真冬は激痛に身をよじる

第143話 いまので死んだ


 真冬がお化け長屋に帰ったのは、朝方だった。


 いつもはこの時間、長屋は朝餉の支度で騒々しい。しかし、植木職人の源さんの家からは誰もでてこないし、犬のチコまで姿がない。死織がいないのは当然として、金太郎も留守のようだ。

 それを確認した真冬は、すばやく辺りを見回し、ヒチコックの部屋の障子をそっと開いた。


 こちらも、もぬけのから。

 劍禅から聞いた話では、ヒチコックは妖怪ぬらりひょんを倒して、三種の神器のうちのひとつ『斬魔刀オロチ』を手に入れたということだ。


 ほんとうにあんな中学生の女の子が、妖怪を倒したり、三種の神器を手に入れたり、そんなことが出来るのだろうか? しかもぬらりひょんといえば、不死身なことで有名な妖怪。それを本当にヒチコックが倒したり出来たのだろうか?

 真冬は正直、半信半疑だった。


 だが、もし本当なら、あの子はもうこの長屋にはいないだろう。劍禅もいっていたが、どこかに身を隠しているにちがいない。


 空っぽのヒチコックの部屋を見てため息をついた真冬は、自分の部屋ですこし眠ることにした。

 昨晩は謎解きと、そこから死織を刺したり、HPを残り一ドットまで削られて意識を失った死織の身体を、後方で待機している劍禅配下の侍のところまで運ばなければならなかった。


 ところが、牢に閉じ込めた死織の所持品を調べてみると、たしかに手に入れたはずの神器がない。とすると、死織は手に入れたアイテムをあの場に落としてしまったのだろうか?


 劍禅の命令で、真冬はあのあと清正井まで駆け戻り、刺された死織が落としたかもしれない神器を探して井戸を漁ったり、途中の道を探したりして、大変だった。

 結局アイテムは見つけられず、真冬は劍禅に疑いをかけられることになる。


 劍禅配下の侍で、真冬の後方についていたのは、川越かわごえ嘘助うそすけという男で、身分は旗本だという。

 いつも真冬の背後で彼女の行動を見張り、場合によっては手助けしてくれる。こげ茶の着流しに大小を差した浪人姿で、必ず深編笠をかぶって顔を隠していた。


 昨晩はこの嘘助がずっと真冬たちのあとをつけてくれて、周囲に怪しい人影はなかったと証言している。

 ちかくに人がいれば、アイテムは『渡す』というコマンドで死織のストレージから移動することができるのだ。

 あのとき死織はたしかに神器を手に入れていた。それがないということは、あのタイミングで誰かべつのプレイヤーに渡した可能性もある。


 しかし、それを渡す相手はいないかった。あのとき、清正井へと続く道は一本道であり、背後は嘘助が抑えていたのだから、死織の仲間がいたのなら、その姿に気づいたはず。

 だが、ならば『破邪の勾玉ヨミ』は、いったいどこへいってしまったのか?


 疑問に首をかしげながら、自分の部屋の戸を開けながら腰の刀を外す。われながら慣れたもので、ふたつの動作を両手で同時にできる。あくびを嚙み殺しながら、履いていた草履を跳ね飛ばして目の前の万年床へ。


 頭から布団に飛びこんで寝てしまおうと思った瞬間、上から何かが降ってきた。

 一瞬、布?と思った藍染めのそれは、真冬の肘を抑えるとわき腹に四角くて硬い金属の塊を押しつけ、いきなり引き金を引いてきた。


 バンっ!という吃驚するくらい大きな音が室内に響き、真冬のお腹に衝撃が走った。激しい痛みが身体を貫き、そのまま横向きに倒れてしまう。


 ──撃たれた?


 そう気づくのに、数秒かかった。これ、もしかして、あたし、撃たれたの?

 痛みに呻き、身をよじりながら、半泣きの目で見上げると、薄暗い中に、岡っ引き姿のヒチコックが立って、手にした銃をこちらに向けていた。


「……ヒチコックちゃん」

 それだけ言うのが精いっぱいだった。すぐに苦痛に顔が歪んで続く言葉が出ない。銃で撃たれたのはこれが初めてだが、こんなに痛いなんて!

 あまりの傷みに、腹を抑えて畳の上で身を丸める。


「死織さんはどこですか?」

 ブラウンの瞳が見下ろしている。その目に感情はない。冷静に真冬へ銃を向け、その銃口はぴたりと真冬の額一点に定まっていて微動だにしない。


 殺される、そう直感した。この子、あたしを殺す気だ、と。

「お願い、……撃たないで」


 懇願するのがやっとだった。筋道立てたことを考えられない。とにかく殺さないで、そればかりを心の中で繰り返す自分がいる。


 ヒチコックは片膝をつき、うずくまる真冬のこめかみにぐいっと銃口を押しつける。

「死織さんは、いまどこにいます?」

「し、知らない。あたしは、知らない」


「死織さんは、最初から言ってました」

 ヒチコックの声は異様に冷静だった。いつもハイテンションだった彼女が発する、この冷たい声は、真冬の知らないヒチコックのもうひとつの顔だった。

「真冬さんは怪しい、と」


 ドキリとした。まさかバレているとは思わなかったから。


「大木戸であたしたちのこと、見張ってましたね。新しくお江戸に入って来た人たちを確認していた。あたしも最初から気づいてました。しかも、そんな人たちが、何人もいた。死織さんは笑ってましたよ。組織立った犯罪集団みたいだって」


 真冬は返す言葉がなかった。

「いま、死織さんはどこにいますか? 正確な場所を教えてください」

 もう一度、銃口を頭に押しつけられる。


 真冬は観念した。目を閉じ、口を開く。

「二の丸。北櫓の地下牢。でも、助け出すのは不可能だよ。……それより、ヒチコックちゃん、……手に入れたふたつの神器を渡して。……そうすれば、二人とも……命だけは助かるから」


「真冬さんは」ヒチコックはすうっと立ち上がった。「ニセモノの侍ですね」


 ──ニセモノ?

 そういわれた瞬間、真冬の全身から、ざっと嫌な汗が吹き出した。なぜならそれが、痛烈な罵倒だったからだ。


 ニセモノの侍。

 江戸時代とか武家社会とかの知識なんて碌にない中学生の女子に、いま自分はニセモノと指摘されたのだ。


 痛みに耐えて顔を上げ、ヒチコックを睨みつける。こんな子供に、そんなこと言われるおぼえはないから!


 が、ヒチコックは動じることなく、真冬を見下ろし、銃の引き金にかけた指を絞った。

「死んでください、真冬さん」

 そして、まったく躊躇なく引き金を引いた。

「あっ」

 思わず声を上げて、身体を竦めた。だが、銃声は響かず、カチャンという間抜けな金属音がしただけ。弾が……入っていなかった?


 恐る恐るヒチコックのことを見上げる。

 女子中学生は、いたずらが成功したことに満足した笑顔をこちらに向けていた。


「今ので、ニセモノの真冬さんは死にました。だから、今からは、本物の真冬さんになってください」


 ヒチコックは銃をしまうと、くりると背を向けて真冬の部屋を出て行った。


 ふと見ると、さっきまで彼女がいた場所に、回復薬の瓶が二本置かれている。それを見た瞬間、真冬のお腹の激痛は蘇ってきた。

「でもさ。ほんとに撃つこと……なかったよね」


 呻きながら、真冬は回復薬の瓶に手を伸ばした。


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