今、あなたを、視ています。



「その黒いフードが付いた上着……それは人間の形になるのでしょう? “白磁の少年の同行者”があなたであるのなら、いち早くお逃げなさい」


 ボートへ上がる縄梯子の上から俺にかけられた声は、冷静に俺を諭してくる。


「ま、待ってください。あなたは、誰ですか?」


 ボートに居る声の主は、ため息交じりに俺に手を差し出してくる。

 声の主は、流れる様な黒髪に真っ黒なビジネススーツに身を包んだ女性のようだ。


「私に関しては、追々……まずは、ボートにお上がりなさい。人では、体温が下がり過ぎては毒だと聞きました」


 人では……? なんか、まるで自分が人ではないような言い方だけど……この人も使徒、だろうか? あるいは……

 ともあれ、この女性の言う通り、川に浸かり続けるわけにはいかない。俺は彼女の手を取った。

 直後、すさまじい力でボートの上へ放り投げるように引き上げられた。

 俺は即座に、そのスーツの女性から、這ってでも距離をとる。立ち上がり、彼女がこちらに特に危害を加えてこないことに、少し安堵の気持ちになる。


「あ、あの……助かりました。ありがとうございます」


 とはいえ、あの怪力。自身が人ではないような言い草。この人はきっと、人ではない。それにさっき言っていたあの物騒な言葉。

 俺が茶島 シュンであれば、殺される? ……それってもう殺されるってことでしょう?

 俺は尚も、彼女から離れたまま、彼女から目をそらさずに警戒する。


「お礼を口にしながら、それでもしっかりと警戒をしていらっしゃる。……なるほど。既に何度かは命の危機にも遭っていらっしゃるようですね」


 そう言いながら、彼女は縄梯子を引き上げる。


「ご安心を。私はあなたを攻撃しません。今はまだ」


 今はまだ……


 彼女は俺に向き直って言う。


「確認です。あなたは、茶島 シュン、で良かったですか?」


 その質問に、はい、と答えた場合、殺されるのでは……?

 俺は思わず言葉に詰まった。


「なるほど。しかし、こういう場合の沈黙は逆効果です。肯定の意味にとられてしまいます。ああ、ちなみに、即座に断るのも失策です。それも肯定の意味として取られます。……ちなみに、慣れてる人からすると、嘘なども見抜かれます。つまるところ……」


 彼女は、俺の方へ少しずつ歩いてくる。


「あなたが、茶島 シュンですね」


 はい、と言えば殺される。いいえ、と言えば嘘は見抜かれる? 沈黙もダメだし、これ、何と答えれば!?


「正直ですね」

「ま、だ……なにも言ってませんが……」

「腹芸が出来るようには見えません。いえ、そもそも……」


 彼女はボートの縁へ腰を下ろして続ける。


「あなたが、いえ、あなた方がこの川へ落ちてくることは、。私の自己紹介をさせてください。

 私は未来視の能力を持ちます。名前は、ミーファとお呼びください。そう呼ばれておりますから」


 ミーファと名乗った女性は、その黒い髪を耳にかけながら言う。


「その未来視で、あなたが来るのを知っていたので、あなたを迎えに来たのです」

「それは……何のために、ですか?」


 俺は疑問を口にした。まぁ、普通に考えれば、殺す為なんだろうけれど……


「それはもちろん……あなたを捕らえて、引き渡す為です」

「引き渡す? 誰にです?」

「それは……あ、そう。言う必要はないでしょう? ああ、逃げようとしても無駄です。のですから。逃げ道などありませんよ」


 なんだろう? なにか、違和感があるような? 何に俺は違和感を感じたんだろうか?

 ともあれ、この人は俺を殺すつもりなどない、ということらしい。だって、引き渡すのが目的なのだから。誰に引き渡すつもりかは、この際置いておいて……


「つまり、その引き渡された先で、俺が死ぬだろうことは解っていると。助けてくれたのは、引き渡すためであると……」

「ええまぁ……想像に難しくないかと思いますが?」

「“想像に難しくない”? なんでそんな歯切れが悪いんです?」


 思わず俺の口から出た疑問に、彼女は言葉に詰まりながら、何とか言葉を絞り出した。


「どういう、ことですか?」


 もしかして……この人、“未来視なんて持ってない”んじゃないか? そんな疑問が俺の中に湧いてくる。

 だってもし未来が見えるなら「想像に難しくない」ではなく、「それは未来視で視たので」とかで良いんじゃないだろうか? 見えてるなら。


「あの、聞いても良いですか?」

「え!? あ、いえ、これ以上答えるわけにはいきません。素直に、この船の上でお待ちなさい」


 ますます怪しい。

 これは……逃げれるのでは?


 俺は川岸を見る。どこか、上がれそうな場所はあるだろうか?


「まさか、逃げるおつもりですか?」


 俺の様子を見て、ミーファが焦ったように言った。


「私には未来視があることは告げたでしょう? 逃げられるとお思いですか?」

「ええ、でもそれ、未来視はかなり限定的な物か、あるいは嘘なのでは?」

「嘘? なぜそう言えるのですか?」


 ミーファが表情を険しくしながら、ゆっくりと立ち上がる。


「なぜなら、俺が今から何をするつもりか、解ってないからです」


 と言いながら、俺はミーファから少しずつ距離を取る。


「やめなさい。泳いでいくには距離があります。それは視ればわかるでしょう?」

「なぜ、俺が泳ぐと思ったんですか?」

「岸をちらちらと見ているでしょう? それなら、泳ぐだろうと“予測”するのは当然のことでしょう?」

「それ、に、疑問が浮かんだんです」


 ミーファの顔に困惑が浮かぶ。


「そこ? そことは?」

「“予想”ってどういうことですか? 未来が見えるんでしょう? なら、予想じゃなく、“そういう未来を視た”ではないんですか?」


 ミーファは言葉に詰まる。


「確か、あなたは俺にこう言いましたよね。『こういう場合の沈黙は逆効果。肯定の意味になる』と」

「それぐらい、未来を視るまでも無いのです!」

「ああ、つまり、細かい未来が視えないか、あるいは未来を視るには時間が必要なんですね?」


 ミーファが舌打ちして俺に言う。


「ああもう、面倒くさい……あの外道契約主はなぜこんな回りくどい真似を……

 ええ、そうです。“私には未来視などありません”。それは契約主の入れ知恵で、“そう言うように言われていた”からです」


 やっぱり。未来視なんて嘘だった。でも、なんでわざわざそんな嘘を言う必要があったんだ? 未来視がある、と俺に信じ込ませることで、いったい何を狙ったんだ? 俺を逃がさないために言っただけのことなのか?


 ミーファが腕を組んで、不機嫌な表情で続けて言う。



「ですが、あなたは彼に殺されます。彼は……

 



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