第69話 鼻血のエフェクト
だが、まずいな。死織は気づかれないよう、そっと唇を噛んだ。
ヒチコックは健在だ。だが、あの屋上を走るファイヤー・ボール。動き回る白いドレスの魔法少女。ちょっと距離があるが、それがカエデであることは明白であった。前に会ったときから多少レベルアップしているであろうカエデが放つのは、かなり高威力の攻撃魔法だ。そこへもってきて、もと野球少女の正確なコントロール。手ごわいぞ。
やはりホテルのロビーでちらりと見えた影はカエデであり、そのときすでに彼女はヴァンパイアの手に堕ちていて、いまや敵の忠実かつ強力な手駒であるようだった。
対して、ヒチコックは、エレベーター機械室の屋上から拳銃で応射しているのだが、銃はヴァンパイアに通用しない。ナース服を着たイガラシと2人、ぎゃーぎゃー声をあげながら、カエデのファイヤーボールから逃げ回っている。
いまも、カエデの火球が給水タンクを撃ち抜き、強烈な水蒸気爆発が起きて、2人がすっ転んだところだ。
──まずいなぁ。今回は、もう駄目かなぁ。
隣のビルまでの直線距離は近い。10メートルもないだろう。だか、死織はここで磔にされているし、たとえ『拘束紐』の
逆に、ヒチコックとイガラシがカエデを倒したとしても、ホテルの屋上から一度下まで降りてこの教会の最上階へ来る必要がある。それは、かなり難しい。ノスフェラのいう、「古都ラムザはすでに制圧された」は、あながち大げさな表現ではないはず。どちらかというと、控えめな表現であると思えた。
が、そんな死織の悲観的な状況判断なんぞ物ともせず、ヒチコックはエレベーター機械室の上で仁王立ちすると、拳銃を乱射した。その銃弾がカエデの身体に着弾したようだが、長身の魔法少女はものともせずに、手にしたファイヤーボールを投げ返す。
ぎゃーと声を上げて逃げ出したヒチコックが屋上で伏せる。
カエデのファイヤー・ボールが、今度は避雷針にあたって、長大な鉄の竿が根元で折れて傾ぐ。ヒチコックとイガラシが「きゃー」とか悲鳴をあげて、その避雷針に飛びついた。
──なにやってんだよ、お前たち。避雷針なんて放っておけよ……。
呆れた死織の視線のさきで、避雷針に飛びついて、倒れかけたそれをなんとか立たせたヒチコックとカエデは、「わー」とか叫びながら、それを2人で抱え、こちらの方向へ傾け、「ぎゃー」とか大声をあげて、放り投げた。
死織は、唖然とし、口をあんぐりとあけた。
ぴゅーと弧を描いて飛んできた避雷針が、こちらの建物へ傾き、ごーん!と音をたてて倒れてきた。
この教会と隣のホテルの間の距離は10メートルもない。そこに20メートルちかい避雷針が立てかけられ、1本の丸太橋、かなり細いが、まごうことなき丸太橋となって、文字通りふたつの建物の架け橋となった。新たな通路、ただいま完成!である。
死織は思わず「ぷっ」と噴き出した。
すでにエレベーター機械室の上から飛び降りたヒチコックはこちらに向かって駆け出しており、その手には革ベルト。あれはいつも、あいつが寝るときに銃のホルスターを通しているベルトだ。そのベルトを手に屋上の縁からジャンプしたヒチコックは、ベルトを避雷針にかけ、フィールド・アスレチックのターザン・ロープの要領でこちらへ「だぁー!」と滑って渡ってくる。そのあとを、猫を召喚し、ナース服を着た化け猫みたいになったイガラシが追う。足の短い猫──マンチカンか──を召喚したイガラシは、そのまま短い4つ足で器用にとことこ避雷針の上を渡ってくる。
死織が目線を動かすと、屋上の上でカエデが唖然としており、さらに視界を変えると、こちらではノスフェラもモルガンも、あんぐり口をあけて固まっている。
死織は笑い転げたいのを我慢して、肩を震わせた。
イガラシがさきにこちらに到達し、「死織さーん!」と声をあげなから走ってくる。
避雷針にぶら下がってこっちにきたヒチコックは一度視界から消えたが、すぐに教会屋上のへりを掴んでよじ登ってくる。その鼻の下に赤い鼻血がひとすじ。
──あいつ、顔面ぶつけやがった!
こんどは我慢できずに笑いだしてしまった。
『ハゲゼロ』では、プレイヤーが顔面を強打した場合、3分間表示される恥ずかし系エフェクトがあり、だいたい『鼻血』か目の周囲の『青たん』がでるのだ。レアで『頭の上で星が回る』というものもある。
ありがちなエフェクトの『鼻血』を流したヒチコックは、大真面目な顔でこちらの屋上に立つと、ホルスターから銃を抜きながら、もう一方の手でポーチの予備弾倉を掴んでいた。
背後をふりかえり、構える銃から弾倉が落ち、左手の予備弾倉が装填される。
ホテルの屋上で、はっとなったカエデが、手にした火球を胸前で構えて、セットポジション。
ガンナーVSピッチャー。
カエデが振りかぶり、ヒチコックが照準をつける。
熟練ピッチャーの投球ホームと、初心者ガンナーのトリガーを絞る動きが交錯した。
カエデが投げる!
ヒチコックの銃が爆ぜる!
火球がカエデの手を離れるまえに、ヒチコックの銃弾が相手の肩を撃ち抜いた。
カエデはバランスを崩し、投げた火球はあさっての方角へ飛んで行き、そのまま魔法少女はきりりと回転して倒れた。
「シルバーチップですわね……」
低い声でモルガンがつぶやく。ヴァンパイアの女王は、ヒチコックが特殊弾を使用したことを見抜いたらしい。
「死織さん、無事ですかっ!」
駆け寄って来たイガラシが、モルガンやノスフェラたちと対峙し、毛を逆立てて「ふー」と唸る。
「いま助けますから」
カエデを倒して駆け寄るヒチコックは、死織の腕に向けて銃の狙いをつけた。片目を閉じてよく狙っているつもりらしいが……。
「わっ、バカ、よせ!」
死織は悲鳴をあげる。ヒチコックが銃で死織を十字架に磔にした『拘束紐』を撃つ気でいることに気づいたのだ。
シルバーチップ。通称「銀の弾丸」。アンデッドに多大なダメージを与え、アンデッド化したプレイヤーを浄化する力がある。ただし、プレイヤーに当たると、通常弾と同様にダメージがある。
「当たる! 俺に当たる!」
「平気です。よく狙いますから」
「やめろ、バカ。なんでも銃で解決しようとするなっ!」
「ねえ、ちょっと、あんた」
死織に銃を向けるヒチコックに、小学生みたいなヴァンパイア・ノスフェラが声を掛ける。
「あんたが、ヒチコック?」
ヒチコックは振り返り、ノスフェラに銃を向けるが、ゴスロリ少女は臆せず前に出て、ヒチコックの手前4メートルで止まった。
死織はそっと瞠目する。
正確に4メートル。あれがおそらくノスフェラが、ヒチコックの銃弾を躱せる限界の距離だろう。つまり、4メートル以内に捉えられないと、ヒチコックに勝機はない。
ぴったり4メートルの距離をおいて、いま小学生と中学生が対峙した。
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