おまけこぼれ話 まほろば1
これは茶島が異世界転移をしたばかりの頃の話である。
「よし、ここで良いかな?」
時は近代、現実で言うイギリスに当たるであろうユースという国の、とある工業都市の一角。
深い霧に煙るユースの早朝に、先生と茶島とタマモちんは、とある廃屋の前に居た。
まだここが異世界なのだということを理解して日も浅いころの茶島が言う。
「この家が何かあんの?」
見るからにおんぼろで、扉一枚ぐらいしかまともな場所がないこの廃屋を前に、先生は入念に扉を調べている。
「ああ、扉が有ればいいんだ。枠と、鍵穴、ドアノブがあればいい。建物には用はないよ」
「ふーん」
ぶっきらぼうに相槌をうつ茶島の傍で、先生はポケットから黒色の鍵を取り出した。
細かな装飾が施された、所謂アンティークのような鍵だ。
「それじゃ、一度『まほろば』に帰ろうか」
そういって、その鍵を鍵穴に近づけると、鍵は溶けるように形を変え、鍵穴に吸い込まれていく。
「『まほろば』……? って、なんだ?」
「説明するより見れば早いと思ってね。いわば、僕らの旅の拠点さ。憩いの場……アパートの相部屋のようなものさ」
そして、その廃屋の扉を開くと、そこには暖かな壁紙に囲まれた、木造の建物へと通じているように変わっている。
茶島が扉に近づき、首を突っ込んでみると、そこには霧の町やぼろぼろな廃屋は存在せず、どこか遠くの、陽光溢れる別の建物へとつながっているようだった。
「どうなってんの!? え? なに、どういうこと!?」
「あー、茶島さんは魔術を見るのは初めてなんですね」
驚きを隠せない茶島に対し、タマモちんが言う。
「これは先生の魔術で作った部屋です。部屋と言ってもいくつかの部屋の集まりというか……玄関、バスルーム、冷蔵室と冷凍室、食堂、テレビ部屋、先生の書斎、先生の寝室、タマモのマイルーム、倉庫が二つ、猫のタマの部屋、お手洗いは二つあります」
きっと、本編の頃の茶島だと、お手洗いが二つあることに突っ込みを入れたりしただろうが、この頃の茶島は、魔術や異世界にまだ頭が追い付いていない頃である。
「魔術? ……あー……んー、納得できるような納得できないような」
先生が『まほろば』の玄関にいち早く入りながら言う。
「そうだ。茶島くんの部屋も増築しておこう」
「増築? できるの? そんなこと……あー、まぁ……そっか、魔術……魔術ねぇ」
茶島は、どうにも“魔術だから”で片付くのが納得がいかないタイプの人間である。
「とりあえず、増築が済むまでは……テレビ部屋や食堂に居てくれ」
霧がユースの町に満ちている。そこに居るだけで生温かい湿り気に肌が濡れ、数メートル先の人物の姿すら曖昧な町の奥に居るはずなのに、今目の前にある廃屋は、どこか見知らぬ土地の見知らぬ建物とつながっている。
茶島は理解しようとするのを徐々にやめ始めた。
「ともあれ、入ってみては? 害はありませんよ」
タマモちんに背中を押されながら、茶島は『まほろば』の玄関へと入った。
玄関先は、少し広い円形のホールになっており、そこには何もないように見える。
木材と白い壁紙が緩やかなカーブを描いており、温かみを感じさせる空間になっている。隅っこの方に傘立てがあるが、傘は無いようだ。その傍には姿見もある。少し汚れが目立つ姿見だと茶島は思った。
「あ、そうか。靴箱はないよな。土足、で、いいんだよな?」
西洋様式であるため、玄関先に靴箱は無い。
海外留学などの経験がない茶島にとっては、ちょっとドキドキするタイミングでもある。
タマモちんも玄関に入り、そして玄関の扉を閉めて茶島に言う。
「『まほろば』は、鍵を鍵穴に刺してドアを開け、もう一度ドアが閉まるまで、鍵穴を刺した扉と繋がります。ちゃんとドアを閉めないと知らない人でも入れる仕組みです」
「あー、まぁ、今の俺が部外者だもんな」
「誰かを招く時にも使えるってことですよ」
「そういうもん?」
「そういうもんです」
更にタマモちんは続ける。
「あと、出る時も鍵を持っていってください。鍵が無いと『まほろば』からは出られません。それと、所持している鍵で過去につながっていた扉が出口になりますから、鍵は失くしちゃだめです」
「……ちなみに、失くしたら?」
「んー……どうなんでしょ? タマモは魔術が使えないのでよく解らないのですよ」
茶島はタマモに、ふと浮かんだ疑問を聞いてみる。
「異世界の住人なのに魔術が使えないのか?」
「タマモの居た時代には魔術なんて存在しませんでしたから。きっと、生まれとか才能とか勉強法とかに左右されるとは思いますが……
「そういうもんなのか……」
「そういうもんです」
ともあれ、茶島にとって初めて訪れた“まほろば”は、良くも悪くも彼の異世界生活にその後安心を与える場所になっていく……それはそれで、本編とは別の話……。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます