師も走る桜の宴


 この世には、決して開けてはならない『扉』がある。


 少し季節外れではあるが、諸君はこんな話を耳にしたことがあるだろう。

「桜の木の下には死体が眠っている」というアレだ。

 いわく「桜の花が朱色に染まるのは、その下に埋めた骸の血を吸っているからだ」とか。


 また、こういう話も聞く。

「その死体は白骨化せず、肉体が綺麗なまま残っていた」と。


 桜の真下に立つと、鳥肌の立つほどの冷気を感じることがあるだろう。

 つまり木陰に遮られるように、その一帯の土は太陽が当たらないために温度が低く、埋められてからの保存状態が非常に良いからだという。

 それと良く桜は「儚さ」の象徴のように喩えられるように、見方によっては「死の気配」という怪奇的な要素をはらみ、一部では桃と供に『黄泉の花』として伝えられている。

 そして、この夜もまた『怪奇ミステリー』へと通じる扉が開かれた。


 ~☥~ ✡ ~☉~ ✡ ~♁~ ✡ ~☽~


 北の空から吹く風が身にみる。

 そろそろ忘却わかれの時が近づいていた、そんな歳の瀬の事だった。


「あるぇ、どうしたん(で)すかぁ名取さぁん? 全然飲みが足りてないじゃない(で)すかぁ~」


 そう言ってあたし――名取なとりみなとの紙コップにお酌をするのは誰であろう、我が剣橋つるぎばし大ミステリーサークルの小動物系マスコット、エマちゃんこと渡瀬わたせ絵真えまその人である。


 ちなみに、中身は甘酒だったりする。


 まさか、このに酒乱の気があったとは……

 ていうか、甘酒でこれほど酔えるんだ……

 そう考えると、なんて可愛い生き物なのだろう。


 いっそ食べてしまいたい!


「ひっく……あ、名取しゃん、いま変にゃこと考えれられ(てたで)そ? 食べちゃうとか、変態へんらい(で)すねぇ~」

「な、まさか、あたしの心を読んだだと! いつの間にそんな能力をっ!」


 大袈裟な身振りで驚愕(したフリ)の眼差しをエマちゃんへと注ぐあたしに、隣で文庫本を開いたまま痛い人でも見るような視線を送りやがる奴がいた。


 そいつの名は内藤ないとうれい

 近代兵器(民主主義という名の集団的思想に隠れた悪意)の一切が通用しない一〇八番目の使徒しんせいのへんじんだ。

 その証拠に、こういう場だろうとお構いなしに独り黙々とという傍若無人っぷりである。


 彼女の席は窓際にあり、その奥には桜の木が一本。

 真っ白に染まった雪の花を見事に咲かせていた。


「ふぇ、甘酒切れちゃいましたね~、うへへ。酒もってこーい!」

「この酔っ払い怪獣め! どうしてくれよう」


 ワナワナと湧き上がる、あーんな煩悩ことやこんな欲望こと

 さーて、どうやって攻めようか……って、いかんいかん、危うく酒気にやられそうになっちゃった。てへっ。


「うぅぅ~、あったまいてぇー」


 あたしがエマちゃんの攻略……もとい扱いに頭を悩ませていると、隣で虫の息になっている牛乳怪獣レノンこと礼能れのじゅんうなるような声を上げた。


 こいつ、世界征服を企む悪の組織と戦う(ってワケじゃ無いけど……)改造人間のクセして、たかが甘酒一口でダウンしやがったのだ。


「レノンよ、酔ってしまうとは情けない」

「……俺は、アルコール苦手なん……うぷっ」

「はいはい、トイレあっちだから」


 あたしはレノンをたたき起こし、出口の方を指差しながらトイレへ行くように促した。

 レノンは青い顔でゆったりと立ち上がると、次の瞬間には入口の辺りで壁にもたれかかっていた。


 大丈夫か? こいつ…………


 そう思うのも束の間、奴の姿はどこへとも無く

 ドアが一瞬開いたような気もしたが、肉眼で奴の動きを捉えることなど常人にはまず無理だろう。


 さて、そもそもなんで集まって甘酒なぞを飲んでいるかというと、この日は我がサークルの忘年会なのだ。

 ちなみに、会場はいつもの部室だったりする。


 え、大学に酒なんぞ持ち込んでもいいのかって?

 アルコール持ち込みは原則禁止だが、甘酒程度なら不問だったりする。


「ところ(で)名取しゃん、なん(で)一つ(だ)け空席(な)のに甘酒置い(て)あるん(で)すかぁ?」


 ほんのり赤ら顔のエマちゃんが、不思議そうにその席――黙々と本を読み続けるレイのすぐ隣――を見つめている。

 そこには、甘酒を波々と注いだ一杯の紙コップ。


「ああ、あそこはアレだ。ジョニーさんの席だからね」

「ジョニーしゃんって、あの滅多に来ないとか言っ(て)た人(で)すか?」

「そ、そのジョニーさん」

「そーいえば、わ(た)し一も会っ(た)こと無いような……」

「まぁあの人は気まぐれって言うか、ある意味自由人だからね。普段は何の音沙汰もないクセに、突然ふらっと現れることもあるし。所謂いわゆる、幽霊部員ってヤツかな」

「ユーレイれすかぁ~」と返す彼女。


 酔っている所為せいか正しく意味が伝わっているのかイマイチ怪しいが。


「そーいえば名取なろりしゃん、わたしこの前……くわしちゃったん(で)すよ、ユーレイに」


 お、なんか唐突にトンデモ発言をしてきたよ、この


「出くわしたって、どんなのに?」と、あたしは興味半分に耳を傾けてみる。


「えっろれ(とで)すねぇ~、先月しぇんれつの話なん(で)すけ(ど)…………」


 呂律ろれつの回ってない口調で語り始めるエマちゃん。


 ~☥~ ✡ ~☉~ ✡ ~♁~ ✡ ~☽~


 それは、ある木枯らしの冷たい夕刻のこと。

 レポートの提出に、急ぎ足でキャンパスを駆け抜けるエマちゃんの姿があった。

 ルーズリーフの束を片手に時計を見やる彼女。


「あと五分⁉ あーこんな時、礼能れのさんみたく一瞬で移動とかできたらなぁ」


 などと彼女がぼやいていたその時だ。一陣の風が、彼女の前を横切った。


「きゃっ」


 慌てて髪を押さえる彼女。

 もしここでを押さえていれば、あるいは出くわしたりしなかったのかもしれない。

 に――


 案の定、ルーズリーフが数枚風にあおられた。


「あ、ちょっ待って。れぽぉぉとぉぉぉ!」


 必死の余り、周りの目もはばからず声を張り上げる彼女。

 その名の如く木枯らしに舞うルーズリーフを追いかけて。

 だがそこへ――


 ちょうど通りかかったのだろう。

「彼」は黙したまま足元に転がる紙を拾い集めると、彼女にそっと手渡してくれたという。


「あ、ありがとうございます」と、エマちゃんはおずおずと頭を下げる。


 しかし、彼女が顔を上げると目の前にはという。

 だがその直後、


「君、急いでいるんだろ? それ持って早く行きな」


 なぜか耳元で、そう囁かれた……気がしたらしい。


 ~☥~ ✡ ~☉~ ✡ ~♁~ ✡ ~☽~


ろうもいましゅ(どう思います)かぁ~?」と、最早何を言っているのか解らないような口調で問いかける彼女。


「ああ、それジョニーさんだ」

「そっかー、ジョニーしゃん(で)したかぁ~………………………………ふぇ?」


 しばしの間を置いて、エマちゃんの顔がまるでリトマス試験紙のように赤から青へと徐々に変色していく。


「あ、来た」


 何かを感じ取ったのか、これまで黙々と読書を堪能していたはずのレイが、不意に声を上げる。


 すると突然、ドアが開いた。


 しかし、そこには誰もいなかった。

 ただ、そこから冷気を伴う風と供にが流れ込む。


「いや参ったよ、いきなりの大雪で電車が止まっちまってさー」


 どこからとも無く、その声は軽いノリで遅刻の言い訳をし始めた。


「あれ。君、どこかで会わなかったっけ?」


 恐らくエマちゃんに向けてだろう、その声は陽気に話しかける。


「えっと……ど、どうも……」


 頭を下げながら、とりあえず挨拶はするエマちゃん。

 しかし、顔を上げられないのか、そのまま黙ってうつむいてしまう。


「全く、遅いよジョニーさん。もう九時まわってるし。それと姿見せないと、この怖がるから」

「ああ、悪い悪い。あんまりにも寒かったからさ、ちょっとさらけ出すのが億劫おっくうなもんでな」


 言いながら「彼」は、さながらホログラムのように何も無い空間から姿を現し始めた。

 甘酒で満たされた紙コップの置いてある席に腰掛けた格好で。


「そーいえば、レノンの姿が見えないけど?」


 ドレッドヘアを鬱陶うっとうしそうに掻きむしりながら、おっさんづらの「彼」が尋ねた。


 いや、あんただって今の今まで影も形も無かっただろうが。


「あいつはトイレさ」


 肩をすくめながら、あたしは嘆息交じりに答える。


「もう潰れてんのか、あいつ? 情けねえなあ。しかも甘酒って……」


 ちょろちょろ生やした顎鬚あごひげをいじりながらそう言うと、その甘酒を豪快に一気飲みするジョニーさん。

 とてもとは思えないような雰囲気オーラを発しながら。


「レイも相変わらず本の虫か?」

「バカでウザい人間より、寡黙かもくで賢い本の方が数倍マシよ」


 レイが珍しく質問に答える。

 もっとも、そこに愛想という概念は一切含まれてはいないが。


「そーかい。で、そこのお嬢さん」


 ジョニーさん、レイの無愛想な返答を適当に流し、今度は正面にいるエマちゃんに興味を示す。


「あ、はい……」と、相変わらずうつむき加減で応える彼女。


「俺は別府べっぷ丈二じょうじ、通称ジョニーだ。よろしくな」


 そう言って「彼」は気さくに手を差し伸べる。


「えっと、わ……渡瀬わたせ絵真えまです。よ、よろしくお願いしまふ……」


 すっかりと酔いがめたエマちゃんだが「彼」のあまりのフレンドリーさに拍子抜けしたのか、微妙に噛み噛み口調で握り返す。

 ジョニーさんはチラッと後ろの窓に目をやると、思い出したかのようにこんな話をしだした。


「そうそう、そこの桜。春になると綺麗なピンクになるんだよ。よっぽど土が良いんだろうな~」


 豪快に笑うその人物は、更に一言、こんな言葉を口にした。


「いやあ、俺も存在感保てんだよなあ」


 その言葉がいったい何を意味しているのか?

 それについて誰一人として答える術は無かった。


 ただ、一つだけ言えることがある。

 それは――


 ~☥~ ✡ ~☉~ ✡ ~♁~ ✡ ~☽~


「桜もすっかり散ったわね……」


 春の陽気が心地よく漂う午後のこと。

 読み終えた本を机の上に置くと、レイは窓辺からのぞく桜の木を見てそんな事を口にした。


「そうですね」と、エマちゃんが桜の方を見ながら一言返す。

 だが、それからすぐ何かを思い出したかのように視線を逸らし……

 かどにある冷蔵庫の方を見て立ち上がる。


「あ、何か飲みます?」

「じゃあ、あたしは牛乳ね」


 注文しながら、あたしはチラッと隣で寝てやがるレノンを見てほくそ笑む。

 一見、何気ない会話。いつもの光景。

 だが、忘れてはならない。

 一つだけ、あからさまに不自然な流れがあったことを。

 それは、エマちゃんがということだ。


 それもそのハズである。

 なぜなら――


 を境に、エマちゃんは「桜」について一切の言及をしなかったのだから。




 おわり

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