第144話 形稽古、のはずが
『御前試合』開催の告知が、あちこちの高札所に立ったのは、翌日のことだった。
「この度、上様御前にて、武術試合を開催つかまつる。腕に覚えの者は参加自由。当日早朝、大手門前にて集まりしこと。優勝者には三種の神器のひとつ『封魔の鏡アマテラス』を褒美として与える。ただし、試合は真剣勝負とする」
そして、さらに、すでに決定している参加者の名前がずらりと記されていた。そして、それらの参加者の名前の末尾に「死織」の名があった。
真冬がその高札を読んでいると、すっと隣に立つ男がいる。
「こりゃ、罠だな」
同じ長屋の浪人金太郎だった。
「金太郎さん、どこにいってたんですか」
「なんか物騒なんでね。隠れてた。植木職人の源さん一家が襲われたらしいじゃねえか」
「はい」真冬は力なくうつむく。自分にも責任の一端はあるから。
「源さんもおかみさんも殺されたって言うじゃねえか。まあ、小虹が無事だったのは幸いだが、ひでえことする奴らがいるもんだぜ」
金太郎は表情を悲痛に歪める。
「だが、一方でその下手人と噂される大黒屋も、だれかに殺されたらしい。なんともきな臭いぜ。しかも、ヒチコックちゃんも死織んも姿が見えねえ。と思ったら、死織んは御前試合に出場する。こりゃ、何かが裏で動いているな」
「はあ」
真冬は生返事を返す。自分に関係あるような、関係ないような話であるからだ。
「真冬ちゃんも気を付けなよ」
それだけいうと、金太郎は落とし差した刀の柄をおさえて踵を返し、懐手で去っていってしまった。
真冬もその場から移動する。
なんとなく道場破りでもしたい気分の真冬は、
鏡心明智流は時代小説では有名な流派だが、失伝により剣術のデータがのこっていないため、お江戸では、ぐだぐだな内容の道場で有名であった。
とにかく竹刀の試合が弱いので、道場破りを申し込むと、竹刀の打ち合いなんてしたことない真冬でも、なんとなく勝ててしまう。そして、勝つともちろんお金をもらえる。
あまり出向かない茅場町界隈を歩きまわっているうちに、真冬は道に迷い、見たこともない場所に出てしまった。
近所の人に道を聞こうと目を向けると、そこは古びた剣術の道場で、「柳生新陰流」の看板がかかっていた。柳生新陰流は、真冬が会社員時代に毎週日曜日に習っていた流派である。その流派の道場が、こんなところにあるなんて。
ちょっと興味をそそられて、中をのぞいてみた。
道場には、道着姿の白髪のおじいさんが一人、ぽつねんと座しているだけだった。
やっぱ入るのはやめよう、と思った。
新陰流は、
柳生石舟斎は、その剣技を息子の
が、のちに江戸柳生は失われる。現代に伝わる江戸柳生を自称する伝系は、但馬守宗矩の伝系ではなく、尾張柳生に伝わった「江戸柳生の遣い方」を基とする伝承である。つまり結局は尾張柳生であるわけだ。
というような理由から、江戸にある柳生新陰流の道場というだけで、ちょっと胡散臭かった。が、帰ろうとした真冬の気配に気づいたのか、ぽつねんと座していた白髪の老人ががばと振り向いたのだ。
「教えを乞いに参られたか?」
ちがいます、と言える性格ならいいのだが、相手がNPCと分かっていても、すげない対応ができない真冬である。
「一手、ご教授、お願いいたします」
これは道場破りになっちゃうかな?と思った真冬だが、老人は立ち上がると、壁の刀掛から、二振りの袋竹刀をとると、「うちは
「はあ、じゃあそれで」
真冬は竹刀を受け取り、老人と距離を取る。向かいあって座し、竹刀の切っ先を合わせて床に置くと、互いに礼。
頭は下げず、指をつくだけ。
立ち上がり六
「お名前は?」
「土方真冬と申します」
「わしは、愛洲移香」
「え?」
愛洲移香斎といえば、新陰流の源流である陰流の流祖であるはず。そんな、一瞬の気持ちの揺らぎを捉えられて、するすると歩み寄った愛洲移香に真冬は肩をぶっ叩かれていた。
「痛っい」
「ふふふ。未熟者め」
愛洲移香が嬉しそうに笑う。
「もうっ」
もう一度やり直す。
一本目。三学円の太刀。
すーっと前にでた愛洲移香斎がいきなり真冬の頭を打つ。
「一本目は肩を切るんですよね!」
いらっと指摘すると、移香はとぼけて言い返す。
「いまのは試合勢法の一本目じゃ」
「なんで途中からやるんですか!」
「おぬしは、頭が固いのう。だれが最初からやると決めたのじゃ」
「普通! 最初からやりますよね」
「切り合いに普通なんぞ、ない」
さらりと言ってのける移香。
それからの稽古もめちゃくちゃだった。
勢法の順番は勝手に変えるし、違うところを平気で打ってくる。タイミングを外すのは何回もあるし、打つと見せて急に止めたりもする。
「
が、そこは予想して相手をよく見ていた真冬。綺麗に躱して、移香の脳天に袋竹刀の一撃を加えて見事終了させた。
愛洲移香はものすごく悔しそうな顔で、「まあ、今日はこれくらいで勘弁してやる」と、稽古の終了を伝えてきた。真冬は、逆に移香の悔しそうな顔をみて、「勝った」とひとりほくそ笑んだ。
愛洲移香も負けを認めたのか、辞去しようとする真冬に、紙に包んだ小判三枚を渡しくれた。基本的に収入のない真冬としては、三両といえば大金であり、これは嬉しかった。
今日はついてる。そう思った真冬だったが、人の運、不運というものは総量が同じで、結局は幸も不幸も交互におとずれているだけだったのかもしれない。
臨時収入に意気揚々と神社の裏参道を歩いていた彼女の行く手に、一人の侍が姿を現した。
深編笠にこげ茶の着流し姿の浪人。川越嘘助という、いつも真冬の後方についていた旗本だった。
嘘助は、真冬の行く手をさえぎるように立ちはだかると、無言で腰の刀の鯉口を切った。
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