とてもアレが大きな美女、現る。



 突然、俺の背後で、袋小路の奥にある扉、カタコンベへと続く扉が開かれる。

 中には干からびた骸骨しか居ないはずのその場所から現れたのは、骸骨とは真逆のそれだった。



 すなわち、筋肉だった。



 ……え? なんて? と、今思ったでしょ? 俺もそう思う。

 いや、現れたのは人間の女性なんだけどね。うん。


 しかし、現れたその人を形容するならば、まさに筋肉だった。

 美しくも強靭な筋繊維の集まりは、優美な曲線を描いている。

 すらりと伸びながらもしっかりと太くたくましい脚と、弾力の有りそうな太もも。

 奇麗な逆三角形を描いた胴体部分には、はち切れんばかりの巨大な、それはそれは巨大な乳房。胸筋ではない。ここはあえてはっきりと言おう、と!

 そこから延びる腕の逞しさたるや、魅せるような美しい筋肉がそこにあるのがわかる。

 なによりも、それだけ剛毅を体現した肉体美を誇りながらも、ウェーブのかかった美しい銀色の髪、深い彫りの整った目鼻立ち、(一部を除いて)雄々しい肉体と相反するその麗しの面。その美貌たるや、人間離れした領域の物だと感じた。


 俺は直感的に理解した。ある種の既視感を感じたともいえる。

 あ……この人、“使徒”だ。


 優に二メートルは超えているであろうその体躯で、小さなカタコンベへと通じる扉から、その女性……女性? うん。女性。……は出てきた。

 その人は俺とシャルジュ、そして目の前の人蜴を見てから言う。


「見たところ、父親が娘を迎えに来たというわけでもなさそうね」


 自分を見下ろすその巨大な女性に呆気にとられていた人蜴が、はっと我に返って言う。


「な、なんだてめぇ! なんで死体置き場カタコンベなんぞに居るんだ!?」

「なんで、って……ただの昼寝よ。深い意味もないわ。涼しくてちょうどいいの。少し埃っぽいけれど」


 いや、普通はそんな場所で寝ないよ。


「普通はそんなところで寝ないだろうが!」


 あ、人さらいとハモった。

 女性が言う。


「ともあれ、私は一部始終、聞いてはいたのよ。見てはいなかったけれど。だから、私は私の一存で、この坊やとお嬢ちゃんの味方をしようと思うのだけど……どうかしら?」


 女性が片足を前にそっと踏み出した。ただそれだけだった。

 だが、その踏みしめで、辺りの空気が振動し、耳に甲高い耳鳴りがするのを感じた。張り詰めた緊張感が肌を焼くような錯覚を覚えさせる。

 そうして、拳を握りしめ、腰を落として彼女は構える。

 人蜴はただそれだけで、今にもナイフを取り落としそうになっている。


「そのナイフで、私と戦おうというのかしら? いいでしょう。……さあ! かかって来なさい!!」


 その闘気を込めた一声が人蜴を貫いた。

 直後、人蜴はそのまま前のめりに倒れた。


「あら?」






 しばし静寂……しばらくお待ちください。






「はっ! そういうことね。気絶したふりをして、不意打ちを……我慢比べということね!」

「いやいや、どう見ても気圧されて気絶しただけでしょ!?」


 思わず突っ込みを入れてしまった。

 一拍をおいて、女性が俺の方へ向き直る。


「え?」

「え? じゃないでしょ、そこは!」

「普通、睨まれただけで気絶するかしら?」

「しないと思いますけど、お姉さんの外見からして、既に普通というのがログアウトしてるので……」


 顎に手を当てて考え込む筋肉だるまのお姉さんを脇に、シャルジュから離れて人蜴の近くへ近寄り、そっと様子を見る。

 泡を吹いて気絶している。ああ、この既視感。


「だ、大丈夫かしら? その人、死んでない? 大丈夫?」


 両の手を祈るように合わせながら、俺の後ろを右へ左へとウロチョロしながら様子をうかがってくる。

 なんで筋肉だるまなのに、こんな乙女な動きするの、この人。


「生きてると思います。ええ……気絶してる人はよく見てるので」


 どっかの年齢詐称少年のせいで。


「そ、そう。よかった」


 そういって、女性は胸をなでおろした。

 先生と違って、相手が死ぬのを良しとはしないのだろうか? いやまぁ、先生だって、進んで人を殺しているわけではないのだが……。



「それで? こんな人気のないところで何をしているのかしら? まさか、カタコンベに用があるわけではないでしょう?」


 女性は腰に手を当て、胸を張りながら俺に聞く。

 いやそれにしたってすごい大きさだ。肉体の筋肉度合いも、男性ボディービルダーを越えているレベルでありながら、胸の大きさも、グラビアアイドルを超えるレベルとは……すげぇ。色々、すげぇ……すげぇ……。


「聞いてる?」

「え? あ、はい! すごいです!」


 何がだ、俺よ。


「じゃなくて、その、人と逸れてしまっていて……」



 俺は、連れと逸れてしまったこと。連れを待っている間にシャルジュと出会い、彼女の姉を探す名目で、知らない街中を歩き回っていることなどを彼女に話した。

 とはいえ、念のため、先生がどういう人であるか、使徒については言わないでおいた。念のため、という奴で。

 おそらく、この人も使徒なのであろうが、確証が持てるまでは黙っておいて良いだろう。



 彼女は、自身の顎に指をあてて考えながら、俺の話を聞いてくれた。

 シャルジュは、自分より遥かに大きい、色々な意味で巨大な人であるがゆえに怖いのか、俺の後ろに隠れてしまっている。


「なるほど。事態は分かったわ。それじゃあ、行きましょうか」

「え? 行くって、どこへ?」

「私はこの町には何度も来ているの。道案内ぐらいどうということも無いわ」


 彼女はそう言って、俺たちを先導するように歩き始める。


「あ、でもその前に。確認したいことがあるのだけど……」


 突如彼女は足を止めて振り返る。


?」


 ん? それってどういう……?

 その言葉の意味を測りかねている俺の頭を撫でながら、彼女は言う。


「ありがとう。信用してくれたなら、誠心誠意、助けたいと私は思うわ」


 そういって、彼女は微笑んだ。

 待って……俺、今何されてた? 高い位置から眉目麗しい顔で頭を撫でられながら微笑まれると、なんか、なにかが……俺の中のなにかが危うい!!


「あ、え、あ、その! はい! ありがとうございます」

「お礼を言われるようなことはしてないわ。お礼は、お嬢ちゃんのお姉さんと合流してからで良いわ」


 そう言って、彼女はまた歩き始める。

 俺はシャルジュの手を引いてその後へと続いていく。


「あ、そういえば、何て呼べば?」

「あら、名乗ってなかったわね。そうね……分け合って偽名なのだけど……」


 偽名……ますます使徒としての疑惑が深まったけれど。

 彼女は立ち止まらず、振り返りもせずに自らの名前を言う。


「私のことは、ニック・ラブと呼んでちょうだい。哲学者、と名乗るのがいいかしらね」


 ニック・ラブ……どこかでその名前を聞いたような……?










 その後、ニックさんの先導の元、町の中をあちこち歩きまわる事、それなりに時間が過ぎた頃……

 いつまでたっても裏路地や細い道から出ず、大通りに一向に出ない。


 俺は彼女に聞くことにした。


「ところで、ニックさん。聞いても良いですか?」


 俺たちは、ニックさんの先導で何度目かの行き止まりにたどり着いた。


「いいえ、駄目、聞いては駄目よ、坊や!」

「ニックさん、あなた……」

「嫌! やめて!! 言わないで!!」




「方向音痴なんですね……」

「ち、違うわよ! 前に来た時と街中が変わってて……ええと、多分、あっちかしら?」





 これは、まだしばらく道に迷いそうだと、俺は思った。





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