第108話 四谷の大木戸


 翌朝。

 朝食をすませた死織とヒチコックは、早い時間に宿を引き払い、江戸の街へと急いだ。国際街道には彼らの他にもお江戸をめざすとおぼしきプレイヤーたちの姿がある。


 昨晩見たプレートメイルの騎士とか、ローブを纏った魔術師。いやもしかしたら占い師かもしれないが。彼らはおそらく死織たちと同じで、お江戸をめざして古都ラムザを出発してきた者どもであろう。


 ただし、彼らが騎士だの魔術師だの占い師だののコスチュームでいられるのも、行く手に見える四谷の大木戸までだ。



 街道をふさぐように建てられた大きな冠木門。左右には、背の高い柵が、視界の限り永遠に続いている。まずは、あそこを無事に突破できないと、江戸の街には入れないのだが。


 宿を出発するとき、昨夜の仲居さんが死織たちにそっと告げた話があった。


「なんか最近、御府内から出てくる人がいないんだよ」

 帳場の番頭にバレないようそっと声を潜めて教えてくれた。

「入っていく人は大勢いるのにね。出てくる人は一人もいないんだ。お江戸が楽しくて帰れないっていうんならいいんだけど、もしそうでないなら……。だから、お客さんたちも、気をつけてお行きよ」


 軽く脅された形だが、死織たちはすでにお江戸がダーク・レギオンの手に落ちているという話は聞かされている。それを承知で乗り込むのだから覚悟はできているつもりだ。


「江戸に入ったら、基本的にコスチュームは和服になるからな」

 死織が歩きながら告げると、ヒチコックは目を丸くして見上げてくる。

「えー、そうなんですか? あたし、着物の着方なんて知らないですよー」

「いや、ゲームだから、ボタン押すだけだから。着方なんて知らなくて平気だし」

「あ、そうか」

「でも、その和服のコスチュームってどこで手に入れるんだろうな? 勝手にダウンロードされるのかな?」

「死織さんも知らないんですか?」

「行ったことないからな」死織は真顔でうなずく。「もしくは、行ったことあるけど記憶ロストしてるとか。でも、旧作の『お江戸大戦』はやったことあるんだぜ」

「いや、ここで旧作やったことあるとか自慢されてもなー」

 なんかヒチコックから腹の立つ駄目出しがきた。

「まあ、なんにしろ江戸時代の雰囲気を楽しもうって趣旨は、旧作も、ここのお江戸もかわらねえんだろう」



 二人はやがて四谷見附の大木戸に到達し、並んでいる何人かのプレイヤーたちのあとにつく。棒を持ったちょんまげ頭の門番の指示にしたがい、順番に、開け放たれた大木戸をくぐり、役人が詰める番所で簡単な質問を受ける。

 座敷に座った武士が、一段高いところから通行人に面談するのだ。


「おぬしら、どこからきた?」

「はい。古都ラムザからです」

 この辺りのやり取りは、ラムザの門番たちと同じだ。

「江戸には何しに?」

「観光です」

 国際空港の入国管理にも似ている。

「姓名と職業、レベルを申告せよ」

「死織。レベル9のクレリックです」

「うむ。死織、お江戸のご府内では、職業は独自の生業なりわいとなるので、それに従え。また、コスチュームも和服が規定であり、その服装では入府できぬので心せよ」

「はい」

 死織は神妙にこたえて、通行の許可を得た。先に進もうと隣を振り返ると、ヒチコックが別の役人に質問を受けていた。

「姓名と職業、レベルをのべよ」

「ヒチコック、レベル4の剣士です」

 しらーっと嘘をついていた。

 成長したなと喜ぶべきか、世間ずれしたなと悲しむべきか。

 死織が見ていると、ヒチコックはぺろっと舌を出して中に入ってきた。なんか悪い顔になっている。

 ──ま、こいつも歴戦の勇者だしな。

 死織はヒチコックが追いつくのをまち、二人して四谷見附の番所を抜け、とうとう江戸府内に入った。


「うおー、ここがお江戸っすかー」

 ヒチコックが興奮した声をあげるが、死織も少なからず驚いた。


 江戸。

 徳川家康が江戸幕府を開いた場所。


 もともとは湿地だったが、日比谷にあった山を切り崩して埋め立てて、作り出された大都市。パリやロンドンよりも先に世界で初めて人口100万人を突破したメガロポリス。

 行きかう人は、すべてがまるで時代劇の登場人物。まげを結い、和服に身を包み、下駄や草履を穿いて早足に道を急ぐ。

 天秤棒を担いだ振り売り。腰に刀を差した侍。絢爛な留め袖に鳥追い笠の女子は手に三味線を抱えている。

「すげーな、こりゃ」


「うわぁ……」

 そこでヒチコックが変な声をあげる。

「どうしたよ?」

 死織が振り返ると、ヒチコックがやっちまったという表情をしていた。

「死織さん、大変っす。銃がつかえないっす」

「だから、最初から言ってるじゃねえかよ」

「いや、でも。武器画面であたしのカスピアン・カスタムが文字反転してて、クリックできないっす」

「まあ、お江戸だからな。ここからは、お江戸で使えそうな武器を装備しろよ。刀とか槍とか」

「ぶー。銃がいいっすよぉ。銃のないハゲ・ゼロなんて、ルーのないカレーっす」

「そりゃライスだな」

 死織が苦笑していると、六尺棒を手にした番士が「おい、こっちで着物を買って着替えろ」と命じてきた。


 死織たちが振り返ると、川端の広い場所一面に、紐で吊られた着物が、和服の海のように風になびいて波打ち、色とりどりの生地をうねらせている。


「古着屋総兵衛の店だ。新作だと、ここにあるのか。しかもでかい。旧作ではただのお店だったのに」

「これ、レジはどこですかね?」

「いやたぶん、このタイプの店だと、服を着てエリアから出たら、引き落としになるシステムだろう。つまり、レジはない。ちなみに、お江戸にはレジスター自体、ない」


 店というには大きすぎる。家屋ではなく、もうこれは展示場であった。

 死織とヒチコックは顔を見合わせ、二人で一瞬ぽかんとしたが、すぐに自分たちのコスチュームを探すため、河原へと降りて行った。

「服が決まったら、上で合流しよう」

 そう約束して、二人は分かれた。

 そして、30分後。

 再会した二人は、たがいのコスチュームをディスり合うことになる。


「ヒチコック、おめーなんだよ、その恰好。岡っ引きかよ」

「死織さんこそ、なんでそうなるんすか? 花魁かよ。あたしたち、ここにダーク・レギオン倒しに来たんですよね」


 ヒチコックは藍染めの長着の裾をたくしあげ、同色の羽織を着ている。下には水色の股引。腰には紺の博多帯を締めていた。足には黒足袋と草履。

 まるで時代劇の岡っ引きである。

 よく見ると、帯には十手を差し、捕り縄と銭束までぶら下がっている。


「え、それも売ってたの?」

「いやこれ、自動で支給されたんすよ」ちょっと自慢げにヒチコックが十手を抜いて死織の鼻先につきつける。「この服を選んだら、『生業』システムが発動されて、あたし、見事『岡っ引き』に任命されました」

「マジかよ」


 死織が感心すると、ヒチコックはおのれの権力をひけらかすように、高くかざした十手を振り回した。

「死織さん、おかしなことすると、逮捕しますからね」

「いや、江戸時代は逮捕とは言わねえだろ。お縄にするとかじゃね?」

「そんなことより、死織さんのその、ド派手な格好はなんですか」


 シンプルかつ地味なヒチコックの衣装に反して、死織のコスチュームはド派手だった。

 揚羽が舞うデザインの、朝焼けを思わせる東雲しののめ色の小袖。それを、抜き襟で、うなじ全開、背中ちょい見せで着こなしている。裾は地面をひきずるほどに。いや、ちょっとひきずっているかな。


 くびれたウエストには、菜の花柄の、あざやかなグリーンの帯を、俎板という身体の前で結ぶスタイルで。

 足元は漆塗りの高下駄。緒は青空を思わせる浅葱色。これを素足につっかけ、ちらりと見える脛に絡まるのは、割れた裾からのぞく下着の襦袢。こちらは緋ちりめんの鮮烈な赤。


 そして上から羽織るのは、空色の打ち掛け。こちらは、金襴で黄金の雲が背中に流れ、緞子で千鳥柄と、風に舞う桜の花びらが描かれている。


 頭髪も、銀杏という花魁独特の髪型。大きく翼を広げたようなびんの上に、もの凄い盛り上がりの黒髪。

 まげには髪より黒い黒漆の螺鈿櫛。さらに左右から三本ずつのかんざしが後光のように刺さっていた。

 ちなみに、上からギヤマン、べっ甲、銀の透かし彫りである。


「死織さん……」ヒチコックはあきれたような半眼で、死織を見上げた。「その衣装だけで、どれだけリソース文字数使ってるんすか」


「ほら、やはり江戸に来たんだから、これくらいド派手な衣装にしとかないと、もったいないだろ」

 死織はつんと鼻をつきあげる。が、ヒチコックは、はっと気づいた顔でたずねてきた。

「もしかして『生業』が花魁になることを狙ってました? 花魁だと、ただで吉原で遊べるとか、そういうの狙ってました?」


「は? なにを言っているのだね、君は」ぎくっとなった死織はとっさに目を逸らす。

「え? え? で、もう生業は表示されたんすか?」

「いや、出た、けどさ」

「なんですか? 教えてくださいよ。花魁でしたか?」

「いや」死織はお江戸の空を見上げて、流れ落ちそうになる涙をこらえた。「……『遊び人』だった」

 ヒチコックの弾けるような爆笑が、青く澄んだお江戸の空に響き渡った。



 そして、死織たちはこのあと、お江戸の冒険で重要な役割を果たす女剣士と出会うことになる。


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