第18話 戦前の語らい



 久々の孤児院での、子供たちとのふれあいの時間を終えた後。


 エースは少し遅めの時間に、学校への帰路についていた。


 夕陽が鮮やかに輝く空の下、到着した駅の入口を出たエースの前にあるのは、学校の方へと続く帰路。傍らにヒールとメールがふわりと浮きながらついてきており、行き交う人々がぼんやりと模る流れを崩すことなく歩いていた。


 楽しい時間が過ぎた後の、残り香が強く残る一時。思い出は相応の輝きを放っているが、それと同時に残っているのは寂しさという感情。それは間違いなく、レスタの街での時間が理由だった。


 ほぼ1週間ぶりの孤児院への来訪は、着くまでは不安はあったものの、孤児院でのやりとりにはほとんど変化がなかった。もちろん事情を一切知らないレスタの街の人々は、いつもと変わらない会話をエースとしていたが、今日のエースには、それが優しさに感じられていた。


 本当ならば、その居心地のいいレスタの街から、もう少し早く離れるつもりだったのだが。


――よりによって今日、子供たちが疲れて寝るのが遅いんだもんな。しょうがないけど


 子供たちの有り余るパワーが全て発散されるまでに時間がかかってしまい、少し早く離れるという予定はやむを得ず取り消していた。そして、子供たちが疲れて寝ついたのを見計らって、シエスタにだけ挨拶をして出てきて――というのが、今に至るまでのエースの行動だった。


 少し急ぎ目の行動だったため、若干の疲れに加えて、少しずつ空腹が存在を主張し始めていた。


――そういや、今日の晩飯、何だろうなー……


 周りが少し暗くなり、時間帯的に晩御飯を考える頃合いなためか、エースの思考は自然と今日の晩御飯のことへと移る。おそらくは、家に帰ればミストが準備をしているのだろう。そういや最近ずっと何も出来てないな、とも考える。


 精神的な不調により、周囲に目が向かなかったのは確かだが、その分を押し付けたままであることは、少しばかり負い目もあった。そろそろ料理当番もしないとな、という思いが、エースの頭にふわっと浮かぶ。


 しかし、少なくとも今日は間に合わない。学校でやろうと思っていることがいつもより多くなっている以上、空腹と長い付き合いをしたくはないという思いもあったエースは、気持ち早く歩くことにしていた。ヒールとメールも、エースがやや急ぎ足なことを分かっているのか、何かしらの反応もなくエースの後ろをふわりとついてきているだけだった。



 そうして、暗くなってきた道を進むこと十数分。


 右手が色づいた並木道を抜けて、学校の校門をくぐったエースは、真っ直ぐに生徒玄関を目指す。校門から見える時計は、この日最後の授業が終わってからそれなりに経っていた。



 一度ヒールとメールと別れた後に校舎内に入ると、生徒の姿はそれほど見られなかった。その中で2、3人ほどエースに視線を向けるが、エースは特に気にすることもなく、エントランスエリアから左に曲がって、高校棟へ入っていた。


「リクエストルーム、遅いし明日にすっかなぁ……」


 直進方向の先にあるリクエストルームを視界に入れたエースは、そう呟いた数秒後に、いつも使う階段が左手にある十字路を右に曲がった。その先に伸びる長い廊下を歩いて、奥にある扉を開ければ、その先には渡り廊下で繋がっている教師棟がある。


 エースの目的地は、その3階にある校長室だ。道中に直線経路が多いため、曲がることこそ少ないものの、魔導士育成学校の校舎は縦に長いため実際に進むことになるのはかなりの距離。


 その終わりともいうべき教師棟の最寄りの階段を上り切ると、エースの視線の先には、パードレのいる校長室が見えていた。ここに向かう時間を確保するために、というのが、少し早くレスタの街を出ようと思っていた理由だった。


 これまでも、エースが孤児院に向かった時に何かあればここに来る、というのが口約束としてはあったものの、その約束が果たされたのは2回ほど。そのどちらも、憂鬱な気分を払うべく頬を叩き、意を決してから向かっていた。


 だが今回は、その必要は全くない。これまで毎回のようにあった憂鬱気分は、欠片すらもない。


 また今回は何かがあったわけではない。ただ、事が起こる前に共有すべく、エースはここに来ていた。


 何かを前置きとしてすることもなく、エースは茶塗の扉を押し開いた。その奥には、いつもと変わらず長机の前に座るパードレの姿があった。


「ようエース」


「どーも。最近会い過ぎてるせいで挨拶が短くなりましたね」


「まぁな。流石に前より頻度が上がってるし、ストックもねぇな」


「あれストックしてたんすか」


 パードレが、エースたちがここに来るたびに最初に投げかけていた言葉。あれを少しは考えていた、という今更ながら知った事実に、エースは少しだけ呆れ口調で言葉を零していた。


「んで、今日は言いに来たんだ?」


「孤児院の事関係ないんですけど、前にここで自棄になって受けた勝負のことを言いに来まして」


「ああ、あれならもう知ってるぞ」


「ん、いつの間に」


「そりゃあ、一部の面々が騒ぎ立てりゃあ耳にも入るさ。『なめられてる』とかで相当怒ってるらしいぞ」


「まぁ、怒るでしょうね」


 魔導士育成学校の生徒は、プライドの高い生徒も少なくない。実力と見合っているかはさておき、そんな面々が、あろうことかエースにそんな言葉を言われれば、怒るのは容易に想像できる。


「……ほう」


「なんすか」


「なんか少し見ないうちに顔つきが戻ったな」


「色々あったんで」


 エースの返答に、パードレは満足そうな表情だった。


「その状態なら全然問題ねぇな。噂話にかまけて、甘い汁吸おうとしてる奴らなんざ、お前の実力でぶっ飛ばしちまえ」


「それ、校長が言っていいんですか?」


「今の俺は校長じゃない。お前の父親だ」


「物は言いようっすね」


 呆れはするものの、間違ってはないので、それ以上何かを言うことをエースはしなかった。


「まぁ何はともあれ、俺も心配はしていないです。高度に連携が取れていれば大変でしょうけど、最初に小分けにして出してきた以上は、多分そんな時間も取れないと思うので」


「策士だな」


「ただの博打ですよ」


 相手に時間を取らせず、しかしエースの不利対面のように見せかけるために、あの場で思いついたのが『近い日程1日で相手をする』というものだった。


 エースが過去に苦戦した相手は、いずれもエース以外にも味方側の人物がいた。彼らのケアもしつつ戦う、というのは、仮に一番慣れているミストであっても、考えることが増えるためにエース自身の動きに対してフルに思考を割けない。


 一方で、仮に相手が多人数を一度に出しても、エースが1人であるならば、エースは全ての思考をエース自身の動きに関連する部分に留めることが出来る。いくら連携慣れしていても、思考に関しては、1人で戦う方がメリットが大きい。


「まぁ俺の持ってる技術全部叩き込んだしな。体術面でなまってなけりゃ、どうにでもなるか」


「最近授業でしかやってないので微妙っすね」


「何? じゃあもう一回鍛え直すか?」


「むしろお願いしたくらいかもしれません」


 パードレが少し大げさに言った言葉を、エースはいつも通りのテンションで返す。


 エースの頭の中では、その後もうしばらくそんな感じのやりとりが続くと思ったのだが、


「と言いたいところなんだがな。正直、もうお前に教えることないし、代わりに出来そうな取っ組み合いしても、お前に勝てる気がせんよ」


 次に返ってきたのは、どこか年寄り臭く感じる言葉だった。軽口をたたいているようにも思えない意外な言葉に、エースは少し驚きながらも、会話を続けていた。


「冗談言わないでくださいよ。まだそんな年じゃないでしょうに」


「冗談じゃねぇよ。経験抜きにした純粋な実力じゃ、今の俺でも、同い年の頃の俺でも、今のお前に勝てない。全盛期なら分からんけどな」


 パードレにしては珍しい、自身に対する自信のない言葉。それがエースに向けられた言葉でもあるために、エースにもその言葉の根拠たる部分に、興味は湧く。


「なんでそう思うんです?」


「だってそうだろ。手先がそれなりに器用で観察眼に優れた人間に、自由度の高い氷魔法使わせたらどうなるか、お前なら分かるだろ」


「んー……まぁ、めんどくさいっすね」


「そのめんどくさいに、近接戦闘技術と異常なまでの前衛適性詰め込んだのがお前だよ。技術だけならともかく、精神力まで併せ持つとなると反則級に近い」


「人を反則言うの、やめてもらえます?」


 反則呼ばわりに対して、エースは半分笑いながらそう返した。評価としては嬉しいが、言葉の字面はよろしくない。


「反則と言えば、向こうはどんな手を打ってきますかね。見えないところで汚い手を打つ可能性は、なくはなさそうなんですよね」


「そうだよな。大人数だから、思考が同じ方向向いてるか怪しいよな……」


「見えてるところでやられれば、味方ばかりではない以上何かしら泥を塗れるんですけどね」


「まぁそうだが、俺としては、無事に終わることを祈るよ」


「それは俺もそうです」


 何事もなく勝負に入り、そして勝利を収めればいい。


 その点において、エースとパードレの思考は同じ方向を向いていた。


「まぁ、無事に終わらすために、しばらくはこの時間に校舎内に来ることを止めておくんだな。今日はまだ行動がバレてないからいいが」


「多分勝負までの間にこの時間までいることないんで大丈夫っすね」


「そうか。じゃあ今日は死ぬほど気をつけて帰れよ」


「ういっす。そんでは」


――まぁ、本当に最悪の場合はヒールとメールに頼らざるを得ないだろうけど、流石にそこまでいかないかな


 最後にパードレにも言っていない秘密込みの推測をしつつ、エースは己の前後の向きを反転させ、前へ歩き出した。


 そして、茶塗の両開き扉を押し開けて校長室の外に出た後は、真っ直ぐに帰路を辿って自宅へ帰っていた。


 その道中では、何故かヒールとメールがエースを挟むように飛んでいたのであった。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る