第5章 『八百八町! お江戸大戦』

死織、後悔す

第106話 宿場町に到着!


 やはり、あのとき、なんとしても止めるべきだったのだろうか?

 死織は青く晴れ渡ったお江戸の空を見上げて、ふと思った。今更そんなことを後悔してもすでに手遅れなのだが。


 清流のように澄み渡る今朝の江戸の空は、まさに日本晴れ。雲ひとつなく、吹き渡る風もすがすがしい。昨夜の激しい戦闘がまるで嘘のようである。

 あちこちで火の手が上がった江戸の街。地上の炎で赤く焼けた夜の雲。砕かれた千代田のお城の天守閣。天にまでとどく黒煙。人々の悲鳴、そして怒号。

 いまだかつてないほど強大であった邪悪な敵。そして、永遠の眠りについて二度と目覚めることのない彼の相棒、ヒチコック。


 それらがすべて、悪い夢であったかのように、一夜明けた江戸はいつもの活気と平和を取り戻し、空には千切れた白い雲を浮かべている。


 死織の後悔をあざ笑うかのように。






 二人がその宿場町に到着したのは、夕方だった。


 古都ラムザを出発したのが三日前。

 国際街道を東に進み、途中で野宿し、小さな村で駅馬車に乗り、つぎの村で一泊。そこからさらに馬車で丸一日揺られて、この宿場町へ着いたときには、すでに日が傾いていた。



「今夜はこの宿場町で一泊だな」

 馬車を降りた死織はヒチコックに告げる。

「ここは『内藤新宿』っていう宿場で、ここからなら『江戸』までは徒歩で半日もかからねえ。明日の昼には、お江戸に到着だ。今夜はここでゆっくり休んで、明日からのバトルのためにエネルギーを補給しておこうぜ」


「はーい」

 といって馬車から降りてきたヒチコックの声は元気がない。長旅でさすがに疲れているのだろう。が、宿場町の様子を一目見たヒチコックは、すぐにぴょこんと飛びあがった。

「うおっ、すげーっす。なんか時代劇のセットみたいですね! 日光とか太秦に来たみたいですよー」

「まあ、ここもすでに江戸みたいなもんだからな」

 死織も内藤新宿の街並みを見回して口元をほころばせる。



 幅のある街道。人馬によって踏み固められた赤土の道は、人で溢れていた。

 髷を結った人足たちが半裸に近い格好で荷物を担いでいる。馬の轡を取る者、荷車を引く者。むくつけき人足たちが行きかい、なんとも騒々しい。

 夕暮れが迫る時刻である。

 すでにあちこちの行燈や灯籠には、火が灯っていて、雰囲気も抜群である。


 道の左右には、板葺きの日本家屋が隙間なくずらりと立ち並び、あけっぴろげの板の間にはきらびやかな遊女のお姉さんが侍り、大きな土間にはいま宿場に到着したと思しき魔法使いや騎士の姿があり、彼らはこぞって宿屋で宿泊の手続きをしている。


 街は和風だが、おとずれる旅人は死織たちとおなじく、古都ラムザから旅してきた者たちばかり。この内藤新宿の宿場は、和洋折衷、なんとも混沌とした様子である。


「おし、俺らも宿屋にチェックインして、ゆっくり風呂に浸かり、うまい晩飯でも食うか」

「あたし、温泉のある宿屋がいいですよ」

「いや、温泉はねえって」

 左右の宿屋の軒先を物色しながら死織は先を歩く。

「温泉地じゃねえから。新宿だから」

「へ? 新宿って、あの都庁のある新宿ですか?」

「そう。内藤新宿は、今でいう新宿のことだ。ただ、ここは地球の新宿ってわけでもないぜ。まあ、ダークアース上に作られた架空の江戸であり、その端っこの内藤新宿という宿場町さ。自動生成された巨大都市の一部だな」

「お江戸も自動生成なんですね」


 ヒチコックは、時代劇そのまんまの街並みと、そこで宿屋を探すハゲゼロのプレイヤーたちを見回しながら死織の隣を歩く。


「まあ、自動生成は自動生成なんだが、『ハルマゲドン・ゼロ』の製作者である須野田乱人が若いころに作ったVRゲームに『お江戸大戦』ってのがあってさ。それが江戸時代の江戸の街を再現したバーチャル歴史ゲームだったんだ。そのシステムを須野田乱人が隠し要素で『ハゲゼロ』の内部に仕込んでて、ダークアースにそのシステムが適用された特殊な街としてお江戸が自動生成された、というのが通説だな。つまり、お遊びで作られた特殊ステージって扱いなんだ。それで、お江戸では、通常の『ハゲゼロ』とはちがうゲーム・システムが稼動しているって話だぜ」


「普通と違うんですか」

「ああ。だから、ここで一泊して、その、いつもと違うシステムに適合するように、いろいろと準備する必要があるみたいだ。ま、俺もお江戸には来たことないと思うから詳しくは知らないけどな」

「へー」


 ヒチコックは物珍しそうに、宿場町の風景に目を走らせている。

「あれ? あそこに温泉って看板、出てますよ」

「うそ!?」


 死織が驚いて目を向けると、たしかに温泉の文字。宿屋の名前は十二社じゅうにそう温泉旅館。

「へー、温泉もあるんだな。なんだか知らねえが、あそこにするか」

 死織は、ひときわ大きい建物の温泉宿を指さした。


 十二社温泉宿と看板の出た二階建ての宿屋は、玄関の間口も広く、中の土間も大きかった。室内ではすでにいくつもの行燈に灯がともっていて、まるで昼間のように明るい。NPCとおぼしき宿屋の手代や女中たちがせわしなく立ち働いていた。



「いらっしゃい。お客さん、お二人さんですかい?」

 和服に日本髪の仲居が威勢よくを声を掛けてくる。

「わっ、歯が黒い!」

 ヒチコックがいきなり悲鳴をあげた。

「お歯黒だから。江戸では普通だから」

 あわてて説明しておく。まあ、いきなり見たら驚くのも無理はないが。


「一泊お願いするぜ。二人だ。続き部屋で個室をふたつ頼めるかい?」

 おもわず死織の口調も時代劇っぽくなってしまう。


「あいよ」仲居は快活に帳場に声を掛ける。「お二人さん、ご宿泊。個室を続きでお二つ!」

 すぐに奥の番頭さんが相づちを打ち、支払いの画面が死織の前にレイヤー表示された。


「お客さん、ここからはもうGは使えないから、この画面で両替をしとくれ。レートはいまは、1Gが一両だよ」

「あ、そうなんだ」

 死織はすこし驚いて、レイヤー画面の「両替」ボタンを押した。


「Gからの両替って、江戸に入ったらもうできないのかい?」

 死織は仲居にたずねる。

「できるけど、両替屋にいかないと無理だから、めんどくさいね」


「ああ、なるほど」

 死織はすこし考え、自分の現在の所持金を確認する。


 一時期ロレックスから巻き上げた10万Gを所持したこともあったが、あれはそのあと消えてしまったから、現在の所持金はなんのかんので2万Gほど。このうちの一部をとりあえず両に換金することにする。5000Gを選択して、両に変えた。


 所持金のしたに別枠の所持金額が表示される。その数値、五千両。

「ん?」

 死織は首を傾げた。

「五千両?」

 それって、千両箱五つ分ではないだろうか?


「ふっふっふ、お客さん。大層なお金持ちなんですね。それなら江戸に行っても吉原でしばらく遊び放題ですね」

 仲居がいやらしい笑みを口元に浮かべている。

 いや、たしかにそうだが……。

 なんか変ではないだろうか? 


 ハゲゼロの1Gは、現実世界の100円相当のレートである。ということは、つまり、お江戸では一両が100円のレートになる。だがしかし、当時の一両は、現代に当てはまめると7万円から10万円の価値があったと聞いたことがある。

 つまり、現在のお江戸は、物価が超安いことになる。


 死織は思わず、口元をほころばせた。

 ──これは、期待できそうですな、お江戸。この仲居さんの言う通り、どうやら吉原で遊び放題できそうだぞ。


「あ、じゃあ、あたしも2万Gくらい両替してもらってもいいですかー」

 となりでヒチコックが手を上げた。

「やめておきなさい!」死織はすかざす注意した。「君は50Gくらいの両替にしておきなさい!」

 死織はきょとんとするヒチコックの鼻先に、びしりと人差し指をつきつける。

「君は、まだ中学生なんだから!」



 「ぶー」と口をとがらせるヒチコック。頬を膨らませた子供っぽい顔を見ながら笑いをかみ殺しつつ、しかし死織は心中でそっとため息をつく。


 やはり、あのこと。ヒチコックには告げねばなるまい。言いにくいことだが、はっきりと伝える必要がある。この女子中学生に。


 「おまえは、江戸に来るな」と。


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