裏路地の果ての袋小路で



「あの……茶島さん?」


 いつまでたっても歩き出さない俺を見上げながら、不安そうにシャルジュが問いかけてくる。


「どうしたんですか? お腹の具合が悪い、とかですか?」

「え? いや、そうじゃないんだけど……」


 カッコよく言った手前、道が分からないんだ、というのは、ちょっと……


 つないだ左手が汗ばむ前に行動したいが、どうしたら良いやら。

 いや、そもそも、俺がこんな明らかに血のつながってなさそうな女の子の手を引いてたら……元の世界だったら事案では? いやいや、人助け。下心の無い人助けだからこれは!


 などと考えていると、突然、俺のすぐ近くに何かが降ってくる。


 降ってきたそれは、異臭を放ちながら石畳脇の泥濘の上にぶちまけられる。


 ……あ、ごめん。思い出したくない事って、人間なら誰でもあると俺は思うんだ。

 少なくとも、俺は茶色の食べ物を美味しく食べたいので、この降ってきたものに関しては考えたくないし思い出したくない。OK?

 これがすぐ傍にふって来て、もしかしたら飛び散って、自分に飛沫がかかったのではとか、シャルジュが居る方とは逆に落ちたからまだ良かったなとか……

 待って、なんでそんなことを俺は考えてるの?


 ……真っ白になった思考の果てから帰ってきた俺は、頭上から理不尽な怒鳴り声を聞いた。


「ちょっと! 危ないよ。窓の下に居てかかっても弁償はしないからね!」


 見知らぬ女性がそう太々しく吐き捨てながら窓を閉める音がする。

 どうやら、この町では“を窓から捨てるのが普通”らしい。俺の手もとにある革張りの黒い傘の意味が、晴天でも傘が必要な意味が解った。こういうことか……

 なら一言いえよジジイ!


 ……俺は思いっきりため息をつく……いや、つきたかったが異臭が俺の嗅覚にダイレクトアタックを仕掛けてくる。息吸えない。


「よし、ここを離れよう」


 先生はここを動くなと言った? 知るか!

 こんな近くの建物から糞尿垂れ流す建物の傍になんて居られるか! 俺は帰らせてもらう!!


 シャルジュの手を引いて、町の中を歩いていく。

 人気のない通路を目指し、背の高い建物に囲まれた、狭い道を進んでいく。

 奥へ奥へと入り、そこで使っている人が居なさそうな空き家や納屋、倉庫を探す。公衆トイレでも良い……いや、この町にそんなのあると思えない。


 俺は偶然見つけた、どこへ通じているかも知らない小さな扉を、袋小路の先で見つけ、その前で立ち止まった。

 俺は先生から渡された“黒い鍵”を探して、ポケットをまさぐった。



 様々な時代、場所を旅するにあたって、旅の拠点として先生に使うように言われている場所がある。

 『まほろば』と名付けられたその場所は、先生の魔術によって作られているらしく、魔術によってどこからでも出入りができる場所でもある。

 「ドア」、「ドア枠」、「ドアノブ」、「鍵穴」が有れば、その鍵穴に、先生から予め渡されている“黒い鍵”をかざせば、その扉は『まほろば』に通じる扉になる。

 その扉を、鍵が持つ者がくぐって扉を閉めてしまえば、第三者は入れないのも『まほろば』の特徴だ。


 要するに、“ドコでもセーフハウス”(条件付き)、ということだ。

 ただ、人目に触れる場所では使用を禁止されているので、こうして人気のないところまで来たわけだが。



 というわけで、そんな便利な場所へ行くためのキーアイテム。文字通りの黒い鍵を……鍵を……?


「ない!」


 どういうことだ? なんでないんだ?

 必死にポケットというポケットをまさぐり、探り、叩きまわってひっくり返してみるが、鍵がない。というか……


「財布も無い……」


 財布をどこかで落としたのか、あるいは掏られたのか……掏られたなら何時掏られたのか。

 ふと、そういえば先生が追いかけている少年にぶつかられたことを思い出した……


「……あの時かぁ……」


 どうしよう……鍵が無いと『まほろば』には入れない。

 見るからに落ち込み焦っている俺を見て、シャルジュが俺に聞いてくる。


「あの、茶島さん? 大丈夫ですか?」

「え? あ、ああ……大丈夫だよ。い、一応……」


 ごめんよ、お兄さん、全然大丈夫じゃないんだ。


「茶島さん……一つ聞いても良いでしょうか?」

「ん? ん、うん、どうぞ?」


 あ、もしや、これは俺が人さらいであると誤解されているのでは?

 確かに普通に考えるに、こんな路地裏まで小さな女の子を連れ込めば、それはそれだけでアウトだよな。誰だってそう思う。俺だってそう思う。

 しかし現実は、ババ色のアレが降ってきたことで俺の正気度が消し飛んでいた結果の行動が今だ。

 疑われて仕方がないのでは!?


 が、彼女の口から出た言葉は意外な物だった。


「茶島さんって、この世界の人間ではないんですか?」




 へ?




「だって、側溝の上で用を足すでもないのに屈んでましたし」


 あれはただ単に待ち疲れたので、屈んで休んでただけです。というか、あの脇の泥濘やっぱ“そういうこと”か! 靴を洗いたい……。


「傘を差してませんでしたし」


 用途を知らなかったんです。だって窓から捨てる!? 普通捨てないでしょ!? ……あ、うん。捨ててたわ。


「それに……」


 彼女は口ごもる。


「それに? なに?」

「それに……」


 彼女は少し悩んでから口を開いた。


 しかし、彼女が何かを言うより早く、そこに野太い男の声がかかる。


「おい、探したぞ。人間の小娘」


 そこには、彼女を追っていた爬虫類の頭をした男がいる。黄色い大きな目に緑色の鱗の生えた長い首。大きく開く口が不敵な笑みを浮かべる。おそらく、人蜥蜴、いや、人蜴じんえきかな?

 その人蜴の男が言う。


「さあ、こっちへこい。お前は商品だ。痛めつけたりはしないさ」


 シャルジュはその場で自分のスカートの裾を強く握りしめながら、小さく震えはじめる。

 俺は何も考えずに彼女の手を引いて、俺の後ろに隠す様に引っ張り込む。


「お? なんだ、劣等種。そんなひょろい男には用はないんだ。娘を渡せばお互いに面倒にならなくて済むぞ?」


 俺はシャルジュを見る。

 俺の腰ほどの高さに、小さくて丸い頭が来る。さらさらとした金色の髪の向こうにある、恐怖の涙に滲んだ瞳と俺は目が合った。

 彼女の肩を強く引き寄せながら、俺は後退る。


「おいおい、英雄ヒーロー気取りか? やめとけよ」


 そういって、人蜴はナイフを取り出した。


「ヒーローなんて無理だけど、だからって見捨てられないでしょ」

「へっ、じゃあ仕方ねぇな。ちょうどお前の後ろは死体置き場カタコンベだ。捨てるにはもってこいだ。死ぬには、おあつらえ向きだ」


 本当にな!

 いつもなら先生が居るが、“今回はそうじゃない”。でもだからって小さな女の子を見捨てることはできなかった。どうにか……どうにかなるか、これ? 流石にノープラン過ぎたか?



 どうにかしないといけない。どうにか、なんとかしないといけない!



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