第70話 対ヴァンパイア戦略


「ノスフェラ」

 幼い妹を呼ぶモルガンの声は、甘い。

「そのヒチコックさんは、死織さんのいまの相棒さんらしいわよ。ねえ、陽炎かげろうさん? 死織さんは、あなたがいなくなるや、さっそく新しい相棒さんを作っちゃって、あなたのことなんて、すっかり忘れちゃったみたい。死織さんたら、この可愛らしいヒチコックちゃんと、なかよくコンビを組んで冒険を楽しんで来たみたいよ」


 モルガンはしゃがみこむと、足元で四つん這いになっていた陽炎の首輪を外した。縛めを解かれた陽炎が、顔をあげてゆっくりと前に出る。その赤い眼が、ヒチコックのことを、憎悪をこめて睨んでいる。


「ねえ、ノスフェラ、陽炎さん」

 モルガンが赤い唇を割って、甘い囁きを零す。

「死織さんの目の前で、ヒチコックちゃんの首を落としてみせてあげたら、ちょっと愉快なリアクションをいただけると思わない? ポロっと落としちゃったら、死織さんが悔しがって、あたしたちはスッキリして、溜飲がさがっちゃうかもしれなくてよ」


 ヒチコックの肩がびくりと震える。モルガンたちヴァンパイアの悪意にさらされて、中学生がかすかに後ずさる。その小さく震えるヒチコックを庇うように、背は小さいが年齢とバストサイズが上回るイガラシが前に進み出た。


「陽炎さん、あたしのこと、分かりますか?」

 イガラシは背中にヒチコックを隠してノスフェラと対峙し、近づいてくる陽炎を牽制した。

「前のログイン時には、別の名前で死織さんの弟子を標榜していました。あのあと死織さんは命を落としていなくなりましたが、このモルガンの怒りは収まらず、陽炎さんは吸血鬼にされ、あたしたちは殺されました。ゲームオーバーになりましたが、あたしは運よく記憶ロストも精神圧壊もせず、ここにもどってきました。モルガンとノスフエラを倒し、あなたを救い出すために」


「マリエか」陽炎は目を細める。「あのときの、半人前のクレリック。それが今度は、召喚士で参戦というわけか。そのジョブで、モルガンさまやノスフェラさまを倒すのか? そして拙者を救うだと? 笑わせるな」


「あっ、あの人、カゲスケさんか」

 いまやっと気づいたヒチコックが、イガラシの陰から陽炎を指さすが、「カゲロウだっ!」と陽炎に叱責されて、あわてて引っ込む。


「ねえねえ、陽炎」

 ゾンビのテディーベアに頬ずりしながら、ノスフェラが甘えた声をあげる。

「この召喚士、殺してもまたログインして来そうだから、ここで血ぃ吸っちゃって、あたしたちの奴隷にしちゃいなよ。そしてログアウトさせないで、これからずうっと晒し者にして、永遠に辱めてあげようよ。おっぱい大きそうだし、きっと楽しいよ」


「承知いたしました」

 一礼した陽炎が前に進み出る。

「マリエ、犬だの猫だの召喚しても、くノ一である拙者には通用せんぞ」


「あなたに勝つために、あたしはここにきた」

 イガラシはヒチコックへ、ここに居ろと手で制すと、決意をこめて前に出た。陽炎と対峙し、そして、やおら空を見上げた。

「今夜は月が綺麗だね」


「愛しているとでも、いいたいのか?」

「まさか」

 苦笑したイガラシは天を指さし、叫ぶ。

「パァァァァーーーーグっ!」


 彼女の頭上に魔法円が出現し、淡い光が降り注ぐ。イガラシの身体が、毛皮に包まれ、頭の上に耳が垂れた。そして、夜を明るく照らす青い月光の下、彼女の身体がゆっくりとした変化をはじめた。


「『ハルマゲドン・ゼロ』のシステムでは、呪い系の状態異常は重複してかかることがない。これから見せるのが、あたしの、対ヴァンパイア戦略! おまえたちを狩るためのっ、奥の手さ!」


 イガラシは、月夜をあおぎ、長く、そして大きく、遠吠えした。


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