第45話 ジェームズ、ボンド、マティーニ


 翌日から始まった『勇者祭り』は、大盛況だった。

 近隣の村から集まって来たNPCたちが露店を開き、旅芸人の一座がやってきたり、キャラバン隊が立ち寄ったり。

 また、NPCばかりでなく、プレイヤーたちも、祭りにあわせてこのドスレの村をおとずれたため、宿が足りない状態だ。聞いた話だと、野宿するプレイヤーも少なからずいるということだった。


 飛竜退治に協力してくれたエリ夫は、祭りを待たずに旅立った。


「ここではない場所で絵を描きます」

 と死織たちには告げた。そして、

「戦うかどうかは、まだ分かりません」とも。


「きっとまた、戦えますよ」とヒチコックは拳を握りしめた。

「まあ、戦うばかりが、このゲームでもないぜ」と死織は肩をすくめた。



 祭りが始まり、ヒチコックは綿菓子をお腹いっぱい食べるという野望を抱いて露店巡りに行ってしまった。所持金が50万Gもあるのだから可能だとは思うが、あんなもんいったいいくつ食べれば満腹になるのやら。

 ちなみにクエスト報酬の50万Gであるが、ヒチコックはただの1Gも死織にはくれなかった。


「だって、違約金払うのはおまえだっ!っていって、死織さん、あたしのこと助けてくれる気ゼロだったじゃないですか。違約金払わないくせして、報酬だけもらおうなんて、大人としてちょっとセコくないですか?」

 と言われてぐうの音もでなかった。


 綿菓子喰い歩きに付き合う気のない死織は、仕方なく、でっかい穴が開いた酒場『勇者の背中』を訪れた。


 酒場の内部は半壊状態。奥の酒棚は消失し、カウンターも、中央部が綺麗さっぱりなくなっている。

 薄暗い店内に入ると、隅の方にジェームズが立っていた。

「よう。悪かったな。店をめちゃくちゃにしちまって」

 死織は軽く手で合図して、無事だったカウンターの端に腰を下ろした。



「いえ。とんでもない」ジェームズは微笑む。「死織様の御蔭で、村が救われました。われわれの命の恩人ですよ、あなたは」

「そう言ってくれると、ありがたい」死織は壁の鏡を見る。「頑丈な鏡だな。ギャラルガーの生体レーザーを喰らってもビクともしなかった」

「はい。ここはドスレの村。すなわち『ドラゴンスレイヤーの村』です。凶悪なドラゴンを狩るための仕掛けが多数隠されています。この鏡も、そのうちの一つです。飛竜のビームくらいでは、傷ひとつつきませんよ。なにか飲まれますか?」


「お、作れるの?」

「酒は無事ですから」

 言いながら、ジェームズはカウンターの下から銀色のシェーカーを取り出す。


「んじゃあ、ジェームズにちなんで、ジェームズ・ボンドのマティーニをお願いしようかな。映画の『007ダブルオーセブンシリーズ』のジェームズ・ボンドは、なにか特別なレシピのマティーニをいつも注文してるだろ? あれを作ってくれよ」


「死織様は、お酒に詳しいですね」

「んなことはない。つーか、記憶を一部ロストしているから、自分でもよく覚えてないんだけどね」

「では、ボンド・マティーニを」

 ジェームズは奥から酒瓶を持ってきて、シェーカーを振り出した。

 流麗な手つきでシェイクしたカクテルを、三角形の細足グラスに慎重に注ぐ。できあがったカクテルは、ぴったりグラスのふちになみなみと注がれ、一滴も零れなかった。


 白魚のような指でグラスをつまみ上げた死織は、赤い唇で、激辛の甘露をひと口、ちゅっとすする。

 喉を焼き、嚥下すると食道を熱い塊が下りてゆく。

「うん」

 思わずうなずいた。

 殺しのライセンスを持つ男が飲む酒は、火のように辛かった。



 そこへ、ヒールを鳴らして一人の女が店内に入ってくる。死織のそばまできて彼女へ声を掛けた。

「お隣、よろしいかしら?」

「いいけど、今日は営業してないぜ」

「飲みに来たんじゃないわ」

 女は苦笑する。

 死織はふと目を上げ、女の顔を確認した。知らない顔だった。


 が、女は馴れ馴れしく嫣然と微笑み、唇をひらく。

「なになに? 死織さん。あたしのこと、忘れちゃったの?」

「え?」

 死織は虚を突かれて、茫然と女を見上げた。

「おまえ、いったい……」

 女は答えず、死織の隣に腰をおろす。

「とうとうあいつを補足したわ。今度こそ絶対に取り戻すわよ」

「……なにをだ?」

「もうっ、やだぁ、死織さん。本当に記憶ロスってるのね」

「すまない」

「いいわよ。気にしない。ショックだけど。でも、死織さん、前回死亡でゲームオーバーしてるからね。覚悟はしてた……」

 女はため息をつく。が、すぐに気を取り直して顔をあげた。

「ねえ、マスター。あたしにも何か一杯ちょうだいな」

「かしこまりました。なんにいたしましょう?」

「そうね、いまの気分は……、『ヴァンパイア』、かな?」

 女は意味ありげに笑った。自分のジョークが余程面白かったようだ。


「かしこまりました」

 ジェームズは静かにシェーカーを取り出した。


、ですね」





                         <第2章 完>

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