第162話 生きるための道筋


 劍禅の踏み込み。

 真冬も前に出る。

 長引かせたら不利。とっとと決めよう。そう腹を決めた真冬の耳に、鍋島先生の声が甦る。


『どんなに道場での稽古が下手であったとしても、その者にもし、盤石の下に敷かれても滅さぬ心があるのなら、それこそが本当の剣術の名人であるんだよ』


 真冬の正眼に、下段から切っ先をあわせる劍禅。かちりと鋼の合わさった瞬間、劍禅の切っ先が勝ち筋に滑り込んでいる。


 うまい。出会い頭ですでに勝ちをとり、そのまま半身に踏み込んで真冬の刃を逸らし、中心を奪って突き込んでくる。

 ──あっ。


 一瞬、押し返しそうになるが、真冬は全身脱力して、無抵抗に押されるまま、相手の力を受けてそのままくるりと一回転。逆方向から『斬釘截鉄』の巻き打ちを入れる。


 『斬釘截鉄』は新陰流の二本目の勢法でもあるが、禅語でもある。


 釘を斬り、鉄を截つとは、なんとも豪剣を連想させるが、実はまったく逆。


 釘を斬り、鉄を截つためには、「反対側へ折り曲げろ」という意味である。


 ぐいと押されて押し返しても、勝つことは難しい。だから、押されたらそのまんま押されて、逆から切り返せという知恵だ。師匠の鍋島先生は良く言っていた。


『人は押しても動かないよ』


 人は押しても動かない。人を押しても押し返されるだけ。だから、押し合っていても勝負はつかない。

 とはいえ、その一瞬脱力して切り返すのは、精神的に極めて難しい。


 しかし。

 劍禅にぐいと押され、無抵抗にくるりと身を翻した真冬は、裏から閃光のように切り返す。


 通常この呼吸で仕掛けられれば、真冬の「斬釘ざんてい勝ち」となるものだが、さすがは劍禅。冷静に太刀をとりあげ、かちりと『合刃あいば』に合わせて、切り落としをかける。

 まさに太極拳のようなやわらかい切り落とし。しかも、完全に上太刀を取っている。


 そこから、劍禅はずん!と一足踏み込み、その一歩で真冬の剣を打ち落としてきた。

 剣術で使われる打ち落としは、恐ろしい威力がある。ぶち当てるような衝撃ではなく、吹き飛ぶような巨大なエネルギーだ。まさに、柔らかさの中から生まれる太極拳の発勁。


 まともに受けたら刀ばかりではなく、まちがいなく身体も後ろへ飛ばされる。もし真冬が完全脱力体でいなかったら、膝から崩されて一瞬動けなくなっていただろう。


 が、刀をゆるく握っていたのが幸いした。

 彼女の手のひらは、劍禅の剣から伝わってくる、彼の沈み込むような体重の力積を感じ取り、十分の一秒か二秒の時間の中で、その運動エネルギーを受け流し、抜いていた。


 が、それでも太刀は下に落ちる。胴田貫の切っ先が地面に刺さり、土を抉った。

 その一瞬、ぱっと振り上げた甕割刀を劍禅は閃くように斬り下ろしてきた。


 真冬の頭上に落ちてくるその刃の下。真冬はだが、滑り込むような合撃がっし打ちを放っていた。


 妖怪カワウソを倒した『一刀両断』。その尾張柳生バージョンである合撃がっし打ち。


 斬り下ろす劍禅の刃と、ほぼ同時に斬り掛ける真冬の刃が二人の頭上で白刃を閃かせる。


 相打ちとみせて、っしこみ、相手のみを切り倒し、わが身にはかすり傷ひとつ負わない、尾張柳生の秘技。

合撃がっし打ち』。


 同時に振り下ろされる二刀。だが、真冬の胴田貫が、劍禅の甕割刀の上にわずかにかぶさり……。


 かちり。


 真冬の胴田貫の峯に、劍禅の甕割刀の刃が当たった。


 ──え!? 切り落とし? なんで!?


 いつの間にか、上下が入れ替わっている。『合撃打ち』を仕掛けたはずの真冬が、劍禅によって『切り落とし』を掛けられていた。


 ──うそっ。

 などと驚く刹那があればこそ、とん!と一足踏み込んだ劍禅の一歩が、一足一刀の打ちとして、真冬の太刀を横に撥ね飛ばしていた。


「あっ」

 身をのけぞらせて、脳天に降ってくる刃を躱したが、切っ先が喉元につけられている。下がるのは間に合わない。


 今、絶対に勝ったと思った真冬の合撃打ちは、魔法のような劍禅の手繰り打ちに引き込まれ、鮮やかに切り落とされていた。そんなバカなと思うが、その芸術的といえる剣技に、真冬はやはり頬が緩む。


 ──この人、凄いわぁ。アホや(笑)


 しかし、巫蠱神劍禅の剣に容赦はなかった。

 そのまま一足、ずんと突き込み、その刃が真冬のを鳩尾に突き刺さる。反った切っ先は彼女の胸骨の下から突き込まれ、内臓を貫いて背中にまで達した。


 まるで落雷に打たれたような衝撃だった。冷たい鋼の刃が、するりと真冬の腹の中に入ってくる。

 あまりにも激しい痛みに、真冬は気を失いかける。さすがに眉間に皺が寄った。


 巫蠱神劍禅の勝利だった。

 真冬の敗北である。


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