ、したいように……欲しいままに……奪えば良い……手に入らないならんだから」


 突然、強烈な耳鳴りと頭痛がし、俺は自分が地面に四つん這いで居ることに気付いた。口の中のそこら中に砂利を感じる。

 タマモちんが叫ぶように言う。


「茶島さん!! 正気に戻って!! 正気に戻れ!!」


 風の冷たさをまず最初に感じた。耳の痛さや頭の痛さもさることながら、全身にびっしょりとかいた汗が、急激に体温を下げていく。

 呼吸の音がうるさく、息が乾いた喉を通り過ぎていく。

 ふと見ると、周囲は見たことのない街並みで、ここはどこかの公園の砂場だと気づいた。


「茶島さん!? 大丈夫ですか? 急に走り始めて、この場で痙攣するように砂場に顔を埋めはじめたので正気ではない、と……」

「あ、ありがとう。何がどうなってそんなことになったのか……多分、幻覚とかじゃないかな」

「幻覚!? やっぱり何とかして逃げるべきでした……すみません」


 幻覚の内容に関しては絶対に言いたくない……

 すぐ傍、公園の砂場の縁に腰を掛けた、褐色の肌に燃える様な髪をした少年が笑いながら言う。


「いやあ、緊張をほぐそうとしただけだよ。思ったより耐性が無かったみたいだけど。いや、それとも本当に……“深い仲”になった方が良かったかな? 警戒心も溶けるかと思ったけど……逆効果だったか」

「……」


 口の中の砂を吐きながら、俺は立ち上がって彼から距離を取る。


「何のためにこんなことをしたんだ? どこから幻覚だった?」

「やだなぁ、言ったでしょう? 警戒心を解くためだって。それに、君は好奇心旺盛に、“白磁の少年”が何をしたいのか、知りたかったんだろう? 教えてもいいけど?」

「いえ……いいや、もう結構だ! お前に関わりたくない!」


 俺は口の中にまだ砂利を感じ、砂を吐き捨てながら言った。

 少年は肩を竦める。


「うーん、からかい甲斐があって気に入りそう。でもまぁ、今回は帰るよ。……君は既にオレと“つながり”をもった。これは魔術的にとても大きい」


 感染魔術……一度関わったものは影響し合う……

 少年は立ち上がり、お尻の砂を払いながら言う。


「甘い甘い夢のせいで忘れてそうだけど……君、あの三姉妹の契約主に命狙われてるんだから、気を付けてね。そろそろ契約主自身が来るよ。それとも、オレが守ろうか? 手取り足取り」


 そういえば……そんな話だったような。

 じゃあ、守って……もらう訳ねぇだろ!! 帰れ!!


「断る! 帰れ! 帰ってよもう!!」

「はいはい。残念だなぁ。ま、君が望むなら美女にも変身できるんだ。いつでも、オレを欲しがってくれよ」


 思わず砂場の砂を掴んで投げつけた。が、既にそこに彼は居なかった。



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