チーズタルトが落ちます。



 一定のリズムで刻まれる揺れ。暖かな日刺しの中、微かな渇きと共に俺は目が覚めた。

 どうやら、居眠りをしていたらしい。

 ……なんだか、禄でもない夢を見ていた気がする。




「おはよう、茶島ちゃしまくん。深く寝ているようだったから起こさないでおいたよ」


 俺は今、電車の車内、一等客室の部屋の中に居る。四畳半ほどの大きさながら高級感あふれる部屋だ。


 当然ながら、茶島、とは俺の名前だ。茶島ちゃしま シュン駿

 この異世界に、転移してきた普通の高校生だ。


 現実に似てるけど現実じゃない異世界、ファンタジアとかいうこの世界で、とある人の旅に同行させてもらっている。


 そうして、見分を広める旅をしている……というと聞こえは良いけど、実際問題、俺は保護されている。

 もう、手厚く。絶滅しないように。オオサンショウウオみたいに。



 そのくせ、この旅はだいたい、“荒事が付きまとう”。いわば、ハチャメチャだ。



 というか、俺の旅の同行者が、“色々すさまじい”から余計にそう感じる。

 保護されてる気がすることも強くそう感じるし、ハチャメチャ具合も強く感じる。



「あ、おはようございます……」


 向かいの席に座っている少年……この旅の同行者の一人が、読んでいる本から目を離さずに目覚めのあいさつを言ったので、俺は目を擦りながら答える。


 目の前の少年の細く白い指が書籍の頁を捲り、その真っ白な前髪の奥にある緋色の瞳が、車窓から差し込む光を微かに反射して煌めいている。

 薄ほんのりと頬が紅色に色づき、目鼻立ちも陶器の人形の様に見える。小さな肩に細い胴、同性とは思えない華奢で陽光を反射する白い太もも。


 その外見は、若いというよりもはや幼いと言える外見だ。


 明らかに年下に見えるこの少年のことを、俺は“”と呼んでいる。そう呼ぶには理由があって、偉そうな喋り方と俺が遜っていることからもわかるように、見かけ通りの幼い子供ではない。


 その理由は、追々説明しようと思う。



「何読んでんです?」

「ん? ああ、さっき手に入れた本だよ」


 俺は先生の持つ本の背表紙を覗き込む。

 そこには「火星大公 江戸衛門えどえもん」と書かれている。いや、正確には、“そう読める”。


「どうかしたかい?」

「いえ……きっと、スキルの誤訳です」


 明らかにおかしい顔をしていたのであろう、先生がいぶかしんだ声を俺にかけてくる。


 異世界転生だとか異世界転移だとかと言えば、なんだかチートな能力を貰えそうだが、俺がもらえた能力は……正直なところ、便利だが微妙なものだ。




 と、ここで個室の扉を誰かがノックしている。俺は先生に促されてドアを開けて訪問者と顔を合わせる。

 そこには、大きなカエルの顔があった。


「うぉわあ!!」


 カエルはむしろ俺の驚いた声に驚きの声を上げた後に言う。

 よく見ると、カエルの服装は“車掌”のそれであることが解る。


「なんです? 人の顔を見るなり驚いた声を出して……失礼ですね、お客さん」

「あ、ああ、す、みません。切符ですね」



 今更だが、俺はこの世界に転移してきた『人間』だ。


 この世界では、ファンタジー小説で見るような獣人が多い。犬人間ならぬ、人犬じんけんとか。猫人間ならぬ、人猫じんびょうとか……車掌は人蛙じんわらしい。

 どうにも両生類系と爬虫類系は、俺は慣れそうにないが……。

 この世界では、人間、という種族は少数派だ。


「いえ、お客さん、奇麗なチャコフ語ですね。まるでネイティブだ。よく勉強されたんですね」

「ははは、よく言われます……」


 いいえ、です。


 車掌の人蛙と話し、切符に印を押してもらって席に戻る。




 ふと、俺は過去の俺に、いつも言いたくなることが浮かんだ。


 実は、俺はこの世界に転移してきた前後の記憶が曖昧だ。

 だが、その際に神を名乗るヤツと会ったことは確か……だと思う。


 そいつから「何か特別なスキルを一つ与えられる」と聞いた俺は、どうやら言葉に困らなくなるスキル、つまり、『』……らしい。

 結果、。便利だがなんかコレジャナイ感がすごい。

 というか、もっと便利なスキルあっただろ、過去の俺!


 ともあれ、神とやらは、右も左も分からない俺の面倒を、“先生”に見させることにしたらしい。


 先生は先生で、神とやらから与えられた「ミッション」があるのだが……どちらかというと、その旅に俺が同行している形だ。




「茶島くん? 大丈夫かね? “また”白昼夢っぽいね」

「え? あ、すみません。ちょっと思い出に浸ってました」


 過去の回想に浸っていた俺に、先生は朗らかに微笑んで応えた。


「いや良いよ。そうして君が考えをまとめたり、記憶を整理したりしてるのは知ってるからね」


 それって遠回しに「お前は話しを聞かねえな」と叱られているのでは、とも思うのだが……そう考えるとやや居心地が悪い。

 俺は咄嗟に話題を切り替えようとした。


「そういえば、彼女、タマモちん、どこ行ったんです?」


 俺は先生に、もう一人の旅の同行者、タマモちんと名乗る少女について聞いた。


「食堂車へ買いものへ行ったね。もうじき戻ると思うよ」


 そうこう言っている間に、個室ドアが開く。

 そこに現れたのは、大きな眼鏡にボブカットの女の子だ。そして、だ。


「手に入れましたよ! チィーッズゥーッ……」


 すごく溜めている。


 まだ溜めている。


 先生も「火星大公 江戸衛門」を読むのを止めて声の主を見る。


 でもまだ溜めている。


 流石に息が苦しくなってきたらしい。


 電車の揺れの中、誰も何もしゃべらない。


 いやいつまで溜めてんだよ。もう何のことか忘れてきたぞ。


 あ、隣部屋のご婦人だ。どうもどうも。あ、彼女は気にしないでください。


 ……



 ……




 ……





「いや長いよ!!」

「タルトォォォォォ!!」


 長く息を止めたせいで肩で息をしているこのあからさまにアホの子こそ、もう一人の旅の同行者、タマモちんである。


 先生同様に彼女もただの人ではないのだが……そのこともまた追々語ろうと思う。

 アホの度合いがただ者ではないとか、細見の体に不釣り合いな一部の豊満さがただ者でないのは無論だけどそこじゃない。



 手に持ったチーズタルトを、掲げ頂き崇めながら彼女は客室に入ってくる。先生も読書を止めて、おやつの時間にするようだ。




 ところで、なんで、先生とタマモちんについての説明が、すぐではなく、追々なのか。

 それは……これからトラブルが起きるからだ。




 唐突に、電車が大きく揺れる。何か大きなものに突き動かされたように。


 跳ねるチーズタルトは、タマモちんの手を離れて床へ身投げし、小さな悲鳴を上げながら床に張り付いた。


「あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛!!

 ヂーズダルドォ!!」


 タマモちんが床に崩れ落ちる。

 その傍で先生が何かを察したように車窓を開けて車両の前後を確認する。


 それより早いか遅いかのタイミングで、電車内に放送がかかった。


「こちらは、世界開放組織、ネオ・プロメテウス。残念だが、諸君の身柄を我々は人質にさせてもらう」



 男の声で、それはしっかりと言い放った。


「諸君らは、と考えて欲しい」



 なにやら、命の危機が差し迫っているらしい……。




 あ、ちなみに、冒頭で俺が宙に投げ出された理由は、このハイジャック犯は直接関係してないので……悪しからず。


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