帰路に就いて



「そういえば茶島くん、落とし物」


 先生の元に戻ると、既にそこには先生しかいなかった。ニックさんもラング・ド・シャももう別の時代へ移動した、と先生は言った。

 ニックさんにはお礼を言いたかったが、もう居なくなっているなら仕方がない。

 先生のところの聖霊の例を考えると、きっと急に呼ばれたりするのは、使徒にはよく有る事なのかもしれない。


「落とし物? なんです? って! それ、俺の財布!!」


 先生が差し出していたのは、黒い折り畳み式の俺の財布だ。


「まったく。この時代には石油素材の生地とか無いんだから、気を付けてくれ給えよ」

「は、はい。すみません……じゃなくて!」


 俺はこの財布が掏られていたのではないか、ということを先生に抗議した。


「あの先生がいきなり斬りかかった男の子ですよ! 彼が盗んだんじゃないかと……」

「あー……まぁ、そうだったんだけども」

「やっぱり! じゃあ落とし物じゃないじゃないですか!」


 先生は小さく「気づいてないかと思ってた」とつぶやいたのが、俺には聞こえた。


「先生、あの男の子にいきなり斬りかかった理由を聞いても良いですか?」


 先生は黙ったまま少し俺の顔を見る。

 少し汚れた白い髪の向こうから、緋色の奇麗な瞳が俺を見る。笑いもせず、睨みもせず、ただ静かに見つめる。

 俺は更に先生に聞く。


「言えないような内容、なんですか? 今日何があったんですか?」


 先生は答えない。ただ俺を見ている。


「なんで、不老不死の使徒が気絶してたんですか? 死ぬような怪我でも時間が有れば治るようになってるのが使徒でしょう?」


 俺は先生の肩を掴んで言う。


「何を隠してるんですか! “隠す理由”は、なんですか!」


 先生は何も言わない。



「へっくしゅんっ!」


 が、沈黙はタマモちんのくしゃみで邪魔された。


「タマモちん、今大事な話を……」

「いえ、その、先生も茶島さんも……生臭いです。嗅覚がイカレそうです」

「生ぐさ……そういえば……」


 そう言われてみれば、二人ともかなり汚れている。

 先生は豚の餌入れに、俺は生魚の入った樽に入ったんだった。


 俺は先生の肩を強く掴んでいる自分に気付いた。無理に自分の知りたいことを問い詰めて言わせようとしている自分に。

 俺は先生から離れた。


「……はぁ……そうだった。一旦、風呂行きだね」

「そうですよ! いったんお風呂です! その後スイーツです!」

「ああうん、そうだったそうだった。作る約束だった」


 俺は先生から財布を受け取り、中から“黒い鍵”を取り出す。

 “まほろば”に入るための鍵だ。

 俺は手短な場所の……豚小屋の出入り口に鍵を向ける。すると、豚小屋の扉の鍵穴は、まるでカートゥーンアニメのように、ゴムのおもちゃの様に伸びて鍵穴が広がり、自然と“黒い鍵”が填まるようになった。

 そこに“鍵”を差し込み回す。カチッという音共に、扉は豚小屋にはつながらず、“まほろば”へ繋がるように変わった。


 俺はドアノブをひねりながら、先生に言う。

 大事なことのような気がしてならないからだ。とはいえ多分、先生は答えてはくれないだろうけれど……


「先生……一応聞きますが……さっきの俺の質問に答えるつもりはありますか?」


 先生は口を真一文字に結びながら、どことは無しに何かを見てから、息を吸い込んで口を開いた。


「答えることはできない。が、最大限の回答かな……」


 その緋色の目は少し困ったような、けれど真剣なまなざしで俺を見上げてくる。


「それはどういうことですか?」

「僕には、記憶がいくつか足りてないんだ。特に、使徒になる直前の記憶がね」



 先生が使徒になった時と言えば……ずいぶんハッチャケた神に、罰の内容を告げられているところから、だったっけ?


あのクソ野郎は『悪魔を召喚して契約し、逃がした罪』と言った。……だが、肝心のその部分の記憶がない。

 でも、予想はついてる。その時契約したであろう悪魔のことは覚えてる……」


 先生は、ドアノブをひねったまま止まっていた俺の手を止めて、俺の顔を覗き込んで、強い口調で言う。


「記憶にあるのは、“褐色の肌に燃える様な髪をした少年の姿をした悪魔”だ。彼が、おそらく消えた記憶に関わっている」


 彼は語気を強めて、念を押す様に言う。


「良いかい? 絶対、彼と関わってはいけない。危険すぎる」


 少し沈黙が流れ、俺の手を握る先生の手に力が入るのを感じた。

 俺の中で「それは答えになってない」という言葉が押し戻されるような、喉元につっかえて出てくるのを止められたような、そんな気持ちになったてしまった。

 俺は思わず返事をする。


「は、はい。大丈夫です。関わりません」

「この警告は最優先で……良いね?」



 先生は、俺に何かを隠している。

 この時代に最初に来た時に会った褐色の少年なら、その悪魔なら……先生が何を隠しているのか、わかるかもしれない。

 俺に関係のないことかもしれない。でも……無関係ではないような気がして仕方がない。




 その思いを胸に仕舞って、俺は“まほろば”へ通じる扉を開けた。





 第二話:哲学者、14世紀前半にて、通りすがりついでに追われた少女を救出する。



 了




 次回:第三話へ続く……

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