殺した女

歩人

殺した女

「なあ、俺の間違いじゃなければ俺はあんたを一度殺した記憶があるんだが」


その女は表情を変えず、何を考えているかわからない笑みで、こちらを見つめる。


「じゃあ、私は何?幽霊かしら」


「さあな。だが俺は間違いなく死んでることを確かめた。仕事だったからな。あんたは俺に猛毒の注射をされたんだ。即効性だった。俺ははたから見れば介抱しているように演技して死んでるのを確認した。だから生きてるとしたら...」


「生きてるとしたら?双子?クローン?それとも時間を超えてきたとか。どれだと思う?」


「わからん。俺は殺し屋だ。殺すことに関しちゃ自信はある。だがそれ以外はからっきしでな。もしお前が、本人かはとにかくとして、あの女の復讐のためにやって来たんだとしたら無駄だぞ。依頼者は組織のだれがだがそれが誰かは知らない。動機も。それがルールだったからな。俺を殺したいなら殺せばいい。だがそれじゃあんたを殺したかった本当の人間は逃げおおせるぞ。それでもいいのか?」


女は頷いた。


「ええ。いいわ。あなたが1番分かってるでしょ」


「どういう意味だ?あんたの狙いは俺だっていうのか」


「ええ」


「そうか。まあ、かれこれ30年近く殺し屋やってんだ。そういう奴もいるだろうな。だがよ、殺し屋の俺がそうやすやすと殺されると思うな。俺は、ほら、常に銃とナイフを身につけてる。これは風呂場にさえ持ち込むんだ。お前みたいな女が俺を殺せると思うか」


「ええ。簡単よ。もうすぐあなたから死を望むようになるわ」


「ほう、そうかい。洗脳とかそういうタイプの殺しか。生憎そっちは詳しくないな。俺は銃の才能しかなかったから。だからこんなに実績を上げてきたが組織の幹部なんかなれやしない。代わりに腕が落ちたら余生は新しい名前で新しい人生を送っていいって約束を取り付けてあんだ。だから死ぬわけにはいかないんだよ」


すると女はこちらに手を向けた。


「ねえ、私を殺した時のことをもっと詳しく教えてよ」


「...さっき言った通り俺はターゲットのことを知らない。だから普通は思い出そうとも思わないし、実際問題ろくに思い出せないんだよ。だがあんたのことは覚えてる。女を殺したのは後にも先にもあんただけだからな。幹部の醜聞隠しはもっと下っ端、殺し屋じゃなくて鉄砲玉の仕事だったからな。俺の相手は大抵敵対組織の幹部とかうちの組織を裏切った取引相手とかで、安い仕事はしなかったからな。

あんたを殺したのは...何年前だっけか。結構前だったと思う。あんたにはボディーガードも付いてなかったからいつもと違って俺1人での任務だった。あんたの通る場所と時間は知っていたから...何か適当な文句を言って近づいた。そして人通りの少ない曲がり角で毒針を刺した」


「Y字路だったわね」


「そうだったか?そこまでは覚えてない。そこを曲がったらぐったりした女を介抱する男になりきって近くのホテルまで向かった。組織の息がかかった所だ。俺は仕事の前後はそこに泊まってた。そこであんたを死体処理の担当に渡した。それだけだ。簡単だろ、殺し屋って。小説のネタにもならない」


女は首をかしげる。


「そうかしら。私気づいたわ」


「何に?」


「あなたは銃の腕がピカイチだったんでしょ。あなたが殺してきた人はいつもライフル銃で遠くからやるか、近くでやるときも拳銃だったじゃない。どうして私の時は毒だったの?」


冷や汗が流れてきた。何かを忘れている?意図的に忘れようとしてた。


「でも私はその答えも知ってるわ」


「待った。今日は...この辺にしないか。もう日も暮れてきた。時間は...たくさんあるだろ」


「ええ。時間はいくらでもあるでしょうね。でも引き伸ばしても苦しむのはあなたよ」


女は続けた。



「あなたが毒を使ったのは銃と違って体にあんまり傷が残らないから」



目眩だ。ひどい目眩がする。


「どうして殺し屋の俺がそんなことを気にしなきゃいけない」


「まだ思い出さないの?全部知ってるくせに」


「彼女はそんな言葉遣いはしなかった!!」


俺はそう言って机を叩いた。それでも彼女は驚かなかった。ただ冷ややかな目で見ていた。


「思い出してきたわね。少しずつでいいわ」


「俺は依頼されたから...」


「ええ。でもその依頼者も何のために私を殺すかも、どうしてそれがあなただったかも全部あなたは知ってるはずよ」


手を握ったり開いたりしてみるが手の震えが止まらない。


「さ、寒くなってきたな。窓を閉めていいか?」


「私は寒くなんかないわ。幽霊だからかもしれないけど」


俺は立ち上がり窓へ向かう。窓ガラスに映った俺は酷くやつれて見えた。

女が俺の背に話しかける。


「あなたは仕事で失敗したことはなかったの?」


「簡単なミスは何度かあった。殺せるタイミングを逃すとか、単純に弾を外すとか。だが失敗は許されない仕事だ。最終的に殺し損ねることはなかった。...そうだ、あんたを殺す前あたりだ。そういう失敗をよくしたのは。スランプだった」


「だから私を殺さなきゃならなかった」


「...」


俺は再び椅子についた。まだ座りなれない椅子だ。


「依頼したのは俺の直属の上司だった」


「ええ。じゃあ動機は?どうしてあなたの上司は私を殺して欲しかったの?」


「それは...俺が撃てなくなったからだ。あんたのせいで。スコープから人の顔を覗くとあんたのことがよぎった。いつもそのスコープで見ていたから」


「私はあのホテルの向かいのレストランで働いていたわ」


「ああ。仕事が終わるといつもその店で飲んだ。いつしか...」


「ええ。あなたは私と親しくなるにつれて殺すことにためらいが生じるようになった」


「上司はすぐにその理由を見つけて、殺せと命じた。それができなければ俺を殺すと。その引き換えに引退したら余生は自由だと言った。適当な女を用意するとも」


「だから...」


「だけど!だけど、俺は最後まで迷った。あの夜、あんたに会って、あの曲がり角までずっと殺すかあんたを連れて逃げるか迷っていた」


「そこがY字路だったのよ。あなたは殺すほうの道を選んだ」


「手遅れだったんだ。店の窓の反射から俺が尾行をつけられているのが見えた。逃げることなんてできなかった」


思い出したくもない光景だ。俺の迷いは恐怖によって塗りつぶされた。


「あなたはあれ以来優秀な殺し屋に戻ったわ。それ以降失敗することもなかった」


「自分は最良の選択をしたと信じなければやっていけなかった。俺は殺し屋でそれ以外のものは必要ないと自分に言い聞かせてきた」


「そうね。あなたは必死に私のことを忘れようとした。いいえ、本当に忘れたのよ。ついには感情を捨てて、冷酷な殺し屋になった」


「なのにどうして」


彼女が俺の考えていたことを先に口にする。


「どうして今になって現れたと思う?あなたは混乱しているでしょうけど、今あなたがいるここはどこ?」


「ここは...あのホテルの...」


「いいえ、ここはあなたの終の住処。あなたはもう殺し屋を引退したのよ」


そうだ。俺を一年ほど前に引退してこの海の見える小さな家をもらったんだ。


「この一年、あなたは組織の用意したいろんな女性を連れ込んだわ。でもダメだった」


目眩と頭痛で目を開けているのも辛くなってきた。俺は...俺は...。


「私を見て!!」


彼女が声を張り上げる。彼女と目が合う。その両目からは一筋の涙がこぼれていた。


「あなたが、唯一愛し、唯一殺した女よ。私だけを見て」


俺の体は金縛りにあったように動かなくなった。激し頭痛のなか俺はなんとか彼女の顔を見つめている。


「あなたは他の女じゃ満足できなかった。だから私の亡霊を見ているの。...私はもう20年も前に死んだのよ、あなたの手で」


「俺は...俺は、どうしたら、いいんだ」


「私の元へ来て。私は待ってるわ」


彼女はそう言い残すと消えていった。暗くなった部屋で俺は銃口をこめかみに向けた。

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殺した女 歩人 @hohito

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