第107話 おまえは江戸に来るな


 宿の夕食は、部屋に運んでもらうか、大広間でみんなといっしょに食べるか、どちらかを選べるらしい。死織は大広間での食事を選択し、ヒチコックもそれにならった。


 大広間は三十畳くらいある和室。四方は見事な襖。

 あちこちに行燈が置かれているが、現代の感覚ではうす暗い。だが、そのうす暗さがなんとも風情がある。

 が、そんな風情を一ミリも理解しないヒチコックは、運ばれてきたお膳のうえの料理を早速ぱくついている。


「さすが、和風の温泉旅館。食事も和食なんですね」

「旅館つーか、旅籠だからな。ここはもうお江戸の入口、宿場町なんだよ」

「なんか、サバの味噌煮とか酢の物とか、おいしいっす。家にいるときは、煮魚なんて嫌いだったんですけどね」

「まあ、最近は野宿も多くて、空腹ごまかすのに、回復薬ばかり飲んでたからな」

 死織は苦笑する。


 広間には死織たちの他に、十人以上のプレイヤーたちが食事をしていた。それぞれが『ハゲ・ゼロ』にありがちな思い思いのコスチュームに身を包んでいる。ド派手なドレスだったり、武骨な戦闘服だったり。

 食事の場だというのに、プレートメイルを着たままの騎士もいた。


 かくいう死織もチャイナドレスだし、ヒチコックはいつもの軍服。腰にはこれみよがしに、拳銃のホルスターとマガジン・ポーチを装備している。


 マガジン・ポーチは、ここに来る前に古都ラムザで買った新しいやつで、二本の弾倉マガジンが差せるやつだ。とうぜんマガジンも一本増えて、現在ヒチコックは計三本のマガジンを所持していた。

 つーかそれ、いまになってやっと買ったのかよ死織は言いたい。


 が、そのまえに、ヒチコックに伝えなければならないことが、死織にはある。


「なあ、ヒチコック。おまえ、ここに残れ。江戸には来るな」

「え? なんでですか?」

 向付むこうづけのサバの味噌煮を箸でつつきながら、ヒチコックは驚いた様子もなくこたえる。顔を上げもしない。


 夕食は、ご飯と味噌汁、サバの味噌煮が主菜で、そこにほうれん草のお浸しと酢の物、卵焼き、漬物がついていた。器は、黒の漆器や赤絵皿や染付が使われていて、けっこう豪華である。


「つーか、おまえ。箸の持ち方、変だぞ」

「え? そんなことないですよ。これで正しいはずです」

 そこではじめて顔をあげたヒチコックの口のまわりには、味噌だれがついている。

 あいかわらず子供だ。


「いや、他の人を見てみろよ。みんなこういう風に持ってるだろ?」

「へ?」他の食事客を見て、目を見開くヒチコック。「あれ? みんなお箸の持ち方が、変ですね」


「変なのは、おめーだっての」死織は口をとがらせておいてから、話をもとに戻す。「いや、それはいいから。とにかくおまえはここに残れ。江戸には俺一人で行ってくる」

「えー、どうしてここまで来て、そういうイジワル言うんすか。あたしだって、行きたいですよ、お江戸」

「危険だからだ」

「そんなの、いつもじゃないですか」

「お江戸は特別なんだよ」


 二人が言い合っているところに、仲居さんがご飯のおかわりを聞きに来た。ついでに、ヒチコックに忠告する。

「お客さんたち、お江戸に行きなさるかね? ご府内は、鉄砲がご禁制だから、所持できないよ。注意された方がいいよ」


 もぐもぐやりながら、ヒチコックは死織に問うような視線を投げかけてきた。


「まあ、そういうわけだ」死織は肩をすくめる。「お江戸では、銃は使用できない。銃の使えないガンナーに何が出来る。来ても足手まといなだけさ。ロレックスの護衛だったあのダイブスって奴の話では、お江戸にはダーク・レギオンが侵入しているらしいじゃねえか。だとすると、丸腰で、観光気分で乗り込むには、お江戸は危険すぎる。おまえは、ここで待ってろよ。うまい飯も出るし、風呂は温泉だし。休暇のつもりで、ここでゆっくりしてればいい」


「銃が使えないって、ガンナーなのに、ですか?」

 口の中のものをごくりと飲み込んでヒチコックがたずねる。


「前にも言ったが、お江戸は別のVRゲーム『お江戸大戦』のシステムが働いている。そこでは『ハゲ・ゼロ』のジョブ・システムのかわりに、生業なりわいシステムというのが動いているんだ。すなわち、自分で選択してジョブを選ぶシステムではなく、行動によってパラメーターが変化し、システムが判断して勝手にプレイヤーへ生業なりわいを与えるっていう独特のジョブ・システムなんだ」


「へー、面白そうっすね」ヒチコックは目を輝かせた。「じゃあ、あたしは銃士になるかもしれないんですよね」

「ならねえよ。銃士なんて生業は、江戸にはねえから」

「あ、じゃあ、剣士とか? あ、お江戸だから侍か」

「おまえはここまで毎晩、銃の練習だけしてきたじゃねえか。ここでいきなり剣士や侍になっても、くその役にも立たねえんじゃねえのか」

「いや、立ちますって。だって、エリ夫さんだって剣士じゃないですか。絶対あの人より、あたしの方が役に立ちますって」

「いや、エリ夫を比較対象にしてもしょうがねえだろ……」

「なんにしろ、あたしも行きますからね。銃が使えなくても、ガンナーは最強ですよ。それに、あたしも絶対行ってみたいんですから。お江戸」

 そう宣言して、ヒチコックはごはんをかっこむ。


 まあ、言い出したらきかないところがあるし、どうせ素直には従わないと思っていたから仕方がない。

 死織はちいさく肩をすくめた。


 ──ま、バトルとかクエストとかには参加させず、江戸でぶらぶら遊んでいてもらえばいいか。


 そのときは、そんなことを考えていたのだが、それが甘い考えであったことを死織はのちに思い知ることになる。


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