人狼の将、現る
俺たちの背後に、何か、この人たちを恐れさせる何かが居る。
港の人たちを恐れさせ、逃げまどわせ、倉庫に逃げ込ませた……恐怖の存在。
俺はシャルジュの手を引いて、倉庫の入り口から離れるように、倉庫の中に入った。倉庫の奥までは入れない。それを許さないという視線が、背中に刺さるかのように感じた。
倉庫の入り口には、人間の男が立っていた。
色あせた
よれて汚れて乱れた長い黒髪。その上に幅が広い鍔のついた黒い帽子。
顔には黒色メイクがされており、特に目の周りは寝不足の隈かパンダのような眼になって居る。だが、その中にある眼の不気味さは見ていると落ち着かなくなる怖気を放っているように思う。
男が指さしながら、倉庫の中の人間の数を数えている。その指は妙に細長く、枯れ枝のようにも見える。
その男が黄色い歯で、にこやかに微笑んで言う。
「ごきげんよう、下等人種諸君。オレはゲッシュと名乗っている。所謂ところの上位種族、人狼だ。
先ほど港でも言った通り……あるいはお隣の倉庫で“やった”ように諸君を殺そうと思う。……異論は?」
人狼……また人狼か。
へらへらと笑う男に対し、倉庫の中の誰かが、俺とシャルジュを強く押しながら言う。
「下等人種はこいつらだけだ! 毛のない人間だぞ! 下等生物を殺したいならこいつらからだろ!?」
倉庫の入り口に居るゲッシュは微笑みながら、しかし全く笑っていない目で倉庫の中の人々を見る。
振り返れば、倉庫の中に居た人々が俺たちを男へ差し出そうとしている。皆一様に恐怖の表情で。
「そうだ! 我々は信仰篤き民だ。主がお守りくださっているんだ」
「その通りよ! 人間はこいつらだけ! こいつらを差し出すから見逃して!」
人間だから、差しだしていいと? この人たちはそんなことを言ってるのか!?
俺はシャルジュをも突飛ばそうとする連中から彼女をかばいながら言い返した。
「待ってくれ! 人狼がお前たちだけを助けてくれる保証はどこにあるんだ!? どうして俺たちだけ差し出そうとするんだ!? 協力して逃げようとするとかそういう考えは……」
「うるさい! 人間のくせに! 下等種族を殺すってあの男は言ってるんだ。なら殺されるのはお前たち人間のはずだ!!」
本当にあの人狼は人間だけを殺しに来たのか? なら何でこの人たちはこんなに怯えているんだ? そんなわけがない。人狼がどういう存在かはもう知ってる。
「人間を殺しに来たんじゃなく、人種問わず殺しに来てるんだろ? だからあんたらは、あの男を恐れてるんだろ!?」
俺を押し出そうとする手が一瞬止まる。
そして誰かが言った。
「き、きっと勘違いしてるんだ。下等種族と、我々の区別がついてなかっただけだ。そうだ、誤解してるんだ!」
また誰かが言う。
「そう、そうよ、そうよ! そうに違いないわ! だって、だって、だってそう教わるじゃない? 聖典にもそう書かれてる。そう習う。“人間には取り柄が無いんだから、下等種族だっていうのはみんなが思ってることだ”って!」
みんながそう思ってるから? そんな理由で……
そんな理由で……? みんながそう思ってる、つまり……
「人間が弱い種族だって、常識だろう!? 必要な犠牲なんだよ!!」
つまり、それが常識だから……
そういえば、シャルジュが言っていた。
俺が異世界から来たんじゃないかと。何故かと聞いた時に言い淀んでいたけれど……やっぱり、“この常識”が俺には無かったからなんじゃないか……俺が、人間の女の子を助けようとする常識知らずだから、だから彼女はそう思ったんだろうか。
馬鹿げた考えだと思ったけれど、本当に、人さらいの悪人だけじゃなく、巷の人のレベルでこれなんだ。
……だから、人間を誰も助けない。同じ人種の人間だって人間を助けないのが、常識なのか……。
誰かが強く俺の背中を強く蹴飛ばし、その衝撃で俺は倒れて、シャルジュから離れてしまった。
更に誰かがシャルジュを蹴飛ばし、彼女は倉庫の入口の方へと倒れ込んだ。
立ち上がろうとした俺の上に誰かが乗っかり、俺の頭を抑え込む。
「なるほど。人間は下等種族。……確かに常識だ!」
ゲッシュがシャルジュの髪を掴み吊り上げた。シャルジュが痛がりながら頭を抑える。
そして、右手でシャルジュを吊るしながら、左手で彼女の肩を掴んだ。直後、彼女が悲鳴を上げる。
俺は咄嗟に叫んだ。
「シャルジュ! おいこら! 離せ! やめろ!!」
ゲッシュが笑いながら続ける。
「いいねぇ、いいよ、悲鳴。良い悲鳴だ。堪らないっ! 止めに入る男の子が居るのも、も、もう、堪らない!! はああ、良い!!」
よだれを垂らしながら黄色い歯でゲッシュは笑う。ゲッシュの細く不気味な指が彼女の肩に指が刺さるように食い込み、血が出るほどの力で強く掴む。
「ああ、でもさぁ……オレ、気が変わっちゃったな……」
突然、ゲッシュはシャルジュを放した。彼女が倉庫の床に投げ出される。シャルジュは自分の肩を抑えながらその場でうずくまった。
ゲッシュは倉庫の中に居る他の人々へと歩を進めてくる。その様に恐れおののき、俺の上に乗っていた誰かが俺から離れ、倉庫の奥へと走り去った。
ゲッシュが言う。
「人間が下等種族……そうだよなぁ。それが常識だ。でもさ……オレは人狼なんだよ。あらゆる人種が、俺より下等種族なんだよ……だからさぁ……」
倉庫の中の人々の一人がゲッシュに言う。
「ま、待ってくれ! 助けてくれ! 金か? 食料か? 人間は差し出しただろう!? 信仰篤き民なんだぞ、我々は!」
「ああ、命乞いとしては三流だね。詰まんない」
ゲッシュの不気味な指がその人の頭を掴み、ゆっくりと握りつぶした。
「あああああああ!! 痛い! 痛い! 痛い! 潰れる!! 潰される!! 助けて!! 頭から音が、変な音がする!! 頭が、頭が潰され……」
頭蓋を潰す音と共に、辺りに血と脳漿が飛び散り、倉庫の中に悲鳴が響く。
ゲッシュは笑いながら連中の中に入って行く。
「はははは!! いいね! ようやくだ!! そうやって怯えて逃げて悲鳴を上げろ!! じゃなきゃ詰まらないし“エロさが足りない”だろ!!」
ゲッシュは人々を捕らえ、ゆっくりとなぶりながら殺していく。その悲鳴や逃げ惑う人々の慟哭が、ゲッシュの笑い声が聞こえる。
その最中、俺はシャルジュの元まで駆け寄り、彼女を立ち上がらせようとする。だが、彼女は痛がって起き上がれない。
シャルジュは泣きながら肩を抑えている。見れば、彼女の肩は抉れて出血は思ったより酷いようだった。
「ごめん。でも、ここにはいられない。逃げないと……」
俺は彼女を抱き上げて、倉庫の入り口から出ようとした。
直後、倉庫の入り口が独りでに閉まった。入り口の扉の傍には誰も居ない。誰も居ないはずだ!
「待ちなよ。誰が逃げて良いと言ったのかな? ええ? オレに殺されなよ」
すでに静かになった倉庫の中から、ゲッシュが俺たちに言う。
俺は振り返り、怪物と目が合った。
「君らも、良い悲鳴を上げてくれよ。じゃなきゃぁ、萎えちゃうじゃないか……」
人狼の不気味な笑い声が響いた。
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