第62話 イガラシと死織の過去


「死織さんの弟子だったんですか?」ヒチコックは驚いて振り返る。「あのおっさんの?」

 ちょっと笑ってしまった。あの人が『師匠』だったなんて。


「あたしは、前回ログインしたときはクレリックで……、それで知り合った死織さんにいろいろ教えてもらってたんだ。まだほんの初心者だったから」


 ヒチコックは窓から離れると文机に歩み寄り、オイル・ランプに灯をつける。つまみを回して芯をだすと、ぽうっと勝手に火がともり、あたたかい灯が室内を照らし出した。



「もう何年もまえになるけど、やっぱりここみたいに、ヴァンパイアに襲われて制圧されちゃった街があって、それをそのとき死織さんの指揮した部隊が奪還したの。大勢の味方を集めて、四方八方から同時に街に突入させて、そりゃーもう見事な作戦指揮で。そのときの電撃作戦で死織さんが仕留めたヴァンパイアは有名な三姉妹の次女で、名前はカーミラって女。一緒にいた妹ヴァンパイアのノスフェラは逃したけど、死織さんの神聖魔法で片眼を失っているはず。そのときは長女はいなかったんだけど、その作戦遂行で、ヴァンパイアの恨みをかった死織さんは、三姉妹の長女モルガンに命を狙われることになったの。でも、死織さんは別の事件で命を落とし、ゲームオーバー。それでも長女モルガンの怒りは収まらず、死織さんの当時の相棒ともいうべきカゲロウさんを吸血して奴隷とし、ほかのプレイヤーの何人もが殺された。あたしも、その一人」


 ゆっくりと身を起こし、体育座りして膝を抱えるイガラシ。その目がまぶしげにランプの火を見つめている。


「低レベルのクレリックが飛竜を倒したって噂を聞いた時、すぐに死織さんだと思った」イガラシは眩し気に目を細める。「だってクレリックだよ。普通ドラゴンを倒したりしないじゃん。絶対死織さんだと思って、急いでドスレの村に駆け付けて、死織さんを見つけた。でも……死織さんは記憶ロストしていて、あたしのこともカゲロウさんのことも覚えていなかった」


 イガラシは胸が萎むほど大きなため息をついた。

「一応事情は説明し、モルガンが死織さんの命を狙っていることや、ノスフェラが古都ラムザで動いていることも伝えたんだ。仲間をまた集めて、モルガンを倒して、そしてカゲロウさんを奪還しようって話は確かにしたけど、それはまだまだ先の計画で……。でも、死織さんは甘く見てたのかな? ここに来ちゃうし、あたしも焦って追いかけたけど、まさかノスフェラの侵攻がこんなに速いなんて思ってなくて……」


 ヒチコックは無言でイガラシを見下ろす。なんと言っていいのか、全然わからなかったのだ。


 イガラシは膝に顔を埋めた。

「この街は片眼のヴァンパイア、ノスフェラに制圧されている。敵の傀儡に堕したカゲロウさんは襲ってくるし、死織さんは捕まっちゃうし、あたしもう、どうしていいのか、全然分かんないよ」


「あのー」ヒチコックは口をひらいた。「あたしよくわかんないんですけどぉ、そのノストラダムス──」

「ノスフェラ」

「──ノスフェラは、死織さんを捕まえたら、すぐ殺しちゃうと思いますか?」


 イガラシはふと真顔になって考えた。


「いや」首を横に振る。「そんな勿体ないことしないと思う。あいつらのことだから、死織さんを苦しめて苦しめて苦しめて、屈辱のどん底に落としてから殺すと思う。きっとこの街全部のプレイヤーとNPCをヴァンパイアにして、その光景を死織さんに見せて勝ち誇ってから、たっぷり楽しんでから……」


「じゃあ、やっぱあれ、死織さんですかね?」

 ヒチコックは窓の外、上の方を指さした。


「え?」

 腰を上げたイガラシはヒチコックの隣に駆け寄り、ホテルに隣接する教会の尖塔を見上げる。


 教会の尖塔には、十字架があり、いまその十字架に、遠目でよく分からないが全裸の女が磔にされているようだった。全裸、いやもしかしたらトップレスかもれしない。が……。


 イガラシは息を呑んだ。

「死織さん!」

 確信はもてないが、そのシルエットは死織に酷似している。トップレスというのも、符合する。

「そんな……」


「しょーがないなー」

 ヒチコックは呆れた声をあげて、頭をかいた。

「しょーがないから、おっさんのこと、助けにいきますか」


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