普通さんがログアウトしたまま帰ってきません



「そこを行く三人組、待て……」


 どこだか分からない路地を進んでいる最中、俺たちは後ろから声をかけられた。

 振り返れば、あからさまに人相の悪い人が二十人ほど……人種は様々だが、人間は居ないようだ。

 その集団の先頭に居る外套のフードを目深に被った人が言う。声からして、おそらく男だろう。


「筋肉の塊みたいな長髪の女……見間違えるはずもない外見で助かるぜ。お前に是非聞きたいことが有ってな。人蜴じんえきを一人、殺さなかったか?」


 顔も見えない男の言葉に、ニックさんは俺たちより前に出て答える。


「さあ? 私たちは知らないわ。今少し道に迷ってるから、後にしてくれるかしら?」


 そこは道に迷ってるって素直に答えるんだ。

 男は笑いながらニックさんの言葉に返す。


「知らないで通るわけがないだろう? 小娘商品一人攫ってこれず、睨まれただけで気絶して、まんまと逃げられたとあっては流石に。つまり、うちのんだから、仇は討たなきゃなぁ」


 俺は思わず口を出した。


「待った。今の言い分だとまるで……自分の部下を、“殺した”のか?」


 男は俺の方へ顔を向ける。表情が分からないほど深くかぶられたフードの奥から視線を感じる。その不気味な視線に怖気が走る。


「オレの部下に無能は居ない。“要らないんじゃなく、居ないんだ”。だから、あれはオレの部下ではない。オレの傘下から抜けるなら……口封じは必要だろう?」


 つまり、シャルジュを攫ってくるのに失敗したから、失敗の代償に部下を自分で殺しておきながら、ニックさんへ仇討ち八つ当たりを行いに来たと……。


「小僧、そのを寄こせ」


 男の言葉が不快感を煽り、俺の中の反骨心が鎌首をもたげたのを感じた。


「人が攫われそうになってんだから普通は助けるでしょ」


 俺のこの言葉に、人さらいの集団が笑い始める。

 その中の誰とはなしに誰かが言う。


「“たかが”人間の娘だろうが。美しい毛並みも無く、強い腕があるわけでもなく、賢い頭があるわけでもなく、器用さだって他の人種に負け、すぐに怪我をする。使い道は雑用か、性処理道具ぐらいだろうが。


 俺はその言葉の意味が一瞬解らなかった。

 そして、次第に言葉の意味を理解し始める。


 この世界では、人間は少数派の種族だ。彼らが言うように、他の動物のような特徴を持つ人種と違い、美しくも無ければ強くもないのが人間という種族だ。

 人種に複数の動物のような特徴があるということだ。

 人と人の、あいだの人種……人間。


「昔……俺が読んだファンタジー物の小説では、多数の種族が居るが故に人種差別は無いって書いてあったんだがな……」


 俺の口は、現実に打ちのめされたように半ば勝手にぼやいた。

 なおも誰かの笑い声が響いている。それはおかしくて笑っているのではなく、人を囲んで馬鹿にしているときの、あの笑い声だ。他人をさげすむための、攻撃するための、嫌悪感を催す笑いだ。



 突如、大きな破裂音が笑い声を跳ね除けた。それは、ニックさんが打った“柏手の音”だった。

 笑い声が退き、沈黙が訪れる。

 ただ、両の掌を打ち合わせただけだ。だが、その音がその場の空気を張り詰めさせる。


「お話は終わった? 人蜴の人さらいを昏倒させたのは私なのだから、この二人には用はないんじゃないかしら?」


 そういって、ニックさんが腰を落とし、拳を構える。

 集団の男たちが少し後ずさりしながらも、それぞれが得物を、口々に罵倒の言葉を投げつけながら構える。


 だがその準備が終わる前に、ニックさんが深く屈みこみ、そのまま膝のバネを使って集団に飛び込むように、先頭に居る外套の男の顔面にドロップキックを放った。

 他の男たちが反応するより早く、長い脚を振り回して立ち上がり、素早く一人一人確実に、男たちの顎に掌底打ちや裏拳を入れていく。

 と、ニックさんが飛び込んだ場所から少し離れた位置に居た男がボウガンを取り出して、ニックさんに構えるのが見えた。


「ニックさん! 危ない!!」


 俺が咄嗟に叫ぶのとほぼ時を同じくして、ボウガンから矢が放たれたが、彼女はそれを拳で叩き落した。


「マジかよ……」


 おそらくその場の全員がそう思っただろう。

 直後、ニックさんの飛び膝蹴りがそのボウガンを持って居た男の顔面に入る。


 一人で複数人相手に、無双する……嗚呼、この既視感……


 などと思っていると、集団の先頭に居た外套の男が立ち上がる。……立ち上がる?

 いや、もっとこう、なんだろう……人が立ち上がるのとは違った、気味の悪さを感じた。


「まったく、酷いな」


 そう言う男の袖口から見える腕は、人間の物ではない。他の人種とも違うものだ。もっとこう……のような……


「しかし強いな、そのガタイは伊達ではないな」


 男は外套のフードを外した。その中から出てきたのは、人間のようなフォルムをした、真っ黒な肉の塊だった。目が側頭部や後頭部にも複数存在し、顔と思しき部分には目が五つ、鼻の穴らしき部分を避けながらも乱雑に配置されている。

 構えを解かずにニックさんがその怪物に言う。


「人ではないようですね、あなた」

「そう、人を超越した新種族だ」


 そう答えながら、男は近くの自身の部下の傍に屈みこむ。部下は小さく悲鳴を上げ、這ってでも男から逃げようとする。

 外套の男は、自身が纏う外套で部下を包み込む。するとその外套の中から何か音がする。濡れた肉を弄ぶような音がし、骨のように硬いものを砕き、それらを磨り潰すような、身の毛もよだつ音がする。

 外套の男が立ち上がると、その足元に、ぼとり、と部下だった男の腕が落ちる。


 俺は、あるイメージとこの外套の男のイメージが重なり、シャルジュを引き寄せながら、外套の男からできる限り距離を取る。電車の中で視た……仲間を仲間と思わずに殺すこの光景。


「俺、お前みたいなやつを知ってる……部下を殺して、自分の命にするんだろ?」

「ほう? 知っているのか、小僧」


 男は外套を脱ぎ捨てる。

 その外見は、異様な物だった。全身が黒い古木で作られているかのように、真っ黒でひび割れた肌をしている。顔と同じく、いたるところに乱雑に目が付いている。複数の色の虹彩が辺りをせわしなく見渡す。

 背中に大きな腕が、本来の腕とは別に二本あり、その二本の腕と脚で四足歩行をしているようである。

 なにより、腹部に大きな口があるのがわかる。胴を二分するかのように大きなその口の奥には、伽藍洞に空いている胴体の中が見える。


「オレは、“人狼の始祖の一人”。あるいは、今後の人類の始祖。不死身の存在だ」


 やっぱり人狼だ。


「人狼というが、狼のような種族ではない。人犬などと一緒にするなよ。なにせ、オレは数千回死のうとも死なないのだからな!」


 とはいえ、ニックさんが使徒であるなら、それこそ『使途の弾丸』でメタを張れる。

 なら、俺が今すべきは、シャルジュを巻き込まないようにすることだ。



 と思っていたのだが……



「なるほど。数千回殺せば死ぬのね」


 ん……? どういう……なにを言ってるのニックさん?


「坊やは、お嬢ちゃんを連れて逃げなさい。ごめんなさいね。お嬢ちゃんのお姉さんに、お嬢ちゃんを会わせるまで傍で守りたかったけど、そうもいかないみたい」

「え? あれ? ニックさん、あなた、もしかして……」



 もしかして、この人、使徒じゃないの?

 もしそうなら……人狼相手には戦えないんじゃ!?



  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る