洗濯物曰く「俺の気持ちを知るいい機会だったね!」



「た、滝!? 用水路でしょ、ここ!!」


 と言ってる間に、舟は沈むかのように大きく頭を下げて傾いた。

 が、すぐに元に戻った。


「ちっさ! 滝ってほんの四十センチもないじゃなん!! 渓流川下りかよ!!」


 ほんの小さな滝を乗り越えて、舟は進んでいく。

 まぁ……確かに転覆の危機は無かったわけではないけれど。

 しかし、そこから流れは急になり、水流の音が耳を塞ぐかのような大音量になる。


「同じような滝がまだある。……先には先ほどの十倍ほどの大きさの滝も……港まですぐに……ロープを!」


 岸を相変わらず走って追いかけてくるラング・ド・シャが叫ぶように言う。川を流れる水の音にかき消され、彼の声は途切れ途切れにしか聞こえない。


「十倍っていうと……四メーター!? 流石にそれはやばくないか!?」


 何とかしないといけないが、何ができるのか。そういえば、オールが無い時点でおかしいと思わないといけなかったのかと、今更思う。

 そもそも、ラング・ド・シャは俺と……本来であればタマモちんを舟で沖まで流すつもりだったようだ。

 ラング・ド・シャが叫ぶように言う。


「沖まで同行者が流されれば……使徒が助けに来る……があるはずだ! ……れ!」

「なに? 聞こえない!」

「船がひっくり返らないようにしっかりつかまれ!!」


 気づいた時には遅かった。

 自分のお尻が宙に放り出されるような感覚がある。そのまま、体が宙に放り出され、水面に垂直に突き刺さるようにひっくり返る船体が視界の端に映り込む。直後、自身の体が水面に叩きつけられた。

 咄嗟の事にむせ込みながらも水が喉に入り込む。足もつかず、水面がどちらだか分からない。ただ自分が洗濯機の中の洗濯物のごとく振り回されていることは解る。

 精一杯伸ばした手が水面を越えたのを感じ、必死に水を掻いて水面から顔を出すことができた。


 どうやら、地下河川からは出たようで、かなり開けた場所に流れ出たようだ。

 水平線の果てに沈み切りそうな夕日が視界の端に入る。地下河川よりは流れが緩いようだが、なおも流されている。

 すぐ近くに港の桟橋が見える。海面から一メートルほどの高さの木製の桟橋だ。沖に船が出ている様子もない。どこまでも夜の暗がりに溶けた水面が広がっている。


 振り返って見れば、舟は転覆し、かなり離れたところで引っかかっている。あれでは浮子うきとして使うこともできなさそうだ。

 先ほど見かけた港の桟橋を、波にのまれながらも注視する。細い脚の桟橋で、あそこにしがみつくことができれば、陸に上がることはできそうだと思った。となれば、シャルジュを探さないといけない。

 シャルジュは俺のすぐ近くに顔を出した。喉に絡んだ咳をしながら、辛そうにしている。

 俺は彼女を引き寄せたが、必死にもがく彼女によって、俺は鎮められそうになる。完全にパニックになって居るようだった。

 その最中にも俺たちは流されていく。


「シャルジュ、落ち、落ちつ、着いて……」


 俺はシャルジュをなんとか押し上げるように抱えて、なんとか桟橋に向かって泳ぐ。こういう時、授業で水泳があるって、すごい大事なんだな、などと、頭のどこか冷静な部分で考えていた。

 桟橋まで手を伸ばし、なんとか指先が桟橋の足に届いたのを感じる。シャルジュを引き寄せてそこに掴まらせた。


「少し待って。引き上げるから」


 俺はシャルジュが抱き着くように掴んでいる桟橋の足とは別の桟橋の足に手をかける。これをなんとか登れれば……と思ったが、ぬるぬるしてうまく登ることができない。

 だからと言ってこれを登らないわけにいかない。

 必死に爪を立てて桟橋の足を上る。何度か滑り落ちながらも、からくも桟橋の上に上り、シャルジュが居るであろう場所まで行く。

 そして、まだむせ込んでいる彼女に手を伸ばした。


「シャルジュ! 掴まって!」


 子どもとはいえ、水を吸った服を着た人一人を自分の足より低いところから引き上げるのは、なかなか辛く、足腰にピリピリとした痛みが走ったが、手を放すわけにいかない。

 俺はなんとか彼女を引き上げ、桟橋の上に仰向けに倒れ込んだ。

 俺の上でシャルジュが咳き込みながら起き上がる。


「茶島さん、大丈夫ですか!?」

「な、なんとか、痛っあぁあ!! ってなにこれ!?」


 両手の指が何本か、ずきずきと痛む。どうやら、桟橋を上る際に爪がはがれたらしい。いくつかの爪がパカパカして……うん。見なかったことにしたい。

 気づけば、どこでぶつけたのか後頭部に瘤。あちこちに青あざ、切り傷となかなか酷い。今まで痛みに気付かなかったのは、それだけ必死だったということかもしれない。


「み、水が、沁みる……と、ともかく、港についたのかな?」


 疲労とあちこちの痛みもあり、俺は起き上がらずにシャルジュに聞いた。


「えっと……は、はい。そうだと思います。倉庫とか、漁船が繋いであります」


 よかった。変なところに流されたとかではないらしい。

 宵闇の風は、水にぬれた体を冷やし始める。流石に寒い。


「それなら、港から大通りに出れるかもしれない。日も傾ききってるし、早くお姉さんを見つけないと……あと……シャルジュ……」

「は、はい……」

「そろそろどいてくれると助かるんだけど……」

「あ、ああっ! ご、ごめんなさい!! 温かかったから、つい……」


 ……今、俺の脳裏に浮かんだ一抹の考えに、俺自身がドン引きした。







 石造りの建物が密集している港は、倉庫が主な建物のようだった。

 簡単な藁ぶきの屋根か、あるいは煉瓦の屋根で出来た石造りの、何の飾り気も無い建物が立ち並び、近くにフルーツや野菜が入った木箱が乱雑に積まれている。


「あれ? 灯りはあるけど、人が居ない気が……」


 ふと気になったが、どうにも人影がない。

 近くの倉庫らしき建物の扉を叩くが、反応はない。


 俺もシャルジュも二人ともずぶ濡れの状態である以上、出来れば服を乾かしたいのだが、一切人に会わないまま時間が過ぎる。


「ごめんな。寒いよな……どこかで火に当たらないと……」


 シャルジュが震えながらも黙っているのを見て、俺はどこか申し訳なくなった。


「い、いえ、大丈夫です。大丈夫……」


 そう言いながらも小さな肩を震わせている彼女の手を引いて、俺は片っ端から建物の扉を叩いた。

 夜の帳が遠くの物をぼやかして、近くの松明の灯りだけが強い光を放っているように思える。


「誰も居ないのか? もう夜だから、なんだろうか?」

「でも、普通は明日の用意とか……誰か居ても良いと思います」



 ふと、立ち寄った倉庫の扉が少しだけ開いていることに気付いた。

 中からは灯りが漏れ、ぶつぶつと何かを唱えるような声がする。

 俺はシャルジュの手を引いて中に入った。


「すみません……海に落ちてしまったんですが、暖を取らせてほしくて……」


 倉庫の中には、男女が数人。人種は人猫や人豚など……人間は居ない。

 その全員が、何かにおびえながら、何本か束ねた蝋燭の灯を囲んで何かを唱えている。

 俺の呼びかけに反応はない。俺は再度呼び掛けた。


「あの……」


 突如、男女の中から一人の人猫の女性が勢い良く立ち上がり、怒鳴りながら迫る。


「お前たち人間が! どうしてここに居る!! 我ら敬虔な教徒を、主は御導き下さる!! 人間は出ていけ!! 出ていけ!!」


 その言葉に呼応するように、他の人々も俺たちに向かって怒鳴り始める。


「あいつが来る!! あいつが来る!! 出ていけ!! 出ていかないと私たちまで襲われる!! あいつが来る!!」


 俺はシャルジュの手を引いて、倉庫から出ようとしたが、直後、連中が黙った。まるで、何か恐ろしいモノでも見るように、俺たちの方を……いや、俺たちの背後に居るナニカを見ている。

 集団の誰かが言った。




「ああ、来た……」

 



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