終章:続いた道の先の語らい/自ら手を入れたLast-Score

The Finale その歩みは、善き結末へ



 月日は、それぞれの思い出を残しながら、少しずつ流れた。


 色づいた葉が山々を彩る秋から、地面に落ちて自然の絨毯となり、景色に寂しさが残る冬へ。


 そこから、動物たちの姿がまばらになり、銀世界の現れを越して、命の息吹が感じられる春へ。




 まだ寒さが残りつつも、春の気配が漂う3月の初め。サウゼル魔導士育成学校の最上級生たちは、学び舎で級友と共に過ごす最後の日を迎えていた。


 この日を境に、サウゼル魔導士育成学校最上級生たちは、それぞれの道へと進んでいく。中で過ごした年月の中身に限らず、最高峰の教育を受けたことを示す卒業証を受け取り、相応の期待と共に、長い人生の旅路へと足を踏み入れる。


 その区切りとなる卒業の式典は、要人を迎えているためか若干の警戒態勢で行われ、そのお陰もあってか生徒が何かしらの行動を起こすこともなく、短い時間で厳かに執り行われた。



 そして、その式典が終わった後。生徒たちは、思い思いに最後の時を過ごしていた。


 エースもまた、その中の1人だった。いつぞやと同じく、しかし心持ちは全然異なる状態で、高校棟の屋上にいた。


――こうしてのんびり眺めるのも、これで最後か



 屋上だけでも、色々な思い出があった。


 フローラと2人で昼食を取ったこと。1人落ち込み空を見上げたこと。励まされたこと。もっと時間を戻せば、フローラの関係が一気に縮まった事件では、屋上で事が起こっていた。


 もう全てが過去になってしまったものの、1つ1つが、輝く思い出だった。



 エースは、空を眺めた後、指笛を吹いた。


 すると、ヒールとメールが空から舞い降りてきた。


「ヒール、メール、また後でな」


「くるぅ!」


「くるるぅ!」


「おっと、今日は物置部屋に行っても、近づいちゃダメだぞ」


 そう言い残すと、エースは屋上の扉を開けて、校内へと入っていった。


 校内では、いたるところに生徒の集まりが出来ている。同じ学年で集まっている者もいれば、授業の類が一切なくとも先輩との別れを惜しんで泣いている後輩生徒もいる。


 悲しいことに、後輩含め、エースの元に来る生徒はあまりいない。人付き合いが苦手なエースにもよくしてくれる人はそこそこにいるが、彼らは大抵、今は他の人と話している。


 教室の方に戻ってみれば、ミストが数人の女子生徒と会話をしていた。今声をかけるのは流石に憚られるため、エースは手前の入口から教室に入って、自席の荷物をまとめ始めた。


 セレシアもフローラも、そこにはいない。今頃他の生徒と話しているのだろう。


 もしかすると、誰かに告白されているのだろうか。2人とも美少女なので、その可能性も普通にあり得る。



「なんだ、エース戻ってきてたの」


 声を聞いて右を振り向けば、ミストがそこにいた。


「さっきな。ミストこそ、他の女子生徒と話してたんじゃないのか?」


「ああ、それなら大丈夫。どうやらこれが主目的っぽかったし」


 ミストの手の中には、見慣れぬ包装された箱があった。おそらく贈り物であろうそれに、エースの視線は自然と引き寄せられる。


「それ、何が入ってるんだろうな」


「包丁、って言ってたよ。ちょっと高そう」


「お、いいな。料理人には大事な道具だろ」


 エースが今後教師を目指していくように、ミストもまた、料理人という目標を掲げていた。


 魔導士育成学校の教師の中では若干渋い顔をしていた人もいたそうだが、ミストが『いざという時にお客様を守れれば、ここで学んだことも意味あると思いますけどね』と返したことで納得した、というエピソードは、エースの記憶に新しいところだった。


「そう言えば、エースはこの後、大事なことがあるんだっけ」


「ああ」


 ミストの言葉に、エースが頷く。


 それを聞いたミストは、少し目を伏せた後、また口を開いた。


「僕は何も言わない。相談もしてくれたし、きっとすごく悩んで決めたんだろうから」


「ありがとう。じゃ、行ってくる」


「行ってらっしゃい。僕は先に帰ってるよ」


 言葉を交わした後、エースは1人歩いて、教師棟へ向かった。


 その目的地は、教師棟3階、校長室隣の物置部屋――先ほど屋上でヒールとメールに対して、『来ても寄るな』という類の言葉を発した場所だった。


 いつもなら、そこで気分転換にヒールとメールと戯れて、気が済んだら教室に戻る。


 しかしこの日だけは、大事なことをするために、たった1人で待つつもりだった。


――スプリンコートさん、流石にまだいないよな……?


 静かに過ぎゆく時の中で、エースはかつての恋人を待つべく、少し早足で目的地へと向かったのだった。







* * * * * * *







 物置部屋についた後、どれだけ経ったかは分からない。


 その瞬間は、このまま続いていきそうだと思えた時間の中に、突如現れた。


 陽の煌めきが橙色へと変わっていく頃に、開け放っていたドアを越えて聞こえてくる足音。誰かが近づいていることを示すそれに先ほどから窓の方を向いていたエースが振り向き、その十数秒後に、足音の主は姿を見せた。


「待たせてごめんなさい」


 現れて早々申し訳なさそうな表情で謝罪の言葉を口にする少女――フローラ・スプリンコートに、エースは気にしていないという素振りと言葉を示す。


「全然。なんなら夜まで粘るつもりでいた」


 きっとフローラにはたくさんの人が、自分と同じように声をかけたり、手紙を渡したりしている。


 そんな、最後の日だから出せる勇気を、フローラはきっと無下にはしない。そう思ったからこそ、エースはこの物置部屋で長い時を過ごすつもりでいた。



「こんな時間までかかったってことは、色々あったんだな」


「うん。ここが――あなたが最後」


 ここを最後にした、ということは、おそらく全ての告白を断り、ここに来たのだろう。いくつもの悲しい表情や、納得できない姿を見てきているのであれば、心の負担は相当のものであると推測できる。


「最後が俺でいいの?」


「最初から、そう決めてたから」


 心に生まれる嬉しさの感情。待たされるのも悪くないと思いながら、笑みを返す。


 それと同時に生まれたのは、最後なら、ちょっとくらい引き延ばしたっていいかという、欲の塊。


 いつもなら、エースはそれを簡単に捨てるが、今だけはその欲に素直に従っていた。


「こんな形で2人で話すの、もしかしたら始めてかもしれないな……」


「えっ? 少し前にもあったような……」


「いや、こんな形ってのは、俺が呼んで君が来て、ってこと。2人にされたり、君の方からばかりで、俺の方から2人きりになることがなかったからさ」


 エースの言葉を聞いて、フローラが考える素振りを見せる。


 おそらくは、辿れる限りの範囲で考えているのだろう。


「確かに、今までずっと私の方から呼んでたかも……」


「そうでしか、話せなかったしな」


 少し悲しみを帯びた口調で、エースはそう口にする。


「実は、待ってた時に最後はいつだったかなって思い返したけど……おそらく昔に1回くらいあったとは思うんだけど、それが全然思い出せないんだ。何度も話したはずなのに、きっかけは、だいたい君の方からだった」


「そうなんだ……」


「告白も、君の方から。約束も、ほぼ君の方から。俺が持ってる大事な話でも、俺の方から出て始まるの結構珍しいっぽくってさ、思い出しながら、流石にそんなはずは……! ってなってた」


 エースが少しおかしく話した箇所を聞いて、フローラがふふっ、と笑う。


 その笑みが愛おしく、懐かしく、そして切なく感じられる。




 そんな笑顔を、ずっと見ていたくはあった。


 その誘惑を振り切りつつ、エースは表情を崩さないようにして、口を開いた。


「俺から話し始めといてこんなこと言うのもあれだけどさ、もう日が暮れかけなのにあんまり長話すると遅くなりそうだし、そろそろ本題に入るけど……いい?」


「うん」



 フローラの短い了承の言葉の後に、エースは、何かを言おうとする。


 しかし、すぐに音にならない。一度口はつぐまれ、目線は少し正面から逸れる。


 何かを少し迷うように間が置かれた後で、再び口は開かれる。





「今日は君に、お別れを言いに来たんだ」





「えっ?」




 フローラの目が驚きで見開かれる。その表情の変わり様を、エースは当然のように受け入れて、続きを話した。


「5ヶ月前、校長室でミストとプラントリナさんに2人きりにされた後で君と話した時――あの時の君の表情と言葉が、なんか忘れられなくて、ずっと考えてたんだ」


 5ヶ月前――エースにとっては学校生活で最後となる事件の終わり、何十人もの生徒を倒して、自らの在学を勝ち取ったあの日。目覚めてすぐに校長室で話した時の記憶を思い返しながら、エースは言葉を並べていく。


「もしかしたら、君自身が、記憶を失くす前の自分と比較した時のずれに苦しんでるんじゃないか――そう考えたら、ここで普通に告白して、やり直すことが正しいと思えなくなって、めちゃくちゃ悩んで……それで決めた」


 エースから言葉が発せられる間、フローラは黙ったままだった。気まずそうにも、悲しそうにも見えるその表情が、エースの言葉が真である可能性を示していた。


「それに、少し前に話はしたけど、俺はしばらくしたらサウゼル地方から旅立つ。もしかすると帰ってくるかもしれないけど、それがいつになるかは全く分からない。だからと言って君を連れていくことも出来ないし、当然、待たせることなんて出来ない」


「そうかもしれないけど、だからと言って、そんなに決断を急がなくても……」


「うん。ちょっと急いてるのかもしれない。だけど仮に、このサウゼル地方を離れなかったとしても……俺は今日、ここで終わるつもりでいた」


「どうして……?」


 困惑と悲しみの色が濃くなっていくフローラの表情。おそらく本当に受け入れる気でここに来ていたのだろう。


 そう思うと心苦しくは増していくが、エースは自身の決意と付随する理由を並べていく。


「これから先、君が出会う人々がいて……その中にきっとあるだろう、もっと素敵な人との出会いを、俺のせいで無駄にしちゃいけない」


「で、でも……!」


 続ける言葉を必死に探しているのか、フローラは俯きながらも、悲しみに染まりきることはなかった。


「私は、あなたの大切な人なんじゃなかったの……?」


 記憶はなく、彼女はそれを伝聞で知ったはずなのに、今の彼女はそれを疑うことなく肯定している。


 それは、エースにとって嬉しいことだった。悲しい別れの言葉を並べる最中でも、心が少し暖かくなる。


「ああ。今でも君のことは大切で、大好きで、君を俺の手で幸せにしたかったって、思ってる」


「だったら……!!」


「でも、どこかで君の枷になってしまうのなら、俺は身を引く。その覚悟は、もうずっと前――君との関係が進んだ時には、もうしていた」


 これまでに、幾度も『エースのお陰で幸せな学校生活を送れた』と、フローラ自身だけでなく、姉であるセレシア、そして2人の両親であるテレノ・ネロ夫妻にも言われたことがある。


 それらがお世辞ではないと分かった上で、エースは、身を引く覚悟も同時に持ち合わせていた。それは、自分が枷となってしまうことを避けたいと思っていたが故の、覚悟だった。


「幸せにしたい思いは確かにあるけど、俺といること自体が何かしらの形で君に辛い思いをさせるのなら、俺の願いはただのエゴでしかない。だから、思い出と一緒に置いておくことにしたんだ」


「それでいいの……?」


「いいんだ。君が幸せになってくれるなら、それでいい。そこに俺がいるかどうかは、別に大事なことじゃない」


 エースは、はっきりとそう言った。対するフローラは、顔に宿った表情を純粋な悲しみへと変えていた。


「何度も、君に助けてもらったし、変えてもらった。今こうして俺が幸せだったって思えるのは、君がいてくれたからだった。もう十分すぎるほどに色んなものもらったんだ。流石に、もう自分で歩こうとしないとな」


 そう言って、フローラに笑いかけるエース。当然、フローラの方から笑みが返ってくることはない。


「ごめんな。こんなのに付き合わせて」


 フローラは、何を言ったらいいか分からない、という様子だった。


 エースは、もう何かを求めるつもりは一切なかった。『フローラ・スプリンコートという女性が、幸せな道を歩んでくれること』も、求めるのではなく、ただの願いに留める。


「でも俺、肝心なとこで弱いからさ。誰かの言葉で理由を作らなきゃ、何も出来ないんだ。だから、君の言葉になすりつけて……ごめん」


 悲しさを紛らすように目線を目の前のフローラから逸らし、戻した後に笑いかける。


 自分自身で言い切ってしまったからには、もう後戻りはできない。


 フローラに対する申し訳なさは残るが、自分がここに居続けるとフローラも戻ることが出来ない。そう思って、やりとりの終わりを示すように動きだそうとした――




 その次の瞬間だった。


「うっ……!?」


 突然、フローラが頭を抑える。


 その変化に気づいたエースが、自身の想定より少し遅れて、前に踏み出す。


「フローラ!!」


 場所も関係も、咄嗟に出たのがいつもと違う名前呼びであることも忘れて、駆け寄った後にふらつく彼女を支えようとする。


 しかし、エースの手がフローラに触れるか否かというタイミングで、フローラの意識が体から離れ、横に倒れ込もうとしていた。


 まるでエースを行かせまいとしているように倒れ込もうとするその身体を、エースは無理やり抱き寄せ、フローラを地面や壁への衝突から守っていた。


「なんで……?」


 突然のことに困惑しながら、フローラの顔を見る。彼女の顔は、何事もなかったかのように安らかだった。


 エースはそのままフローラを抱きかかえると、慎重かつ早足で階段を降りていった。


 何があったかは分からない。だがそれでも、やるべきことはしておかなければならない。


 少しのはずの距離は、その思いによって引き延ばされる。


 数分後、たどり着いた教師棟の保健室の扉を、エースは少し乱暴に蹴ってスライドさせた。


「先生!」


 少し大きな声で誰かしらいるであろう保健室の教師に呼びかけると、おそらくそこにいたのであろう眼鏡をかけた教師が、少し慌て気味で寄ってくる。


「どうしたんだい?」


「分からないですけど、突然倒れて……。彼女を寝かせてもらえませんか?」


「分かった」


 教師の誘導に従って、エースはフローラをベッドに寝かせる。布団をかけられ、綺麗な顔で眠るその姿が、余計に不安にさせる。


「じゃあ、俺はこれで」


「うん。連れてきてくれてありがとう」


「いえ、たまたまです。それでは」


 教師の感謝の言葉に謙遜交じりで返した後、エースは保健室を出る。


 これで、自分とフローラを繋いでいた最後の糸も切れた。もう、辿ることも叶わない。


 こみ上げてきた悲しみを押し込めようとすると、視界の端で、誰かがこちらへと寄ってくるのが見える。



「なんだよ」


「何をした」


 あからさまに食って掛かる生徒。


 おそらくは、フローラを運び入れるさまを、どこかから見ていたのだろうか。


「何もしてないな」


「嘘をつくな。粗方、脅したはいいが思い通りにならない彼女を、気絶させたところだろう」


「はぁ?」


 こちらの言葉を聞き入れようともしない傲慢な態度に、エースは苛立ちを隠せない。


 否、隠さない。もう自分が守らなくてはならないものも、立場も、自分の手元には何も残っていないエースに、しがらみなどなかった。


「そうでなければ、スプリンコートさんがお前のような人間に、わざわざ時間を割くはずがない」


「俺が脅した証拠はどこにもないし、それで気絶させる理由もない。証拠もないのに推測だけ並べ立てて……お気楽思考だな」


「なに……!?」


「ああ、そうか。そういうことか」


 分かりやすく苛立っている相手の前で、エースは少し挑発するような口調を用いて反応する。


「なら俺に構わず、寝ている彼女に優しく付き添ってやればいい。もしかしたら、振り向いてくれるかもな」


「上から目線でいらつくんだよ!!」


 エースの言葉で怒りが頂点に達したのか、大ぶりな動作で殴りかかろうとしてくる。


 そこにエースのカウンターパンチが合わせられ、相手の拳はエースを捉えられずに終わる。


 その少しふらついた胴体の鳩尾にエースが追撃のジャブを入れると、相手はたまらずうずくまった。


「勇気がないのを、人のせいにするなよ」

 

 静かにそう呟いた後、エースは背を向けて去っていく。すぐに立ち直れない分のダメージを与えている確証があったため、追撃を考えることはしなかった。



 しばらく歩いて高校棟へと入っていくと、集団の数はかなり減っていた。その理由は、十分に話して別れたからなのか、あるいはまだ学校の外で続くからなのか。


 自分が立場的に近いのは、おそらくは前者。少なくとも、学校の外でやりとりが続くことはもうないだろう。



 道中の光景からそんなことを考えているうちに、エースは、目的地である教室へとたどり着いていた。


 中に入ると、セレシアが駆け寄ってくる。彼女以外には、生徒は1人もいなかった。


「あ、フォンバレンくん」


「なんだ、まだいたのか」


「うん。フローラを待ってるから」


 その言葉で、エースの表情は少し変化する。


 他に向ける注目がないためか、その変化にセレシアがすぐ気づく。


「どうしたの?」


「いや、実はスプリンコートさん、なんか倒れちゃってさ」


「えっ!? 今どこ?」


「教師棟1階の一番奥の保健室にいるよ」


「分かった!」


 そう言うと、エースの横を疾風のように走っていくセレシア。


 しかし、彼女はそのまま保健室には行かず、教室を出ようかというところで止まる。足音が止まったことに気づいて振り向いたエースと、その先にいるセレシアの視線が、お互いへ投げられる。


「フォンバレンくんは、一緒に行かないの?」


 セレシアから投げられたのは、困惑の入り混じった疑問だった。


「俺は……」


 答えを返そうとすると、自分の中に寂しさがこみ上げてくる。


 だが、もう戻ることは叶わない。選択をしたのは、自分以外の誰でもない。


「俺はもう、ただの他人だから」


 こみ上げてきた寂しさを押し込めながら、自分に言い聞かせるように、エースはそんな言葉を発する。


 それを聞いたセレシアは、悲しそうな表情のままで、しばらくそこに立っていた。


 おそらくは、エースとフローラが一緒にいた理由を、全てではなくとも理解したからだろうか。


「……フォンバレンくんの、バカ」


 沈黙を破って返されたのは、その言葉だけだった。


 おそらく色々な感情が乗っかったそれを、エースは受け入れる他なかった。返すことも見つからないままに、教室を出るセレシアを見送り、教室に1人残される。


 教室には、まだ数人の荷物が残されていた。その中に、セレシアとフローラのものはあったが、ミストのものだけはなかった。おそらくは言葉通りに、やりとりを早々に切り上げて帰ったのだろうか。


「……帰るか」


 独り言を零して、エースは全ての荷物を持った。


 このまま外に出れば、おそらくは、もうここに戻ってくることはない。


 楽しかった思い出も、辛かった思い出も――全てではなくとも、大部分がここにある。



――さようなら、俺の、楽しかった6年間


 廊下に出た後、誰もいなくなった教室に向けて笑いかけると、エースは向きを変えて歩き出した。


――さようなら、大好きな人


 まだ進めるかもしれない未来の可能性のほとんどに対して、確かに別れを告げる。




 今自身の目の前には、窓から差し込んだ暮れかけの日によって、明暗入り混じる道がある。


 終わり始まる今から伸びていく未来を暗示しているような道の上を、エースは1人で歩いて行くのだった。








  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る