第109話 江戸前寿司
お江戸の表通りは道幅がすごい。
大勢の人通りがあるうえに、荷車や駕籠まで通るし、棒手振りは天秤棒をかつぎ、あちこちに食べ物屋の屋台までならんでいる。
「広い通りというより、こりゃ縦に長い広場だな」
ド派手な花魁衣装の遊び人、死織は周囲を見回しながら唖然とする。お江戸の町はちょっとしたカオスだった。
「死織さん、お腹すきましたね」
隣を歩く、チビでおかっぱの女子中学生は、岡っ引きスタイル。帯に差さった十手が異様に大きく見えた。
「おう、せっかく江戸に来たんだから、江戸前寿司でも堪能するか。あそこの高そうな店、あの看板からして寿司屋じゃね?」
「お、いいですね。あ、でも、あたし五十両しか持ってないんで、奢ってくださいよ」
「おお、いいぜ」
死織は快諾した。じつは五十両といえばかなりの大金だが、自分が大金を持っていると知ったらヒチコックのやつ、また何やらかすか分からないので、死織はここは素直に奢ってやることにする。
「こんちはー」
二人が玄関から中をのぞくと、奥から女中さんが出てきて店内へ案内してくれる。中は広い土間になっていて、奥には座敷。手前には
「いやー、さすがに雰囲気あるね」
白木の建材、青々とした座敷の畳、真っ白な障子紙。土間ではあるが、いかにも江戸の飲食店という作りである。
「奥の座敷、いいかい?」
死織とヒチコックは履物を脱いで座敷にあがりこむ。一段高くなった畳敷きのスペースなのだが、座布団もテーブルもない。
「お客さん、なににします?」
女中さんがさっそくオーダーを取りに来た。さすがは江戸っ子。気が短い。
「あー、じゃあ、俺は、まずはタマゴ、あとコハダとアナゴとアジとシメサバとマグロ、全部2貫ずつでいいよ」
「あいよ」
「じゃあ、あたしは、トロ! さび抜きで!」
「トロ?」
「大トロ!」
「いや、そういうのは、うちは置いてないけど」
「え、トロがないの? お寿司屋さんなのに?」
ヒチコックが首をかしげる。
「売り切れか何か?」
死織も疑問に思って聞いてみた。
「いや、トロって、あのマグロの脂身かい? うちはあんなの、出してないけど……」
「あ、そうなんだ……」
「ぶー、あたしお魚はトロしか食べないんですけどー」
いやおまえ、昨晩サバの味噌煮をうまいうまいって食べてたよね。
ヒチコックが頬を膨らませていると、隣の座敷から女性が顔をのぞかせた。座敷は腰の高さの屏風で区切られているので、話はつつぬけ。死織たちの会話が聞こえていたのだろう。
「こんにちは、お江戸は初めてですか?」
女性だった。髪を後ろで結って、ポニーテールみたいな髷にしている。
「せっかくだから、ご一緒しますか」
言うと立ち上がって、仕切りの屏風をどかした。
彼女は黒い着物に、黒い袴。浅葱色の羽織。その羽織をみた死織はたずねる。
「あれ? その羽織は、新選組ですか?」
「そうなんです」
女性はちょっと照れ臭そうに眉尻をさげる。
全体的に小作りな美人。たれ目のやさしそうな印象。笑顔がやわらかかった。
「史実では、新選組はこの羽織をほとんど着ていなくて、黒装束が基本だったらしいんですが、ここではこれを羽織ってないと、『壬生狼』の生業が来ないんですよ。なので、仕方なく」
女新選組の男装侍は、照れ臭そうに肩をすくめる。
「土方真冬といいます」
「本名っすか?」
「だから、そういうこと、いきなり聞くなって」
死織はヒチコックにすかさず突っ込む。
問われた真冬は楽しそうに笑って口元をおさえている。
「お二人とも、仲いいんですね」
「いやー、腐れ縁っすよぉ」
「おめーが言うな」
真冬がさらに笑う。
彼女は笑いながら立ち上がり、自分の大皿を死織たちの前にもってくる。
「よかったら、どうぞ」
そして、中腰のまま、もう一度自分がいた場所にもどって、後ろに置いてあった刀をとってくると、ちょこんと死織たちの前に正座した。
刀は無造作にうしろに置く。
「土方真冬の土方は、土方歳三からとっていて、真冬は時代小説の登場人物からとってます。だから、本名じゃないよ」
真冬はヒチコックの不躾な質問にもにっこりとこたえる。その表情が、まるで親戚の姪っ子を見ている姉のようで優しい。いい人かもしれないな、というのが死織の印象。
この真冬というキャラクターの容姿が、実物の真冬さんと同一かはわからないが、少なくともこの笑顔は素の彼女のままだろう。
「江戸時代は、マグロのトロは食べなかったんですよ」
真冬はやさしげな表情で説明してくれる。
「江戸前寿司は江戸湾、現代の東京湾でとれた魚介を素材に作る握りずしで、現代の寿司とは、ずいぶんちがいます。あ、良かったら、これどうぞ」
真冬は大皿にのった寿司をすすめる。
「あ、いいの? もらっちゃって」
と、気軽に手を伸ばした死織は、「ん?」と首を傾げた。
伊万里風の絵皿にのった寿司はふたつ。コハダとアジのようだったが……。
「でかいっすね」
ぽつりとヒチコックがつぶやく。
死織も呆然と感想を述べた。
「まるで、おにぎりだな」
「江戸時代のお寿司って、現代の物よりもずっと大きいんです。その名残で、現代のお寿司屋さんでは、ひとつのネタで二貫ずつ握りますよね」
「へー」
死織は遠慮なくアジをつまみあげる。ヒチコックは興味津々でコハダを鷲掴みにした。
「ごはんが赤いんすけど」
「あ、ほんとだ」
「この時代のお寿司は、赤酢をつかってるんです。で、基本お醤油はつけずに食べます」
「そうなんだ。旧作ではそこまで時代考証されてなかったなー」
死織はへーと感心しつつ、大きめの寿司にかぶりつく。
酢でしめたアジに、赤酢の酸味と甘みがぼとよく絡んでいて美味しい。現代の寿司は、これに比べると淡白だといえた。
「旨いね、俺の知る寿司とは、なんかちがうけど」
「おいしいけど、なんかちがうっす」
ヒチコックは口を尖らせるが、コハダをばくばく食べている。
「さび抜きを頼む奴が、偉そうに寿司を批評するなよ」
死織が文句をいうと、真冬が楽しそうに笑う。
「そうだ。自己紹介が遅れたな。俺は死織。LV9のクレリックだ。よろしく」
「あたしは、ヒチコックです。LV4のガンナーなんですが、いまは岡っ引きです。で、こっちの死織さんは、じつは中身おっさんなんで注意してください」
「このヒチコックは、見たまんま中身中学生ですので、注意してください。しかも素顔でログインしてます」
「こっちの死織さんは、生業『遊び人』ですよ。大人としてあり得ないですよね」
「中学生に岡っ引きやらせるお江戸のシステム自体に問題があると、俺は思うぞ」
ここらで真冬はこらえきれずに笑い出した。口元をおさえて、いつまでも笑い転げている。
思い出せばいつも、土方真冬は笑っていた。死織は彼女の泣き顔なんて、見たことがなかった。……たった一度だけしか。
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