まっしろで、もふもふ、もこもこ
そういえば、ニックさんが『使途の弾丸』を使うのを見ていない。使徒ではないかというのは、あくまで俺の既視感、先生との類似点でしかないような?
突如、外套の男が吼える。四つん這いになり、その体が数倍に膨れ上がる。
ニックさんより二回りほど大きな真っ黒な、六足の昆虫のような姿に変わる。いや、昆虫とて真ん中に巨大な口は無いだろう。いわば、六つの足を持つヒトデのようにも思える。だがヒトデは体中に眼球を備えてはいない。
その巨大な黒い形容しがたい怪物は、ニックさん目掛けて飛び掛かってくる。
振り下ろされた怪物の足を掴みながら、ニックさんが叫ぶように言った。
「逃げなさい!! 早く!! 私は大丈夫だから、急ぎなさい!!」
そう言いながら、ニックさんが怪物を叩きつけるように投げて踏みつける。
その言葉に躊躇した俺に、ニックさんが続けて怒鳴る。
「あなたがお嬢ちゃんを守らなくてどうするの!! 怪物にあなたたちが人質にされる方がよほど危ないと言ってるの!!」
思わずシャルジュの方を俺は視た。
その顔は恐怖に蒼白になり、小さく震えている。
「ニックさん……ごめん!」
俺はシャルジュを抱きかかえ、その場から走って逃げた。
背後からはニックさんと怪物の戦う音がする。
俺に何かできることは無いのだろうか? いや、有っても何ができるだろうか?
でも、変に捕らわれるわけにもいかないし、シャルジュを放っておくわけにもいかない。
こういう時、先生がいてくれたら……
俺は何も考えずに走った。日は傾き、空は藍色に色づいて、夜の帳がすぐそこまで来ていることを知らせている。
もはやここがどこだか分からない。この町は裏路地がややこしすぎる。
ひたすらに走り続けても先生は一向に見つからない。このまま走り続けるには無理がある。どちらにしろ、俺の体力の方に限界が来ていた。
背後から人さらいが追ってくる気配もない。俺はシャルジュを下ろして座り込む。
額に浮かんだ汗を手で拭いながら、ニックさんのことをどう助けたらいいのかを考えていた時だった。
シャルジュが俺のシャツを引っ張る。
「茶島さん。あれ……誰か来ます。知らない人です」
そう言って、俺たちに近づく人を指さした。
指さされた人物は俺の目の前で立ち止まり、座り込んでいる俺を見下ろしながら言う。
「おや? ずいぶんと疲れ顔ではないですかな? 少年」
見上げると、奇麗なヨーロッパ貴族のような服装に身を包んだ人犬が居た。
毛並みが真っ白でモコモコの、耳は垂れ長で、とてもつぶらな黒い眼をしている。とても大きな体躯をしているが、どう見ても人間代のモコモコ犬にしか見えない。
煌びやかな金の装飾のついた赤い服を着ているが、その襟元をしっかり締めているせいか、そこに真っ白でモコモコの毛が襟首の上に乗っている。
腰には金色の細かな装飾がされたサーベルを帯刀しており、金持ち感がこの世界から浮いている気がする。
その白いモコモコの人犬が言う。
「何かお困りかな? 良ければ力になりましょう。吾輩、名前は『ラング・ド・シャ・フォン・ジッキンデン』と名乗る者。
吾輩のことは気軽にラング・ド・シャとお呼びなさい。さあ、いかがしたのかね?」
真っ白な犬の顔でとてもつぶらな眼をした……可愛い外見をしていながら男の声で喋る人犬が、しゃがんで俺と目線を合わせながら俺の返答を待っている。
「え? 怪しい……お断りします」
「な!? 断る!? わ、吾輩のどこが怪しいと!?」
「いや、明らかにそれ偽名じゃないですか。どこの世界に“猫の舌”って名乗る貴族が居るんですか?」
「居るではないか目の前にぃ! あと猫は可愛いから良いではないか!!」
このお犬様、猫派らしい。
「いえ、連れと逸れてて、その間に会った人が今ピンチな状況なんですが、誰に助けを求めればいいやら……」
ニックさんが人狼と戦っているが、いくら強くてもほぼ不死身相手では無茶だ。使徒の助けが要る。
ラング・ド・シャが咳払いして立ち上がる。
「ところで、少年。もしかしなくても君は……これぐらいの背丈の」
そう言いながら、自身の腰ぐらいの高さに手をかざす。ちょうど先生の背丈ぐらい。
「真っ白な髪に真っ白な肌で、紅の目をした少年の連れでは?」
ん?
「そして、その少年のことを『先生』と呼んでいるのではないかね?」
「先生を知ってるんですか?」
ラング・ド・シャは、うんうんと頷きながら続ける。
「なに、吾輩は彼から同行者の二人を連れてくるように言われている。そう、まさに君たちにとって……」
「使徒の助けを求めてるんです! 助けが必要なんです! 先生は今どこに!?」
俺は勢い良く立ち上がりながら、ラング・ド・シャに迫った。
彼は少し驚きながら俺に応える。
「お、落ち着くのだ、少年。白磁の少年はこの先の港に居る」
「白磁の少年?」
「ん? 君は彼の同行者だろう? 白磁の少年、とは彼の呼び名だよ。使途は名前をなくしているのに、彼は偽名を名乗らないからね。彼の外見からそう呼ばれている」
ラング・ド・シャはなにやら、少しハッとしてあたふたした様子だったが、俺の顔を見て何やら胸をなでおろした。なんだ?
「と、ともかく、君たちはこの先の用水路から港へと船に乗っていくと良い」
そんなことを言いながら、ラング・ド・シャが、ふとシャルジュを見て首をかしげる。
シャルジュも彼を見上げて首をかしげる。なんなんだ?
俺とシャルジュは、ラング・ド・シャの案内の元、町の地下水路らしき場所へと連れてこられた。どうやら、河川の上に大きなアーチのトンネルを作り、その上に町があるらしい。この川を下水道に使えよ、と思ったのは俺だけなのだろうか……
「さ、この小舟でお行きなさい。急いでいるのだろう?」
ラング・ド・シャが示したのは、小さな舟だ。地下河川の流れは見かけよりは早いらしく、舟をつないであるロープは、ぴんと張られている。
俺はシャルジュを抱えながら、ラング・ド・シャが舟を岸に引き付けてくれている間に小舟に乗り込んだ。
直後、ラング・ド・シャがロープをほどいて小舟を蹴る。自身は岸に残ったまま。
「はっはっは! 君たちが“使徒の同行者”である以上、君たちを助けに白磁の少年は来るはず。即ち、彼の邪魔をしている間に吾輩がミッションを攻略するこの作戦、どうかね!?」
見れば小舟の中にはオールらしいものはなく、早い川の流れにのせられて舟は流されていく。
舟が揺れ、立ち上がることも難しい。俺はシャルジュを抱きかかえながら、舟が転覆しないようにバランスをとる。
ラング・ド・シャは対岸を小走りに走りながら、俺たちついて来て聞く。
「しかし、白磁の少年の同行者の少女がそんなに幼いとは思わなかった。いやしかし、外見が変えられるとも聞いた気がするし、そんなものかもしれないが……」
そして恐る恐る彼は続ける。
「か、確認だけどその子、白磁の少年の同行者だよね? ね!?」
「違います! シャルジュはこの町で出会った普通の女の子です!」
「ええ!?」
ラング・ド・シャは焦ったように言う。
「吾輩は白磁の少年の邪魔がしたいだけで、庶民に危害を加える気はない!!」
続けて彼は叫ぶように言う。
「この先は滝になっているんだ! このままでは溺れるぞ!!」
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