未知と遭遇した少年

 気がつくと、彼は暗くすすけた部屋の中にいた。


 辺りは静かで、ほこりが舞っているのか息の詰まるような煙たさがわずらわしかったという。

 指先に、ざらついた砂のような感触があった。


「白い……粉?」


 眉間にシワを寄せながら指についた粉末を眺め、ふと、彼はそれを舐めてみた。

 ほのかに甘くなめらかな食感が、口の中いっぱいにひろがっていく。

 味覚だけではない。

 鼻腔びこうを掠める残り、耳障りな超音波、ボヤけた視界、脳を直接殴りつけるような衝撃。


 そして、得体の知れない「事件」の予感。


 何か、やばいクスリだったのかも?


 朦朧もうろうとした意識の中で、彼はそう思ったらしい。

 だが今思えば、それは――


 ~☥~ ✡ ~☉~ ✡ ~♁~ ✡ ~☽~


「牛乳っ!!!」

「ひゃいっ!?」


 そこで唐突に覚醒したレノンがたけびを上げ、隣に座っていたエマちゃんが子猫のように身を震わせた。


 なんだ、この可愛い生き物は。


 思わず抱きしめたくなる衝動をおさえ、あたしはを三杯、グラスに注ぐ。


 エマちゃんがこの剣橋つるぎばし大ミステリーサークルに入って、早いものでもう三ヶ月が経つ。

 そこで、あたしらはこの日、合宿という名目で大学に泊りこむことにした。

 しかし集まったのは、あたしとエマちゃん、そしてちょうど今起きたこのレノンを含めた三人だけ。

 あとの二人は、まだ来ていない。


 ていうか、一人はほぼ確実に姿を現さないだろうから放っておく。


 いま一人も、なんか「あんな騒がしい部屋じゃ、落ちついて本も読めない」とか駄々をこねていたので、来ないかもしれないが……


 ていうかお前、いつもその騒がしい部屋で平然と本読んでんだろうが。


「はいよー」と、あたしは一杯をレノンの前に置いていわく、


「毎度のことながら、牛乳パック開けただけで間髪入れずに目ぇ覚ますって、どんだけよ?」

「ふっ、俺の嗅覚きゅうかくを侮ることなかれだぜ。ナタリー!」


「なたりー?」とエマちゃん。


 ダメ絶対嗅覚を自慢するレノンの言葉に首をかしげる。

 まあ、それも無理はない。

 あたしの名は「ナタリー」じゃなくて「名取さん」だし、こんなふざけた呼び方する不届き者は古今東西南北異次元に至るまで探したとしてもコイツくらいなものだ。


「エマちゃん、こいつの言うことは適当に流しとくのが上策ってもんさ」

「つれねぇなー……つーか誰、この?」


 ………………………………はい?

 えっと今、ものすごく聞き捨てならないこと言ってなかったか?

 こいつ……


「エマちゃんだよ、渡瀬わたせ絵真えま。まさか、今の今まで知らなかったなんてのたまいやがる気ですか?」

「いや、そう言われてもよ。俺、こののこと紹介されたこと無いし、そもそも見たの初めてだし」

「え、そーだったっけ?」


 ごきゅごきゅと喉を鳴らしながら一気に牛乳を飲み干すと、レノンは「ぷはぁ~」と爽快感たっぷりに息を吐いて曰く。


「うん、初めて。だって、ずっと寝てたし」

「あ、そか」


 あたしは腰に手を当てながら呆れるように肩を落し、それから一言だけ告げる。


「それは、お前の責任だな。うん」

「俺なんだ」

「うん、レノンが悪い」

「うう……」

「まあまあ、私は気にしてませんから……」


 項垂うなだれる(フリした)レノンをなぐさめる心算つもりなのか、ここでエマちゃんのフォローが入る。


 ああ、こんなところに天使がいたよ。


「そんじゃ、まーよろしくエマちゃん」

「よ、よろしくお願いします」


 気楽に声をかけるレノンに対し、おずおずと頭を下げるエマちゃん。と、そこで彼女、何かを思い出したかのように話を切り出した。


「そういえば、礼能れのさんはどういう経緯でこのサークルに?」


「ああ、話してなかったっけ?」と、これはあたし。


 続けて、レノンが少し歯切れの悪い言い方で答える。


「まー、なんてーか……幼馴染?」

「わぁーお!」


 今にも飛び跳ねそうな、妙に嬉しそうな顔してエマちゃんが驚きの声を上げた。


 何を期待しているのか大体想像つくけど、あたしとレノンはただの腐れ縁だから。

 ただ地元が同じだけだから。


「まあ、あれだよ。レノンは、あたしが最初に出会った……」

「さ、最初に出会った?」


 わくわく、わくわく……とか脳内で言ってそうな雰囲気をまといつつ、エマちゃんが身を乗り出すようにしてこちらを凝視する。

 あたしの答えが、彼女の期待を真っ逆さまに突き落とすようなモノだとも知らずに……


 あ、黒い瞳の中に星が見えた気がする。


 そして、期待の眼差しを真っ直ぐに向ける彼女に、あたしは残酷な現実を叩き付けた。


「そう、最初に出会った……怪奇現象だったんだねぇ」

「おお、最初に出会った……って、はい?」


 キョトンとするエマちゃん。

 彼女の脳内では、多分何かが崩れ去るような音が聞こえていることだろう。


「えっと……カイキゲンショウッテナンデスカ?」

「ミステリーな男、礼能れのじゅんってね。実は彼、人間を辞めたのさ」

「へ?」


 唐突に突きつけられた真実が、彼女の胸を鋭く貫く。


「そう、彼は…………」


 そこで突然、電灯が点滅した。


 室内には、あたしとエマちゃんとレノンの三人だけ。

 あたしは入口側、エマちゃんとレノンは窓を背に長机を囲って座っている。

 電源スイッチは入口のドア横で、そこまでの距離は約三メートル半。


 そう、のだ。


 単に電灯が切れかけているだけかもしんないけど。


 ただし、このあたしがミステリーの申し子・名取なとりみなとである以上、ただの電灯切れで済むハズがない!


「な、名取さん、これって……」


 流石に彼女もこの「場」の空気が読めるようになったのか、異常に気づいたかのようにそうつぶやいた。


「どうやら、怪奇ミステリーの気配が近づいて来たみたいだね」


 チカチカと点滅を繰り返すその音を聞きながら、光と闇が交互に入れ替わる世界の中で身構えるあたし達。


 しばらくして、レノンが動いた。


 彼は立ち上がりざま、こう言葉をつむいだ。


「そろそろ、電灯の替え時だな」

「おい、お前……」

「ん、なんだよナタリー?」

「なんだよ、じゃねぇ。どうしてくれるんだ、このガッカリ感っ!」

「いや、そんなこと言われても。知らねーし」


 あたしは机をバンバン叩きながらやりきれない気持ちをぶつけるが、レノンはそんなことなど何処どこ吹く風でドアの前に立っていた。


「あれ、礼能さん……いま…………あれ?」


 戸惑うエマちゃん、たった今までレノンの居た隣の席と、机を挟んだ向こうの入口にいる彼とを見比べている。


 まあ、無理もない。

 何しろ、一瞬の出来事だった。


 彼は瞬時に移動したのだから。


「じゃー、ちょっくら電灯買ってくるわ」


 そう言って彼はドアを開けると、エマちゃんの反応を気にも留めずにさっさと部屋を出て行った。

 それから思い出したかのように、エマちゃんが口を開く。


「あの、確かありませんでしたっけ?」


 そう言われて、あたしは時計を見上げる。


「閉店まで、あと十分じゅっぷんくらいか。まあ、すぐ買ってくるから問題ないよ」

「そ、そうですか……あの、もしかして礼能さんも超の……いえ、やっぱし良いです」


 彼の何かが気になりつつも、ただ黙ったまま彼女はグラスに口を付ける。


 三分後、何事も無かったかのようにLED電灯を持って戻ってきた彼に、彼女はただ茫然ぼうぜんとしたまま「おかえりなさい」を言うのが精一杯のようだった。


 そして――


 ~☥~ ✡ ~☉~ ✡ ~♁~ ✡ ~☽~


 あの夜、彼が見た存在もの

 それは、少なくともだったらしい。


 青白い発光体に包まれたそれは、どこか神秘的な造形をしていた。

 その頭上には輪っかのような真白に輝く円盤状のモノが浮かんでいた。

 あるいは、それを「天使」などと称する人もいるのかもしれないが、彼らは決してそんな生易しい存在ではなかったという。


 そして、少年は彼らに導かれるように輪っかの中心に吸い寄せられ――


 気がつくと、彼は暗くすすけた部屋の中にいた。


 ~☥~ ✡ ~☉~ ✡ ~♁~ ✡ ~☽~


 その日、あたしの口から彼の「正体」が明かされた時、彼女は掠れた声で一言こうつぶやいた。


「あ、あの……へ、変身ベルト……付いてないんですか?」




 おわり

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