その男、ロレックスにつき、

第84話 カジノで出会った女


 ロレックスは鏡に映った自分の姿を見て、ため息をついた。

 ハリウッドの俳優を真似て作った、シャープで甘いマスク。背の高い、スリムなボディー。アルマーニのスーツを着こなし、腕に巻かれた時計はロレックスのサブマリナー。


 こんな男が実際にいたら、さぞや女に不自由しないことだろう。本当の自分は、しょぼくれた、見るに堪えないブ男だというのに。

 これは彼の、捏造された、偽物のキャラクターだった。

 ネクタイを締めない彼は、シャツの襟だけ直して、手を洗う。壁のあちこちにゴールドがあしらわれた高級なレストルーム。ウィスティンホテルのカジノのトイレは、まるで宮殿の一室だ。

 大きな鏡。宝石箱のような洗面台。力強い光を放つ燭台。


 ロレックスはLV5の魔術師。これでも、ここにきた当初は、すこしは真面目に戦っていた。だが、気づいてしまったのだ。あいつらを殲滅するなんて、夢のまた夢であることに。


 このダーク・アースは広い。地球と同じ広さがある。だが、海は少ない。ということは、地球より陸地が多いということだ。その広大な陸地に、ダーク・レギオンは溢れているのだ。ちょっとやそっと人類が攻略を頑張ったところで、奴らを殲滅するなんてこと、できやしない。


 だったら、どうだ? あいつらと、ここで共存するというのは?

 ダーク・レギオンはこのダーク・アースに封じ込められている。ならば、このままでいいではないか。地球をわざわざ救う必要なんてこれっちぽっちもない。いや、すでに地球は救われているのだ。このダーク・アースに奴らを封じ込めた時点で……。


 だとしたら、このハルマゲドン計画とはなんだ? 政府へ、政治家や官僚たちへ、ただ単に利益をもたらすためのシステムではないか。ここには大きな利権があるのだ。だから、国も自治体も、このハルマゲドン計画を推奨し、維持し、ダーク・アースを、そして『ハルマゲドン・ゼロ』を継続させているのだ。


 その真実に気づいた時、ロレックスは戦う虚しさを知った。これは人類を救うゲームなどではない。利益を得るために使うシステムなのだと。

 そして彼は気づいた。上手くやれば、ここで大きく儲けることができると。


 3年間の契約期間、無事に生き残ってログアウトできれば、そのときゲーム内で所持していたGを報酬として受け取ることができる。また、ログアウト後の補償も大きい。


 政府は、敵を倒してGを稼ぎ、それが報酬として支払われると喧伝しているが、ちょっと待てと言いたい。

 Gは別に、手に入るのだ。そんな効率悪いことしなくても、うまくシステムを利用すれば、巨額のGを手に入れることができる。それが、『ハルマゲドン・ゼロ』だった。

 そう、ここには巨大な金脈が眠っているのだ。



 ロレックスは内ポケットからコームを取り出すと、髪を整える。そして小さくため息をついた。

 自分はうまくやっている。おそらくこのまま戦わずに莫大なGを所持し、そのままログアウトを迎えることができる。そのために上手く立ち回り、上手く稼いできた。


 だが、彼が、Gという力を付ければ付けるほど、周囲からのしがらみが多くなる。

 昨晩は、トップ・プレイヤーから急に連絡があり、強力な武器を手に入れたいとの申し出があった。会ったことはないが、ここに長くいれば一度は名前を聞いたことがあるはずの有名なプレイヤーである。その彼が、強力な剣を入手したい、力を貸して欲しいと使者を寄越したのだ。


 あいにくとロレックスは、Gにしか興味がない。高性能な剣なんぞ所持してはいないし、そんなものGを積んでどうにかなる訳でもあるまい。彼の専門外である。


「とはいえ、相手はトップ・プレイヤー。無下に断るわけにもいかない……か」


 ロレックスは鏡の中の自分に、もう一度ため息を吐きかける。腕のサブマリナーを確認し、まだ夕食に早いことに舌打ちした。


 ここは食べるくらいしか楽しみがない。日々の虚しさが蓄積され、それが積み重なってすでに痛みも感じなくなっていた。

 食事の時間が唯一の楽しみだが、それとて、そもそもが腹が減るわけでもないし、飢えて死ぬわけでもない。


 コームを内ポケットにもどしたロレックスは、今夜もカジノに顔を出すことにした。時間を潰すには、あそこは最適の場所だった。



 レストルームを出ると、護衛のダイブスが音もなく背後につく。ダイブスはLV17の剣士。室内だというのに、黒いコートを羽織って腰にソードを差している。

 背が高く、目つきは悪い。黒い髪は、短く刈られている。

 彼もロレックスに借金があって、護衛役をこなしているわけだが、そのわりには随分きっちりと仕事に専念してくれていた。毎月給金という形でGを支払っているのだが、返済が終わってしまうのがいまから心配だ。ダイブスがいなくなったら、誰に護衛をさせるか? いまから候補を考え、そいつを嵌める算段をたてておく必要がある。


 そんなことを考えつつ、廊下の奥の扉を開くと、カジノに一人先客がいた。

 すかさずダイブスが前に出て、警戒体勢をとる。


「よう、初めまして」

 赤いチャイナドレスの女は艶やかに笑った。

「俺は死織。レベル9のクレリックだ。ロールケーキってのは、あんたかい?」

「ロレックスだ」

 いきなり名前を間違えられて、かっと頭に血が上った。

「ああ、ロレックスさんね。時計の名前だったな」

 死織と名乗った女は微笑する。

 背の高い女だ。胸が大きく、スタイルが良かった。すらりとした脚の、かなり上の方までチャイナドレスのスリットからのぞいていた。

 目が大きく、整った顔。だがたぶん、こいつの中身は男、だ。


「貴様、いったい何の用だ」

 ダイブスが前に出て警戒態勢を崩さない。いったいこのチャイナ女の何を恐れているのか。

 ロレックスは苦笑しながらダイブスの肩を叩いて、護衛役の剣士の緊張を解く。わざと二人のあいだに割って入り、笑顔でたずねた。

「死織さんね、クレリックなんだ。だが、あいにく俺は今は、回復役は募集してないんだが」そして丁寧に頭を下げる。「はじめまして、俺がロレックス。なにか用かい?」


「ロレックスさん。あんた昨日、ヒチコックていうガンナーと賭けポーカーをしたな。で、彼女から100万Gを巻き上げて借金させ、彼女を連れ去った。ぱっと見、ロリコンには見えないんだが、なにが目的だい?」

「目的もなにも」ロレックスは軽く吹きだす。「ただのゲームさ。結果として俺が勝っただけ。なにか目的があってやった勝負じゃない」


「ふむ」死織という女は、唇を色っぽく突き出してうなずく。「じゃあ、ものは相談だ。相手は中学生だし、その100万Gの借金はなかったことにして、ヒチコックを開放してくれないかな?」


「あー」ロレックスは天井を見上げて思考を巡らすジェスチャーをする。考えるまでもなく答えは決まっているのだが。「でも、100万Gといったら、かなりの大金だ。それに彼女なら、俺の作ったクエストをこなすために、もうすでに出発してもらってるんだ。なあに、簡単なクエストさ。彼女には頼りになる仲間もつけてあるし、失敗はしないだろう」


「ほお。なら、安心だ」死織は嫣然と微笑む。「参考までに教えてくれ。どんなクエストだ?」


「賞金首討伐」


「なに?」死織は目を細める。「中学生に、プレイヤー・キルをやらせるつもりか?」


「人殺しさせるわけじゃないんだぜ。ただの悪者退治だよ」ロレックスは鼻で笑う。「あんたも知っているだろう? 首に賞金をかけられるのは、プレイヤー・キルをしたことあるプレイヤーだけだ。つまり、あんたが言うところの、人殺しだけさ。人殺しをやっつけるのは、別に悪いことじゃないだろ? それどころか、正義の味方の使命だ。俺はそう思っている」


「俺たちは地球を守るために、ダーク・レギオンと戦っている。味方であるプレイヤー同士で潰し合っても、意味がないぜ」

 憮然と答える死織に、ロレックスは思わず笑い声をあげてしまった。

「そうだな。たしかにそうだな。だったら、なおさら味方を殺すプレイヤー・キラーどもは、早急に始末せねばならん。そういう崇高な使命を帯びて、ヒチコックくんには旅立ってもらったのだよ」


「コノヤロウ」

 死織が口の中でつぶやいた。


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