第61話 死織の弟子


 えっ!と思った時には、ヒチコックの身体は、回転しながら空に投げ出されていた。夜空にかかる満月が一瞬、目の前をよぎる。

 壁に穴が開いていて、そこから噴出した浴槽のお湯とともに、トイレの汚物よろしく建物の外へ排出されてしまったのだ。

 全身からスッと力の抜ける落下感がきて、地上18階から空中に放り出されたヒチコックとイガラシは、青い虹を放つ水しぶきとともに、成す術なく落ちてゆく。


「ヒチコックちゃん! つかまって!」

 イガラシが叫ぶのが、びゅうびゅう鳴る風の音にまじって耳に届く。

「マンチカァァァァァァァーーーーーーーン!」

 びしょ濡れのミニスカ・ナースが召喚魔法を発動した。夜空に魔法円が浮かび、きらきらした光を放ってイガラシの身体を包み込み、つぎの瞬間!


 イガラシの身体がグレーの毛皮に覆われ、頭の上で三角の耳が立ち上がり、吊り上がった猫目がきらりと見開かれる。大きな頭、短い手足、もふもふした毛皮。

 イガラシは、マンチカン、すなわち猫界のダックスフンドを召喚したのだ。


「きゃっ……、きゃっ……、きゃいーーーーーーーーーっ!」


 空中を落下中だというのに、ヒチコックはイガラシに抱き着いた。彼女に抱き着かれたままイガラシは、足に履いていたヒールを跳ね飛ばすと、手足の指を全開にして、目の前で上に流れている建物の壁面へ爪を立てた。


「ニャアァァァァァァァァーーーーーン!」


 激しく手足を動かすが、いかんせん、短くて届かない。


 ヒチコックはその姿が可愛くて思わずにんまりしてしまうのだが、そうもしてられない。

 ホルスターから抜き放ったカスピアン・カスタムを建物とは反対側へ向けて、連続でトリガーを引く。


 ガンッ! ガンッ!


 銃声が轟き、45ACP弾の強烈な反動リコイルが2人を押して、建物の壁へと押しつけた。イガラシの肉球が、ウィスティン・ホテルの壁面を捉え、「ふんにゅぅぅぅぅぅぅっ!」と落下にブレーキをかける。ナース服のマンチカンがホテルの壁面に、肉球の力で吸着し、落下速度を殺して2人の身体を静止させた。


「すごい、イガラシさん! そして、可愛い!」


「……いいから……、ヒチコッ……クちゃん、窓……、窓っ!」


「あ、そうか」

 慌ててそばの窓ガラスを撃つヒチコック。2人は、ホウホウのテイで撃ち破った窓から、ホテルの室内に逃れ、九死に一生を得る。


「ふー、死ぬかと思ったー」

 客室の床に仰向けに転がって、ヒチコックは一息つく。そして思わず笑ってしまう。


「ほんとに、死ぬかと思ったわ」

 憔悴した様子で床にへたり込むイガラシ。毛皮に包まれた身体を伏せの姿勢でカーペットの上に横たえ、『猫伸び』する。


 ヒチコックが手を伸ばし、イガラシの頭を撫でた。

「ゴロゴロゴロ」と喉を鳴らすイガラシ。

「ここ、どこですかね?」ふと気づいたように立ち上がるヒチコック。ぶち割られた窓から外をのぞく。景色が低い。10階ちかく落ちたのではないだろうか?



「ごめんね、ヒチコックちゃん」

 イガラシが唐突に謝ってきた。

「巻き込んじゃったね。あいつらの狙いは、死織さんなんだ。そして、実はあたしはリターナーで、前にログインしていたときには、死織さんの弟子だったんだよ。あいつらヴァンパイアはそのときに死織さんから受けた恨みをはらすため、ずっと死織さんを狙っていたんだ。ずっとずっと、死織さんがこのダーク・アースへ戻ってくるのを待ち構えていたんだよ……」


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