第11話

 大学生が一人でレンタカーを借りるなんて、高くつくうえになんと虚しいことか。こういうのって、数人でワイワイと乗り込んで旅行にでも行くのが普通なんだろう。

 まあ、今回のような事情がなかったとしても、どっちにしろ、私が友達とレンタカー借りてワイワイ、なんて一生あり得なかったんだろうけど。

「あんた、運転とかできたんだな」

座席に対して少し小さすぎるあおいの身体は、シートベルトを締めるとどこか不自然だ。助手席に身体をうずめ、生意気な物言いはいつも通り。内心はしゃぐ気持ちを、抑え、隠す照れ隠し。

 ――そういうの、いいって。無駄に大人ぶんなよって、僕言っただろ。

「一応ね。自分の車は持ってなくても、サークルで機材運ぶためにたまに車使うから、完全なるペーパードライバーにならずに済んでる、ってとこ」

いつも通り、車内でも大した会話をしない二人である。といって気の利いたCDを持って来たでもない、ラジオをつけてみるが、流れてくる会話は分かる話が半分、ピンとこない話が半分。そしてトンネルに入る度に途切れて、余計に話についていけなくなる。

 ――トンネル。

 最後のトンネルに入り、音のない世界がまたやってきた時。その、一瞬で。

 ――ああ、そうか。全部、思い出した。

 いつか、狭い車内から見た、今と同じようなトンネルの景色。

 

 車を運転していたのは、若い男――今の行幸と同じくらいの。行幸は、その時幾つだったか。まだほんの子供だった行幸を乗せて、この男は、どこへ向かっているのか――。長いトンネルの中では周囲の景色も分からず、今自分がどこを走っているのか、見当もつかない。男の顔もぼんやりしていて、今や全然思い出せないのは、車内も薄暗かったからか、それとも、自分が拐かされていると分かっていながら、声も出せないほどの恐怖のせいか。

 突然、車が停まって、降ろされた。連れ込まれたのはアパートの一室か。この男の、部屋だろうか。決して広いとはいえない薄暗い部屋。物は少なく、生活感のなさが不気味だった。遮光カーテンは、重苦しく下ろされた外界との垣根なのだろう。男はきっと、途方もなくひとりだったのだ。

 誘拐、だった。すぐに発見されたから大事には至らなかったが、行幸は子供の時に、たしかに誘拐事件に遭っていた。

 こんなこと、今の今まで忘れていた。両親からも、ちゃんとこのことの話を聞いたことはなかった。行幸のトラウマになることを恐れ、記憶から抹消しようとしたのだろう。

 なかったことにされていた一日。

 でも今、一瞬にしてすべてが蘇った。そして、全部つながった。

 幼女を嗜好の対象とするあの男への、言いようのない嫌悪感。「小さい女の子」っていう、消費される存在であることからの脱却。

 誕生日のあの日、女の見た目を捨てたことは、思いつきや偶然なんかじゃなかった。

 そのはずなのに、私は——僕は今、何を考えてる。

「あおい、もういっそこのまま、どこまでもどこまでも走って、二人で逃げようか、どこかに」

私がやっていたことは、あの男と同じではないのか。あおいを部屋に引き入れたあの日から、私は、深層心理のうちでもっとも嫌悪する存在だったあいつと、同じ道を辿っていたのではないのか。

 なあどうか、しゃべらない子供のお前がこんな時にばかり何か返事をするなんてこと、どうか、やめてくれないか。

 自分が、醜い。汚い。怖い。

 横目で見えるあおいが口を開いている。

 やめろ。何を言うつもりだ。

 車内はエアコンが効いているはずなのに、額に薄っすらと汗が滲んだ。ああ、どこかに停まって休憩しないと、これはほんとにマズい――

「海!見えた!」

あおいの声が、頭蓋骨に響いた。

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