第163話 ごめんなさい、と真冬は悲しそうに微笑んだ


 巫蠱神劍禅の勝利だ。

 真冬の敗北である。


 にやりと笑う劍禅。だが、その不敵な笑顔が、つぎの瞬間驚愕に変わる。

「なっ!?」

 目を見開き、劍禅はおのれの胸を見下ろした。そこには、銀色の刃が刺さっている。真冬の片手突きが、彼の左胸を肋間から刺し貫いて、その心臓を捉えていたのだ。


「相打ち狙いか」

 憎々し気に表情を歪める劍禅。その薄い唇から、ぶっと血を吹く。


「あたし、師匠に質問したことがあるんです」


 真冬のHPゲージは、プレイヤーキルを受けて残り1ドット。劍禅があとちょっと刃を突き込めば、その瞬間に真冬は最後の1ドットを奪われて消滅。ゲーム・オーバー。

 そして強制ログアウトであろう。


「なぜ、新陰流の勢法では、相手が斬って来てから、それに応じて勝つ『せん』で勝つのですか?って。師匠はこう教えてくれました。剣術とはわが身を守る術であり、いわば生き残るための哲学である。だから、相手に切ってこさせ、その手を出し尽くさせ、充分に働かせたのち勝ちを取る。そうしないと、相打ちにされる危険があるからだ、と。」


 真冬は微笑する。


「一刀流もそうですよね。『切り落とし』という形で、相手の剣に勝ちを取る。敵の身体を斬るのではなく、あくまでその剣を斬る。それが絶対確実に生き残るための哲学だからです。どんな達人でも、相手を斬る瞬間、突く瞬間は無防備ですから、そこを狙われると命を奪われる危険がある。だから新陰流では『後の先』で相手の技を出し尽くさせるし、一刀流では『切り落とし』で相手の剣を無効化させます。でも……」


 真冬はすこし悲し気に眉をしかめる。


「あなたはあたしを殺すことを優先した。あたしに勝ちたいとか、自分の方が優れていることを見せつけたいとか、そんなことを考えた。でもそれって、本来の剣の道からは外れていませんか? あなたは敵の刀を切り落とす前に、まず自分の驕りとか慢心とかを切り落とすべきでした」


「この期に及んで説教か!」

 心の臓を貫かれ、口から血のつばきを飛び散らせながら劍禅が一喝する。

「勝負は俺の勝ちだ!」


 憤怒の表情で劍禅は甕割刀の刃をこじり、真冬の最後の1ドットを削り取る。彼女のHPはゼロになり、その身は……。


「ごめんなさい」真冬は悲しそうに微笑んだ。「あたしは、一人で戦っているわけではないから」


 青白い光が真冬を包み、彼女のHPゲージがみるみる回復してゆく。死織の単体回復魔法『ヒール』だ。

 全体回復魔法の『ヒール・プラス』だと劍禅まで回復してしまう。だから、死織は真冬に単体回復魔法の『ヒール』をかけたのだ。


 真冬のHPは完全に回復させられる。


「卑怯な」

 劍禅が悔しそうに顔を歪める。


 真冬はすこし悲しくなった。

 その彼女の顔を見て、劍禅は初めて少しだけ笑う。


「俺の方が絶対に強い。だが、もしかしたら負けるかもしれないと、少しだけ思っていた」

「え?」

「おまえは、最後まで笑顔を絶やさなかった。死ぬかも知れない瞬間を何度もくぐりぬけ、それでも笑っていた。俺にはそれは、出来なかっ──」


 ぴゅっと風を裂いて飛んできた銃弾が、劍禅の胸に刺さり、裃の家紋の上にちいさな穴を穿った。彼のHPゲージが一瞬で削られ、残り1ドットに。


 驚いた真冬はヒチコックを振り返るが、彼女は今別の妖怪と戦っている。撃ったのはヒチコックではない。


 そして、2発目。

 やはり超音速でどこからともなく飛来した銃弾が、劍禅の胸を貫いて、彼のHPを完全に奪った。


「ああっ、くそっ……」

 劍禅の身体が、きらきら光る細片へと崩れて行く。光る砂のように崩れた彼の姿は、燃え上がる陽炎のように光る粒子となって昇天してゆく。


 これがプレイヤーの最期。この世界での死、ログアウトして消え去るということか。

 真冬は劍禅の「死」を、自分自身に重ねて、その消滅を一瞬たりとも見逃すことなく凝視しつづけた。


「大丈夫か? 真冬さん」

 駆け寄ってきた死織が真冬に声を掛ける。

「助かった。あの剣術指南役を倒してくれて。これで心置きなく、全体回復魔法が連射できる」


「はい」なんとなく肯定して、微笑んでしまう真冬。自分が笑ってしまうのは、深い理由なんかない。ただの癖だと、彼女は気づいていた。


「それより大丈夫か? プレイヤーキルは初めてだろう?」

「ええ、それなんですが」真冬は周囲を不安げに見回す。「劍禅にトドメを刺したのは、あたしじゃないんです。どこかから、狙撃されたみたいなんですが……」


「へえ、狙撃手か」死織もざっと周囲を見回す。


 ここは本丸御殿の庭の真ん中。周囲にガンナーが狙撃のために潜むことができるポイントがあるようには見えない。周囲の草むらにも、天守の屋根にも、それらしい影は見当たらなかった。


「嘘か本当か知らないが、この『ハゲゼロ』には、悪質なプレイヤーをキルして強制ログアウトを執行する自衛隊の電脳部隊がログインしてきているという都市伝説がある。もしかしたら、そいつらかも知れないな。といっても、実際に見たやつはいないって話だから、ちょっと怪しい噂だが。それより真冬さん。火盗改どもの制圧を頼む。闇奉行の部下が苦戦してるんだ」


「はい。でも、妖怪の方は?」


「あっちは俺の相棒がなんとかしてくれる。それよりも、敵の軍勢の動きがどうにもおかしい。そっちを頼む」

 死織は真冬の肩をぽんと叩くと、すばやく戦列の前に移動していく。全体回復魔法の圏内に、味方を入れるためだ。

 真冬もほぼ同時に走り出し、火盗改と闇方の激突する集団戦の斬り合いの中に、とびこむ。

 そしてすぐに、彼女は何かがおかしいことに気づくのだった。


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