街は炎の中……



 遠くに見える炎の塊。狼の姿をしたその炎は、ゆっくりと、けれどその巨体故に、一歩がとても大きく、すぐに距離を詰めてくる。

 時折、悪態をつくように、足元の物を蹴飛ばしている。その結果、炎に包まれた家屋や車が吹き飛ばされ、火災があちこちで起きている。

 町の中は黒煙と火災の炎、逃げ惑う人々の悲鳴が上がっている。


 あの狼が何なのか、俺には分からない。分からないが、あれがそのうち自分たちの元まで来るであろうこと。そして、足元の人類のことをまったく気にしていないことは確かだ。

 俺の口から言葉がこぼれる。


「なんだよ、あれ……」


 ゆらゆらと、炎が揺らめき、周りに火を振りまいて、死を焼いて歩を進めてくる。目に焼き付くような赤色と共に、その強烈な悪意と暴力が、熱になって迫る。


「茶島さん! 何呆けて見てるんですか! ほら早く! 逃げますよ!!」


 タマモちんは買った荷物をその場に置いて、独りでに俺に“着られ”る。


「タマモちん、あれはなんだ? 生き物なのか? あるいは、魔法のような何かなのか?」

「いいえ、あれは……じゃなくて! 説明の暇が有ったらさっさと逃げないと!!」


 タマモちんは、あの巨大な炎の狼が何なのか知っているようだったが、答えてくれるより先に俺の足を勝手に動かしてその場を離れ始める。


「茶島さん、タマモに体を預けて、無理に動かさないようにしてください。安全な場所まで移動します」

「え? なに? なんで視界を覆うの!?」


 タマモちんはいつものローブのような形ではなく、完全に俺の体を包み込む形になっていた。

 頭部部分もフードではなく、フルフェイスヘルメットのような形であり、足先まで完全に硬質な素材に体が包まれているような気がする。胸や脇腹が苦しく背中は少し痛い。耳にはくぐもった音が聞こえ、手足は勝手に動かされる。かなり強い力で動かされているのを感じる。確かにこれに逆らえば怪我をするだろう。


「視界を映します。とはいえ、知覚情報は今必要ないと思いますけど」


 真っ暗に遮られていた視界に、映像が浮かび上がる。


 そこには、炎に包まれた町が映し出された。

 燃え盛る火の手は、街を瓦礫に変えていき、生き物の生存を許さない。その真っ只中を、誰かが高速で走っていく。自分の体と視界で、崩れてくる建物を躱し、往なし、乗り越えていく。あるいは、飛来する火達磨になった“何か”を避けていく。

 振り返ろうにも首は動かず、気持ち悪さを覚えるが、これは自力でここから逃げることは不可能だと直感で理解できる。タマモちんに任せるしかない。

 暑さを感じないのは、おそらくタマモちんのおかげなのだろう。

 とはいえ、情報が少ないのは何か気持ち悪さを覚える。


「た、タマモちん、音がうまく聞こえないけど。くぐもった音しか聞こえない」

「聞く必要はないとタマモは判断します」

「いや、でも……」

「断熱のためには外部音声入力をオフにしてあるんです。もう少しで抜けますから我慢してください」


 近くでどんな音がしているのか……あまり深く考えるべきではないのかもしれない。


 突然、大きな衝撃と共に視界の映像が揺れる。

 映像を見るに、どうやら立ち止まったらしい。


「タマモちん!?」

「ああもう! 面倒くさい!!」


 タマモちんがそう言い切る前に、目の前に横倒しになった大きなビルが降ってくる。

 どうやら、これに気付いていたため立ち止まった、ということらしい。


「流石にあれはタマモの防御力を越えてます。迂回します」

「ま、任せます……」


 そう俺が応えるより早く、タマモちんは脇の摩天楼、所謂、超高層ビルに飛び込み、階段を跳躍によって無視しながら階層を駆けあがっていく。

 だが轟音が鳴り響き、唐突にビルが急速に傾いていく。


「タマモちん! ビルが傾いてない? これ! 崩れそうだけど!!」

「いえ、計算の内です。茶島さんはそのままでおねがいします!!」


 そのまま傾いていくビルの階段を、階段の手すりを足場に跳躍しながら進んでいく。


「待って待って! どうすんの? このまま行ってもビルの天井があるだけだよ!!」

「舌噛みますよ!」


 唐突に直角に進む方向を変え、既に閉じている防火扉に飛び付く。

 そのまま防火扉をこじ開けると、傾いた床の上を大きなデスク机が滑り出し始めている。


「いやいや、この後どうするの!?」

「流れてくる机を足場にして、あの遠くの窓を蹴破ります」

「はあ!?」


 ほぼ地面に垂直に傾いたビルの床を蹴りながら進み、落ちていくデスク机を足場にしなおも進む。その最中に机の上に有った電話を持ち上げ、電話回線を引きちぎりながら振りかぶる。


「今更ですが、茶島さん、泳げますよね?」

「い、今更!? 待った待った待った待った待って待って、待ってってば!!」


 そして、電話の角で目の前のガラスにひびを入れ、そこに飛び蹴りを放ちながら窓を蹴破った。


「歯を食いしばって、ショックに備えて!!」

「冗談キツイって!!」


 目の前の映像では、俺の体はどこかの黒い水面の上に投げ出されていた。

 恐怖に体がこわばるうちに、大きな衝撃が来る。


 痺れるような感覚、耳をつんざくようなの音の直後、体のあちこちに冷たさを感じ始める。


「た、タマモちん! 水だ! 水が入ってきてる!!」


 だが、タマモちんは答えない。

 それどころか、急に視界が開け、体が水中に放り出される。


 見れば、体の周りに有ったタマモちんの鎧は無くなり、いつものローブの形になっている。体の自由も効くようになったが、同時にタマモちんのサポートもなくなった、という意味でもある。

 俺は、咄嗟に明るい方へ向けて手足を動かし、水面を目指した。



 ほどなくして、水面から顔を出せた。

 どうやら、タマモちんの誘導により、俺は近くの川へ飛び込んだらしい。すぐ傍には、大火災に呑まれ、倒壊していく街がある。


 見たところ、あの炎の狼の姿は無いが……あるいは、この場所からは見えないか。



「あら? 人ですか? 大丈夫では、なさそうですね?」


 突如、俺の頭上から声がした。

 振り返ると、そこには小さなボートが一艘。


「手をお貸ししましょうか?」


 ボートの上から、女性の声がする。聞いたことがない声だ。

 俺が答える前に、そのボートから縄梯子が川に投げ込まれる。

 俺はその縄梯子を掴み、水面から上がる。その最中……



「あら? あなた……もしかして、茶島 シュンというお名前の方では? もしそうなら、そのまま川の中に入った方が……あなた、死ななくて済みますよ」


 女性は、静かに、冷たい声色で言い放った。


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